僧兵の襲撃
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――僧兵の襲撃――
枯れ果てた森の中を歩いてゆくと何者かが近づいて来る足音が聞こえる。ローグの上に載っていたリクリアがいち早く気が付き、カルパスが次に気が付いた。
リクリア達の進む方向から3人の兎人族が現れ、それぞれに槍を持ち刀を装備している。
神殿の僧兵だ。リクリアを捜しに来たらしい。目的は?当然彼女を殺すことだ。そう思った途端に、慌ててローグから飛び降りるとカルパスの背後に隠れた。
「台地の僧兵か?こんな所で何をやっているのだ?」
カルパスが低い声で尋ねる。
「台地から落ちた仲間を探している。その娘は兎人族であろう、渡してもらおうか」
どう見ても友好そうには見えない表情でリクリアの引き渡しを要求している。
「ほう?この娘を捜しに来たのか?渡してその後はどうすると言うのだ?」
彼らに引き渡されるのだろうか?リクリアはカルパスの足をぎゅっと握った。
「お前の知った事では無い」
後ろの二人が槍を構える、明らかに話し合いをするつもりは無い様だ。
「幼き娘よ、あの者達はお前を捜しに来たそうだ、奴らに同行することを望むか?」
リクリアは声も出せずにいたが、かろうじて頭を振る。
「お前が拒否をすれば、お前を助けてくれた者達に災いが及ぶぞ」
先頭の男も槍を両手に持ち変える。
「お主ら、我らが要求を飲まねば殺すと言う事か?狼人族相手にだぞ」
カルパスが牙を剥きだして笑う、恐ろしい笑顔だとリクリアは思った。
僧兵は神殿の守りに当たっているのだが、リクリアはそれがどの位強いのかは知らなかった。ただカルパスの方が彼らよりも一回り大きく、まったく恐れてはいないようなので安心できた。
しかし兎人族の方は3人である。本当にカルパスは自らの命を懸けてリクリアを守るつもりなんだろうか?
「デジャク」そうつぶやいて子供たちに下がる様に合図をする。
リクリアをカルパスから引きはがし、ローグを連れて彼らから距離を取ると、セギュムが槍を構えてその前に構える。
【心配するな、狼人族は仲間と認めた者は命を懸けて守るんだ】
デジャクが耳元でささやく。
「ではその娘を引き渡すのを拒否すると言うのだな」
「そうだ」
そう言った途端後ろにいた僧兵の一人がリクリアに向かって衝撃波の魔法を放った。
かろうじて頭を下げたリクリアの上を衝撃波は通り過ぎ、後ろにいたローグの腹に当たり血しぶきが上がる。
「ブヒイイーン!」
ドウッと倒れたローグは腹の皮が裂け、出血が見える。
しかし衝撃波は荷物に当たったらしくかすり傷のようだ。ローグは立ち上がるとその場から逃げ出した。
カルパスは後ろを見ようともせず、僧兵から目を離すこともない。デジャクはローグを視線で追ったが、セギュムは前を向いたままだ。獲物を前にした狩人は獲物から目を離すことは無いのだと後に教えられた。
リクリアがローグの悲鳴に気を取られた瞬間に、カルパスに向かって先頭の男が槍を持って突っ込んで来る。
しかし狼人族の反射神経はすさまじく突っ込んで来た男の槍を躱すと槍の柄で男の頭を強打する。さすがにそのまま串刺しにはしない。手加減をしているのだ。
「ぐうっ!」
うめき声を上げながら地面に叩きつけられた僧兵、しかし一瞬の躊躇も無くリクリアに向かって飛び掛かってきた。
「いやああ~っ!」
頭を抱えてしゃがんだリクリア目掛けて槍の穂先がまっすぐ突っ込んでくる。
ところがカルパスの後ろに控えていたセギュムが横に飛び退くと槍の手前を持って思いっきり振り回した。
「とうっ!」
槍の柄はたがわず兎人族の顔を直撃して顔が上を向く。それに伴って矛先も上を向き、リクリアの頭のわずか上を通り過ぎる。
「リクリアに何をする!」
大声を上げたデジャクは槍を持って飛び上がり、倒れた僧兵に向かって槍を突き下ろした。
間一髪体をひるがえした僧兵に向かって今度はセギュムが槍を突きだす。
「ちっ!」
僧兵は迫って来る槍を腕で払ったが腕を裂かれてしまい、血を流しながら飛び去る。
ざざっとふたりはリクリアの前で槍を構えて兎人族の僧兵と対峙した。
相手は2倍も大きな兎人族の僧兵である、どうしてこんな小さな二人が相手に出来るのだろう?
