『王者の凋落 —— 栄枯盛衰の風景』
『王者の凋落 —— 栄枯盛衰の風景』
野村誠一は、会社の帰り道、いつものようにセブンイレブンに立ち寄った。かつては毎日のように足を運んでいた店だったが、最近は週に一度くらいのペースだ。財布の中身と相談しながら、弁当コーナーを眺める。以前より選択肢が少なくなった気がする。値段は上がっているのに、量は目に見えて減っている。
「いらっしゃいませ」
若いアルバイトの店員が棚の商品を補充している。野村が最初にこの店に来た頃、店長をしていた田中さんの姿はもうない。
彼は定年退職したのだろうか、それとも別の店に異動したのか。どちらにせよ、野村にとってこの店の雰囲気は少しずつ変わってきていた。
スマホの通知音が鳴り、ニュースアプリからの速報だった。
「セブン&アイ、スティーブン・デイカス氏が新社長に就任へ。経営改革加速」
野村は息を呑んだ。業界最大手のセブン&アイが外国人社長を迎えるという大きな決断。最近のニュースでは業績不振が報じられていたが、ここまで大きな変革に踏み切るとは。
弁当を一つ手に取り、レジに並ぶ。前には3人の客がいた。以前なら5人、6人と列をなしていたのに。
マンションに戻った野村は、電子レンジで温めた弁当を前に、ニュースサイトをスクロールしていた。セブン&アイの業績不振の記事が立て続けに出ている。
「営業利益23%減...純利益65%減...」
数字を見ながら、野村は30年前、大学の経営学の授業で習った「企業30年寿命説」を思い出した。どんな大企業も永遠に繁栄し続けることはなく、約30年で衰退期を迎えるという理論だ。セブンイレブンが日本に上陸したのは1974年。実に半世紀近くが経過している。
「企業30年寿命説か...当たってるのかもな」
弁当を口に運びながら、野村はかつての賑わいを思い返していた。バブル期の終わり頃、野村が社会人になった頃のセブンイレブンは、まさに「王者」だった。24時間営業の先駆け、POS(販売時点情報管理)システムの導入、プライベートブランド商品の展開など、常に業界の先頭を走っていた。当時の同僚との会話が蘇る。
「おい野村、セブンの新しいおにぎり食った?あれうまいぞ」
「ああ、塩むすびな。朝から晩まであんなに売れてるの見たことないよ」
「それにしても、セブンの商品開発力はすごいよな。他のコンビニとは一線を画してる」
「うん、このまま行けば、他のコンビニなんて太刀打ちできないんじゃないか」
思い返せば、あの頃のセブンイレブンに対する信頼と憧れは絶大だった。野村自身、転職を考えた時期もあったほどだ。しかし、時代は変わる。
スマホでSNSを開くと、いくつかのハッシュタグが目に入った。
「#セブンおにぎり小さくなった」
「#コンビニ弁当高すぎ」
「#ファミマの方が安い」
こうした消費者の不満は、ここ数年で急速に広がっているように感じる。
翌朝、通勤途中、野村は別のコンビニに立ち寄ってみることにした。昨夜のニュースが気になり、比較してみたかったのだ。
ローソンの店内は、セブンイレブンと比べて客層が若干異なる気がした。商品の陳列の仕方も、微妙に違う。値引きの表示が目立つし、「増量キャンペーン中」という文字が各所に見られる。
朝食用のおにぎりを手に取ると、確かにセブンのものより大きく感じる。値段はほぼ同じだ。レジに並びながら、野村は再び「企業30年寿命説」について考えていた。
会社に着くと、同じ部署の若手社員・佐藤が熱心にスマホを見ていた。
「おはようございます。何か面白いニュース?」野村が声をかけると、佐藤は顔を上げた。
「ああ、野村さん、おはようございます。セブン&アイの件です。アメリカ人が社長になるんですって。結構大きいニュースですよね」
「そうだな。業績が思わしくないみたいだし、大きな転換点なんだろう」
「僕、昔からセブンイレブンって最強だと思ってたんですけど、最近はファミマとかローソンの方がお得感あるんですよね。セブンの商品、小さくなった気がします」
「そうだろう?俺も同じこと思ってた。昔はセブンの商品が一番良かったんだけどな」
佐藤は少し考え込むように言った。「企業って、いつまでも強いわけじゃないんですね」
「ああ、大学で『企業30年寿命説』って習ったことがある。どんな大企業も約30年で衰退期を迎えるっていう説だ」
「30年...セブンイレブンって日本でいつから始まったんですか?」
「1974年だったはずだ。もう50年近くになる。実はかなり長く持ちこたえてきた方なんだよ」
「へえ、そうなんですね。でも、なんでそんなことになるんですか?企業が衰退する理由って」
野村はコーヒーを一口飲んでから答えた。
