9話 小竜と仮面
「よりによって竜種を捕まえるなんて、盗賊団の奴ら見境がないわね……」
よく見れば小竜の鱗は白ではなく、銀色だった。
ところどころ泥で汚れているが、怪我はないようである。
「竜がここにいると何か問題があるのですか?」
「竜種は仲間意識が強い魔獣よ。見たところ子どもみたいだし、親が必死に探しているに違いないわ」
珍しくベアトリクスが慌てている。
竜種は大きく分けて四種いたはずだ。
色ごとに【赤】【白】【金】【黒】だったか。
「早く神器を回収するわよ」
「小竜はどうなさいますか?」
「放っておきなさい。魔獣に手を出して、これ以上恨みを買うのは嫌だもの」
「お言葉ですが、殿下のおっしゃるとおり、竜種が仲間意識の強い生き物ならば、小竜を取り返しに帝都を襲うのではないでしょうか」
早々に神器を回収、小竜を帝都からできるだけ離れた場所に放つ。そうすれば帝都は襲われずにすむのではないかと思うのだが。
「同族だものね。情けをかけるのは当然ってことかしら」
ベアトリクスは何がなんでも俺を魔獣にしたいようだ。
小竜は暴れることなく、ジッと俺たちを見つめている。
赤い瞳には、知性が感じられた。
「殿下、小竜を逃がすのは俺に任せてもらえませんか?」
「……逃がす自信があるのかしら」
俺は迷うことなく頷いた。
「ならさっさと連れ出しなさい」
ベアトリクスは腕を組んだ。早くしろと言わんばかりに、指先で二の腕を叩いた。
俺は鉄格子を思い切り左右に引っ張った。鉄の棒は鈍い音をさせながら歪む。
隙間ができたと同時に、小竜が俺の頭めがけて飛んでくる。
「!」
小竜を持ち上げようとしても、鋭い爪が俺の髪を掴んで離さない。
「お前の頭の上が気に入ったようね。そのまま乗せておきなさいよ」
「はあ……」
小竜はいくら待っても俺の頭から降りてくれない。
俺は諦めて、先を急ぐベアトリクスの後を追おうした、その時。
「小僧、なにゆえわらわの友の匂いをさせている」
「……竜が喋った」
「人族の言葉を操るなどわらわにとって造作もないこと。それで人族の子、なにゆえわらわの友と同じ匂いをさせている。答えろ」
小竜の尻尾が俺のうなじを一定のリズムで叩いた。
前世で友と呼べるのはアルティミシアだけだし、人族に生まれ変わって以降、魔獣と遭遇していない。
身に覚えのない言いがかりである。
「俺に竜の友人はいない。人違いだ」
「わらわとて貴様のコトなど知らん。だからこそ不可解なのだ。……む、そこな雌からも匂いがする」
小竜が俺の頭から身を乗り出した。
顔にザラザラとした皮が当たる。前が見えないんだが。
小竜をひっぺがす。俺の手の中で、小さな体がジタバタと暴れた。
「人族の言葉を話す魔獣にお目にかかるのは初めてよ」
ベアトリクスは胸元を両手で覆う。警戒するも、青い瞳は興味津々とばかりに輝いていた。
「おい、人族の娘。その手の内を見せろ」
「嫌よ」
「何を生意気な」
ベアトリクスはふんと鼻を鳴らし、
「辺境では竜種を神だと崇める者たちがいるらしいけれど、所詮魔獣ね。人に物を頼む礼儀がなってないわ。……下僕、そのトカゲが私に飛びかからないように、見張っておきなさい」
ベアトリクスはひとつに結った髪を颯爽と揺らし、俺たちから離れた。
「誰がトカゲじゃ。わらわは高貴なる【白】ぞ!」
小竜はジタバタと手足を振り回す。
俺は暴れる小竜を頭の上に戻し、両手で胴体を支えた。
「頼むから大人しくしてろ」
「人族ごときがわらわに気安く話しかけるでない」
お言葉に甘えて、俺は口を閉ざした。
ベアトリクスはときおり分かれ道で立ち止まり、ペンダントトップをかざしている。
「あの雌、わらわの友の居場所がわかってるようだな」
「……」
「人族がわらわの友を道具のように扱うなど許せん。ここを出たら八つ裂きにしてくれるわ」
「……」
「貴様、わらわでは無理だと侮ったな。この空間では魔力が押さえ込まれていて、真の姿に戻れんのだ。わらわはそれはそれは美しい鱗をもつ白銀竜なのだぞ。ここを出た暁には、わらわの爪で貴様らの目玉をくり抜いて喰ってやる。おいこら、何とか言ったらどうだ」
「そんなことは俺がさせない」
「何……?」
話しかけるなと言ったり、喋れといったり、忙しいやつだ。
威勢がよいのは結構なことであるが、ベアトリクスを襲うという宣言は聞き捨てならない。
俺の本気が伝わったのか、小竜の気配が変わった。骨が凍りそうな冷気がうなじを撫でていく。
「……人族が調子に乗るな」
「魔獣の仔になら勝てる」
「わらわは齢五百に達する。人族では考えられん長寿であろう。年上を敬え」
「長生きだから人語が喋れるのか」
「いかにも」
「けど魔獣は人族を下に見てるんだろ。なら魔獣が人語話す必要ないだろ」
それまで打てば響く速さで言葉の応酬を続けていた小竜がぴたりと口を閉ざした。