犬耳族の持つ驚くほど高い運動能力に唖然となるリクリアだったが、どうやらそれは僧兵達も同じだったようだ。
怪我をした僧兵は動きを止めてしまい兄弟とにらみ合っている。
セギュムとデジャクは、僧兵がリクリアを狙っていることがはっきりしたのでその前に槍を構えて立ちふさがる。
兎人族の3人はカルパスと向かい合って槍を構え直してにらみ合っている。
【あいつらあんまり動き良くねえな】
デジャクの声が聞こえる。
【俺もそう思った、大きいだけで体の動きにキレがない、魔法を使うがそれだけだ。あの槍の一撃で人を殺せるほどじゃない】
【兄ちゃん、やるか?】
前に出てふたりで一人を相手にすれば、父さんならふたり相手でも十分勝てそうだ。そう言っているのだ。
【だめだ、狙いはリクリアだ。奴らにここを抜かせるな】
リクリアは木の陰に隠れているが荒い息が聞こえる。おそらく恐怖に震えているのだろう。ここは俺たちが守ってやらなくちゃならない、そうデジャクは決心した。
【わかった、リクリアを守ればいいんだな】
「何故その娘をかばう?お前たちの仲間では無いだろう?」
「兎人族にはわかるまい、これが狼人族の魂に染み付いた群れの意識だ」
兎人族の3人はリクリアを囲むように横に広がるといきなり火の塊を撃ちだしてきた。
狼人族にも伝わる炎弾の魔法だが、リクリアの周囲の枯れ木に当たって爆発を起こす。小さく体をかがませたリクリアは恐怖に震えている。
火の系統の魔法は狩りの場ではあまり使えない、山火事の危険が有るからだ。
特に枯れた森での使用は非常に危険で、実際の使用はキャンプの際の焚火の着火ぐらいしか使えない。
そこで躊躇なく火の魔法を使う連中である。その事を考えてもやはりこいつらは狩人では無くただの兵隊である事がわかる。
そもそもが狩人である狼対して獲物である兎がかなう訳もない、遺伝子に刻み込まれた狩りの歴史が違うのだ。
左にいた男が槍を持って突っ込んで来るので槍で迎え撃つが、槍の長さも手の長さもカルパスの方が長い。兎人族は圧倒的に不利である。
それを覆すのは素早さなのだがそれ程の動きに切れが見えない。
狩人とは言え狼人族の世界は序列の世界である。序列をめぐる仲間内の戦いは太古の昔から行われてきた。
流石に村を作るようになってからの死闘は禁じられたが、素手による戦いは日常茶飯事に行われ、それで序列を形作っている。
狼人族は槍による対人戦闘の経験はない。しかし武器による対人戦闘は素手の戦闘の延長線上にあり、素手の格闘が強い者は槍の格闘も強い場合が多いものである。
右側の男が子供達に向かって槍を振り回す、動きがあからさまに対人戦の動きだ。獲物を仕留める為に、急所に槍を打ち込む為の躊躇の無い一撃では無い。
あれならセギュムでも相手が出来る。犬耳族の子供を甘く見ない方が良い。
おそらくこの僧兵は対人戦闘の訓練ばかりを受けて来たものなのだろう。それでも狼人族の持つ身体能力には全く追いついていない。
このような相手であれば、軽く受け流している以上殺す危険も殺される危険もない。
ところが真ん中の僧兵はいきなり一直線にリクリアに向かって突進してきた。あまりにも見え透いた動きであった。
右側の僧兵の槍を跳ね上げた後、真ん中の僧兵に対して槍で薙ぎ払う。
ところがその僧兵は槍を躱して地面に自分の槍を突き刺すとそれを支えにして10メートル以上の高さに飛び上がる。兎人族特有の驚異的なジャンプ力で有る。
「しまった!リクリア逃げろ!」