「いろいろあるだろうけど、成功体験が足かせになるってのが大きいかな。うまくいってる時のやり方を変えられなくなる。環境が変わっても、自分たちは変わらない」
「なるほど...」佐藤は頷いた。「セブンもそうなんですかね」
「そうかもしれないな。セブンはずっと『高品質路線』を貫いてきた。でも、今の消費者は価格にも敏感だし、SNSで情報共有するから『量が減った』とすぐバレる。それなのに戦略を変えられなかったんじゃないか」
昼休み、野村は久しぶりに大学時代の友人・加藤に電話をした。加藤は大手小売コンサルティング会社に勤めており、業界事情に詳しい。
「久しぶり、元気?セブン&アイのニュース見たろ」野村が切り出すと、加藤はすぐに反応した。
「ああ、見たよ。実はうちの会社でも似たような話が出てたんだ。セブンの凋落は、ある意味必然だったかもしれない」
「必然?」
「そう。彼らは長い間、業界のリーダーとして君臨してきた。でも、成功モデルに固執するあまり、消費者の変化に対応できなくなっていたんだ」
「企業30年寿命説みたいな話か」
「ああ、あれか。まさにそんな感じだな。特にここ数年の戦略ミスは大きかった。競合が値引きや増量で消費者に寄り添う戦略を取る中、セブンは高価格路線を崩さなかった。コロナ禍やインフレで消費者の節約志向が強まる中、これは致命的だった」
「確かに最近、セブンの商品高く感じるよな。量も減った気がする」
「実質値上げだよ。量を減らして価格据え置き。業界用語で『シュリンクフレーション』って言うんだけど、これが消費者の不満を買った。SNSでも批判が広がったしね」
「それで客が離れていった...」
「そう。それに加えて、海外事業の不振も大きかった。特にアメリカでは既存店売上が13ヶ月連続で前年割れ。不採算店舗の閉鎖で567億円の特別損失も出した。イトーヨーカ堂のネットスーパー撤退でも458億円の損失がある」
野村は思わずため息をついた。「それだけの規模の会社が簡単に揺らぐわけないと思ってたけど、現実は厳しいんだな」
「企業の栄枯盛衰は歴史が証明している。どんな大企業も永遠に繁栄できるわけじゃない。セブンイレブンも例外じゃなかったってことだ」
その日の夕方、野村は別のルートで帰ることにした。すると、見慣れない看板が目に入った。新しくオープンしたファミリーマートだ。入口には「グランドオープン特価」の文字が躍っている。
好奇心から店内に入ると、活気にあふれていた。学生や会社帰りのサラリーマンが多く、レジには行列ができている。店内を見回すと、セブンイレブンとは異なる雰囲気だ。特に目を引いたのは、大きく「増量キャンペーン」と書かれたPOPだった。
野村は夕食用の弁当を手に取った。確かにボリュームがある。値段もセブンより若干安い。レジに並びながら、スマホを取り出し、改めてセブン&アイのニュースを確認した。
「セブン&アイ、スーパーストア事業を8147億円で売却へ。セブン銀行の持ち株比率も40%未満に」
大規模な事業再編が進んでいるようだ。野村は思わず、30年前のバブル期を思い出した。当時、セブン&アイの前身であるイトーヨーカ堂グループは絶大な存在感を放っていた。「どんな会社も永遠ではない」—その事実を、今野村は痛感していた。
レジを済ませ、店を出た野村は、ふと立ち止まった。向かいには古くからあるセブンイレブンの店舗が見える。かつての隆盛を思わせる佇まいだが、客の出入りは少ない。
週末、野村は学生時代の恩師・村上教授とランチの約束をしていた。村上教授は経営学の専門家で、野村が「企業30年寿命説」を教わったのも彼からだった。
「先生、久しぶりです」
「やあ野村君、元気そうだね。相変わらず企業戦略の分析好きかい?」
「はい、最近はセブン&アイの話題が気になって。先生の『企業30年寿命説』を思い出しました」
村上教授は微笑んだ。「ああ、あの理論か。実は私もセブン&アイのニュースを見ていてね、強く実感したよ」
ランチを注文し、野村は質問した。「先生、なぜ強い企業でも30年程度で衰退するんでしょうか?」
村上教授はゆっくりと答えた。
「それはね、組織が大きくなりすぎると、官僚化して柔軟性を失うからだ。成功体験が強すぎると、『今までのやり方』を変えられなくなる。セブン&アイもそうだろう」
「具体的には?」
「セブンは『高品質・高価格』路線で成功した。それは間違いじゃない。でも、時代は変わった。物価高で消費者は節約志向になり、SNSで情報が瞬時に広がる時代になった。『おにぎりが小さくなった』という不満がTwitterで拡散すれば、一気にブランドイメージが低下する」
「確かに。若い同僚も『セブンは高い』と言ってました」