言いたくなければそれでいい。
特に追及せずにいると、
「――と話すためだ」
「え?」
声が小さくて聞こえない。
俺は見えないながら頭上に視線をやる。
「そんなことより、匂いの元はこれか」
小竜は器用に俺の肩に乗り移り、腕に鼻を寄せた。
「お前の友達って、暴食公か?」
「……人族の小僧がわらわの友の名を気安く呼ぶでない」
小竜は鼻息荒く、「いかにも。わらわの友は暴食公である」と胸を張った。
暴食公の名を騙る者は人族にも魔獣にもいた。
人族の盗賊団の長が暴食公を名乗ったせいで、アルティミシアに討伐された顛末は、なかなかに興味深かった。
強者の威を借る弱者がいるのは納得できる。
しかし、俺の友を騙る者はいなかった。
それはそうだろう。魔獣に友がいるなど、人族はもとより魔獣だって思いつかないのだから。
事実、俺に竜種の友はいない。
嘘だと分かりきっている嘘をつく者は愚か者である。
小竜の目的が何なのか。もしベアトリクスをはじめとするステルラ帝国皇帝家を襲う算段なら、放ってはおけない。
さり気なく探りを入れる。
「暴食公のことよく知ってるんだな」
「もちろん。わらわが友と出会ったのは戦場で――」
小竜が機嫌よく喋る。
一方、ベアトリクスが俺の背後に鋭い視線を向けていた。
その表情からして追っ手が来たのは間違いない。
振り返るまでもなかった。
「侵入者どもがいたぞー!」
野太い雄叫びと獣の咆哮が通路に響いた。
松明を掲げた人族の雄は狼魔を引き連れていた。
狼魔は狼よりもひと回り巨大な体躯をした魔獣である。
「殿下、ここは俺に任せて、神器の回収を」
「愚問ね」
ベアトリクスは通路の奥へ一目散に駆け出す。
その背中に小竜がへばりついた。
「魔獣め、触るな!」
「人族の雌に、わらわの友を渡してなるものか!」
ベアトリクスが振り落とそうとしても、小竜は必死にしがみついている。
一人と一体は言い合いを続けながら、通路の奥へ消えた。
唸り声に正面をむいた瞬間、狼魔が俺の腕に噛みついた。
「ガキの腕噛み千切るまで、死んでも離すんじゃねえぞ!」
人族の雄が吠えれば吠えるほど、狼魔の顎の力が増す。
ミシミシとガントレットが軋むも、壊れる気配はない。
賊の中に魔獣使いがいるとは、なかなかに厄介である。
命令に忠実であるということは、脅しても怯まないということだ。
こちらも殺す気で挑まなければ、確実に殺される。
狼魔を壁に叩きつける。
壁は脆く、一度ぶつけただけで土壁は崩れた。そのまま腕に体重をかけ、土壁に狼魔をめり込ませる。
土にまみれても、狼魔は健気に顎を振ってガントレットを食いちぎろうとした。
ガントレットに魔力を注ぐ。狼魔がさらに土壁に沈んだ。
魔獣とて呼吸は必要だ。土に埋もれれば息ができなくなる。
唸り声はやがて甲高い鳴き声に変わった。
数分すると、腕の圧迫感が消える。腕を引き抜くと、そこに狼魔はいなかった。
「このクソガキが!」
魔獣使いは次から次へと狼魔をけしかける。
しかし通路が狭いせいで、一体ずつしか俺に仕掛けることができない。
狼魔は集団での狩りを得意とし、草原や森でこそ強さを発揮する。
人族に飼われた哀れな狼魔を、俺は殴って、殴って、殴りまくった。
ガントレットは丈夫で、魔獣を何体攻撃しても、傷一つつかない。
最後の一体を吹き飛ばし終わってやっと、魔獣使いが尻込みしはじめた。
「邪魔だどけ!」
魔獣使いを押しのけ、前に出たのは、革鎧姿をまとった人族の雄だ。
虹色の光を放つ剣が、俺にむかって振り下ろされる。大振りで雑な一閃だ。避けるのはたやすい。余裕で後方に飛んで避けた。
しかし、頬にかすかな痛みが走る。
「……?」
頬を触ると、指の腹に血がついていた。
「死ね死ね死ね死ね死ねー!」
革鎧はむやみやたらと剣を振るった。
虹色の刃は壁を抉っても、刃こぼれ一つしていない。
刃に触れていないのに、俺のシャツやズボンは裂け、血が吹き出す。
「ちょこまかと、クソガキが! 大人しく殺されろや!」
持ち手の技量がお粗末なのでやりすごせている。アルティミシアが振るえば、竜の鱗ですら切り裂くだろう。
飛ぶ斬撃。ガントレットで身体の前面を防ぎながら近づくか。いや、殴れる間合いに入る前に、脚が使い物にならなくなる。
相手の体力が尽きるのを待つのが、最善手に思えるが、ベアトリクスが戻って来るまでには片付けておきたい。
多少の無茶は必要かと、俺は革鎧に肉薄する。
下卑た笑みを浮かべた革鎧が意気揚々と剣を振り下ろした。
虹色の刃が黒いガントレットにぶつかる。
軽い衝撃とともに、鐘を打ち鳴らしたような軽やかな音が通路に響いた。
音は高い天井をどこまでもどこまでも登っていく。
ガントレットは無事だ。このまま力押しで――。
「!」
膝が、その場でがくりと落ちた。信じられない思いで俺は己の脚を見下ろす。
まさか、魔力切れか?