怒鳴った瞬間デジャクが男に向かって槍を投げつける。
ところが僧兵は投げつけられた槍を無視してリリルの隠れている場所に大量の炎弾をたたき込んだ。
リリルの隠れていた場所が炎の塊に包まれた瞬間にデジャクの投げた槍は男の腹に突き刺さった。
「ぐっ!」
苦しそうに顔をゆがめたがあまり深手にはなっていない、力のないデジャクが投げた軽い槍はあまり威力のある物にはならなかったのだ。
瞬間的にそれを読み取ったのか、最初からリリルを殺す事だけを狙ったのか?それはわからないが、その行動に躊躇は無かった。
着地と同時に槍を掴んで引き抜くと、どっと血がほとばしる。僧兵はそれに構う様子もない。それどころか炎に包まれた場所を見てニッと笑う。
【リクリア!】
デジャクが叫んでリクリアのいた場所に駆けつけるが周囲に広がる炎に阻まれている。必死で行方を探るが広がる炎によって視界を妨げられる。
「ボフスラブ、もういい撤退だ!」
仲間から声がかかると僧兵は腹を押さえながら飛び上がり、仲間に合流して逃走を始めた。
元々はリクリアをめぐる攻防である。逃げ出す者を追う理由もなくカルパスも彼らを放置しリクリアの元に駆け寄る。
枯れた草が燃えているのだろう、炎が高く上がっているので近づけないが、カルパスが手から衝撃波の魔法を出し、炎の真ん中に叩き込んだ。
流石に狼人族の大人の作る魔法である。ボンッ!と爆発を起こし炎が吹き飛ばされた。
3人で煙が上がりくすぶる周囲の地面を足で踏み潰して鎮火をさせる。
【リクリア!】
デジャクが駆け寄って周囲を見回すと、木の根本にうずくまるリクリアを見つける。
背中を触ると煤けた頭を上げるが、おかしなことにリクリアの周囲だけ炎の跡が少ない。
「娘よ、無事か?」
カルパスが声をかけるとうなずく。
【よかった、やけどをしている様子もない】
リクリアが立ち上がるとその木の根元は朽ちて穴が空いていた。
「お前は何をしたのだ?」
「僧兵が炎の塊を撃ってきたので風の膜を作って防いだの…」
おずおずと答える。どうやら炎弾を撃ち込まれた瞬間に、風か衝撃波の様な魔法で空気の障壁を作ったようだ。
そして炎が燃え上がった後は朽ちた木の穴に頭を突っ込んで、地面に伏せていたようだ。この年令にしては信じられないほど巧みな魔法の行使であった。
リクリアによれば、魔法の授業は神殿の学校でも教えてもらえるし、元巫女である母親から護身の為の魔法の使い方を教えてもらっていたという。
つまり母親は、このようなことが起こりうると予想していたのだろう。
【おまえたちは逃げたローグを探しに行け】
子供達はふたりで飛び出していった。僧兵がまだ近くにいるかもしれないのに子供達だけで大丈夫なのだろうか?
だが僧兵との戦いに一歩も引かなかったふたりは子供ながら相応の強者なのだろう。それがこの大地における『普通』なのかもしれない。
「台地の神殿というのは仲間内で殺し合うのが常なのか?」
村社会の狼人族に取っては仲間内での殺し合いこそが禁忌である。それを聞いていたのだが、リクリアはそれに答えることが出来なかった。
「いずれにせよリクリアを殺したと思った連中は、もう襲ってくることはなかろう。お前は安心して良い、獣からは我々が守ってやる」
僧兵に襲われたということは、既にリクリアには故郷に帰るという選択肢が無いことを意味していた。
ただ、狼人族がよそ者である自分をこの様に守ってくれるのは何故なのか?この時リクリアには全く理解が出来なかった。