「それに加えて、ローソンやファミマが値引きや増量で対抗した。スーパーやドラッグストアもコンビニ的な商品を扱い始めた。競争環境が激変したんだ。しかし、セブンはその変化に柔軟に対応できなかった」
「そこが企業30年寿命説の本質ですね」
「そうだ。どんな企業も、成功すればするほど『過去の成功パターン』に固執する。環境が変わっても、自分たちは変わらない。それが衰退の始まりだ」
野村は考え込みながら言った。「でも、セブン&アイは新社長を迎えて、大改革に着手していますよね。再生の可能性は?」
村上教授は少し間をおいてから答えた。「可能性はあるさ。しかし、改革が成功するかどうかは、彼らが『過去の成功体験』から本当に脱却できるかにかかっている。北米子会社の上場、自社株買い...これらは財務戦略だ。本当に必要なのは、消費者の変化に柔軟に対応できる組織への変革だよ」
「なるほど...」
「企業の寿命は延ばせる。だが、それには『自己改革』が必要なんだ。過去の成功に縛られず、時代の変化に合わせて自らを変革する勇気があるかどうか」
数週間後、野村はテレビのニュース番組を見ていた。
「コンビニ業界、勢力図に変化。ファミリーマートの売上高がセブンイレブンを上回る」
テレビの画面には、棒グラフでコンビニ各社の業績比較が映し出されていた。セブンイレブンの棒グラフが短く、ファミリーマートの棒グラフが高くなっている。数十年間維持してきた「王者」の座が、ついに他社に譲られたのだ。
野村はソファに深く腰掛けながら、改めて「企業30年寿命説」の意味を噛みしめていた。どんなに強大な企業も、時代の変化に対応できなければ衰退する—それは避けられない宿命なのかもしれない。
しかし同時に、セブン&アイの改革の行方にも期待していた。新しい経営陣のもと、かつての王者は再び輝きを取り戻せるのか。それは時間が証明することだろう。
翌朝、野村はいつもと違うルートで出勤することにした。道の途中、新しくオープンしたセブンイレブンの店舗が目に入った。新店舗のオープンセールで賑わっていた。
野村は店内に入り、新しく展開されている商品を見た。「値ごろ感」をアピールする表示が目立つ。明らかに戦略の変化を感じさせる。
「やはり変わろうとしているのかな」
レジに並びながら、野村は改めて企業の栄枯盛衰について考えた。どんな王者も永遠ではない。しかし、危機を契機に自己変革できれば、新たな道が開けるのも事実だ。
「いらっしゃいませ」
若い店員の元気な声に応えながら、野村は思った。
「企業30年寿命説...でも、その寿命は延ばせるかもしれない。変化を恐れず、自己改革できれば」
セブンイレブンの新店舗を出ながら、野村は春の陽光を浴びた。変わりゆく景色の中に、永遠に変わらないものはない。
そして、変化こそが生き残りの鍵なのだ—そう感じながら、野村は新しい一日へと歩み出した。
その夜、野村は大学時代の経済学の教科書を引っ張り出していた。シュンペーターの「創造的破壊」について書かれたページを開いている。
「経済発展や革新は、古いものが破壊され、新しいものが創造されるプロセスによって起こる」
野村は言葉を噛みしめた。セブン&アイの凋落と改革は、単なる一企業の浮き沈みではないのかもしれない。もしかすると、日本の小売業界全体の転換点、新たな形態が生まれる予兆なのではないか。
翌日、久しぶりに村上教授にメールを送った。
「先生、シュンペーターの『創造的破壊』について考えていました。セブン&アイの現状は、単なる衰退ではなく、小売業の新たな形態が生まれる過程なのではないでしょうか」
返信はすぐに来た。
「鋭い着眼点だ、野村君。その通りだと思う。歴史を振り返れば、百貨店からスーパー、スーパーからコンビニへと、小売業は常に形を変えてきた。今、私たちは歴史的な転換点を目撃しているのかもしれない。セブン&アイの改革は、新たな小売業態の創造につながる可能性がある。創造的破壊の本質とはそういうものだ」
野村はメールを読み返しながら考えた。確かに、コンビニという業態自体が、過去の小売形態を「破壊」して生まれたものだった。そして今、またしても新しい何かが生まれようとしているのかもしれない。
窓の外を見ると、遠くにセブンイレブンの看板が見えた。かつての王者は苦境に立たされているが、その苦境こそが新たな創造の原動力になるのかもしれない。企業の栄枯盛衰は、より大きな歴史の流れの中では、進化のための必然なのだろう。
野村は深く息を吐いた。「創造的破壊」—その言葉が今、特別な意味を持って心に響いていた。私たちは今、小売業における歴史的な変革の瞬間を生きているのかもしれない。その思いを胸に、野村は明日への一歩を踏み出した。