ガントレットを外せなくなって以来、そんな兆候は一切なかった。間が悪すぎる。
「クソガキ、死ねや!」
革鎧がとどめとばかりに、俺に剣を振りかぶった。
ふたたびガントレットを顔の前にかざす。黒い手甲に虹色の剣がぶつかった。
キイイイイイ――ン、とまたもや鐘の音のような澄んだ音が鳴り響く。
視界がぐにゃりと歪んだ。
脳を棒で掻き回されているのような不快感に脂汗が額に滲む。虹色の輝きが目に眩しく、刀身を受ける腕から力が抜けていく。
「このまま真っ二つにしてやる」
革鎧がニヤけた笑みを浮かべた瞬間、俺の背後から吹雪が襲いかかった。
みるみる壁が白い膜で覆われていく。壁伝いに氷の膜は天井を侵食していった。
瞬きの間に、通路は極寒の地と化す。
「お、俺の手がぁぁ!」
革鎧の手が剣を握ったまま凍っていた。
天井から氷の塊が落ち、革鎧の凍った手を砕いた。虹色の剣が通路の床に転がる。
何が起こっているのか、わけがわからない。
吹雪に目を細め、背後を振りかえる。
ベアトリクスが血相を変えてこちらへ走ってきた。腕に箱のようなものを抱えている。神器の回収は済んだらしい。
「下僕、逃げるわよ! お前たちも死にたくなかったら、死ぬ気で走りなさい!」
ベアトリクスはその場で固まる賊どもに叱咤する。賊どもは我先にと通路の入り口を目指し始めた。
俺は揺れる視界のなか、必死にベアトリクスの横に並ぶ。
ふらつく俺の手首を、ベアトリクスが引いた。
「殿下、俺のことはお気遣いなく」
「気なんて遣ってないわよ。神器を置いていくわけにいかないでしょ!」
「お手を煩わせて申し訳――」
「口より足を動かしなさい!」
「御意」
そう言えば、ベアトリクスの背中に小竜がいない。
口より足を動かせと命じられた手前、俺は沈黙する。
「……やっぱり魔獣は信用できないわ」
俺に聞かせるためなのか、はたまた独り言なのか、ベアトリクスは悔しげにつぶやいた。
吹雪が吹き荒れる通路を必死に戻る。
教会へ転がり出た途端、通路への入り口が爆発した。
粉塵舞うなかに巨大な影が浮かび上がる。
教会の天井を突き破ったのは、白銀に輝く竜――かと思いきや、顔は黒く、竜とは似ても似つかぬオーガのそれである。
あれが残りの神器である仮面か。
ベアトリクスが抱える箱に収まる大きさではない。装着者によって形状が変わるのか。
「人族よ、忌々しい封印をといてくれて感謝するぞ。はあ……やっと、妾の願いが叶った。友よ、もう妾から離れるでないぞ」
白銀竜は仮面を撫でた。
恍惚とした様子であるが、息苦しそうに身を捩っている。
仮面と竜の顔の隙間から煙が立ち上っていた。
仮面は装着者の魔力を増大させるという。
それはつまり強制的に魔力を吸い出そうとしていることと同義だ。
竜種の魔力は膨大である。仮面にとって、これ以上ないほどのご馳走だ。
一刻も早く仮面を外さなければ、白銀竜は魔力を吸いつくされ死ぬことになるだろう。
「殿下、一体何があったのです……」
「説明はあとよ。それよりも、神器を取り戻さないと」
ベアトリクスは俺に箱を押しつけるなり、白銀竜に向かってレイピアを鞘走らせるも、羽ばたきひとつで、押し返された。
風圧でベアトリクスは教会の床を転がる。
「殿下、お怪我は」
「……竜を追いかけるわよ」
ベアトリクスは唇を噛み締め空を睨む。
すでに白銀竜は空の彼方の小さな点となっていた。




