台地の民と大地の民
1ー005
――台地の民と大地の民――
夜中に強い風が吹いてきて目を覚ます。セギュムとデジャクは既に起きており、槍を持って立っていた。
何かがリクリアの名を呼んでいるような気配がする。リクリアにはその風の意味がすぐに分かった。
「翼竜が来る!」
リクリアが声を上げるとみんなが彼女のほうを見る。気配を感じる方を指さすとみんながその方向を見上げた。
葉っぱの無い森の木々の向こうに黒い影が見えた。リクリアは毛皮に頭を突っ込んで震えていた。
【怖がらなくても大丈夫だよ、ボクたちがいるからね】
デジャクがリクリアに寄り添ってくれた。
…あれは…あれは私を探しているんだ…。
【セギュム、デジャク、娘と資材を守れ!吹き飛ばされない様に伏せておれ!】
デジャクが毛皮に潜ったリクリアを上からかばってくれる。セギュムは急いで荷物をまとめ、布にくるんで押さえつける。
地面が振動し風が吹き荒れる。樹に繋がれたローグが暴れて逃げようするのをカルパスが押さえる。
【なぜだ?滅多に姿を見せない瘤翼竜がこのように何度も低くを飛ぶとは?】
枯れ果てた森の上空を巨大な瘤翼竜が滑るように飛んでくる、その体にある鱗一枚一枚が見える程の高さだ。
近付くにつれてますます風と振動は激しくなり、それと共にリクリアを呼ぶような、探るような感覚が激しくなり耳を塞ぐ。
それでもその感覚は無くなることが無い、間違いなくリクリアを探しているのだ。
耳を塞ぎ、目を閉じ、小さく丸まって毛皮の中でがたがた震えるリクリアをデジャクはしっかりと抱きしめてくれている。
ギガンドーグが上空を通過すると、枯れた樹の何本かは折れ、痩せた大地に生えている草は、大きく風にあおられてゆれる。
やがて翼竜は遠ざかって行き嵐は治まった。
【恐ろしい奴である、襲われないとわかっていてもこの様に足が震え全身に汗が流れる】
『…違う、あれはわたしを探しに来たのだ、もしあの呼びかけに対抗できなかったらわたしはあいつに食われていた…』そうリクリアは考えた。
【リクリア、兎耳族の娘よ無事であるか?】
カルパスが毛布をめくってわたしの様子をみる。
目をつぶって、心を閉ざしていたリクリアの目の前に突然巨大な狼の顔が現れた。
「キャアアア~~ッ!!」
リクリアは森中に響くほどの叫び声を上げた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
何かお父さんはものすごく落ち込んで、消えた焚火の前でこちらに背を向けて座っている。
流石に2度目となると精神的落ち込みは激しいのだろうか?背中にものすごい哀愁をにじませていた。
ボンッと手のひらに炎の塊を作って、焚火に放り込む。焚火が一気に燃え上がるが、お父さんの肩は下がって項垂れたままだ。
リクリアの悲鳴が、余程応えた様である。見かけ以上に繊細な心の持ち主なのかもしれない。
「あ、あの…お父さん、ごめんなさい、いきなり目の前に現れた物だから…つい」
リクリアは毛皮に頭を突っ込んだままお父さんに謝った。
「良いんだよ、気にしなくて。兎人族にとってワシら肉食の狼人族の姿は、本能に深く根付いた恐怖が有るものだからな~」
考えてみれば命を救われた相手である。見た目で怖がるのも失礼な話なのだが、やはり怖い物は怖かったのだ。
【父ちゃん、いい大人が拗ねてどーすんだよ、兎が狼を怖がるのは当たり前なんだからさ~】
【おまえ…傷に塩を磨り込むなよ】
セギュムに突っつかれてデジャクが黙る。
カルパスがリクリアの方に向き直ったので、リクリアも起き上がってカルパスの事を見上げる。
物凄い大男なのでまるで山と話をしているような感覚に襲われる。
「兔人族の幼き娘リリルよ、お前はなぜ 瘤翼竜を恐れるのだ?」
瘤翼竜が上空を通過する時の事を思い出して再び体が震えあがる。あの怪物に自分の妹は食われたのだ。絶対に信じられる獣ではない。
「こわい…こわいの…」
あれはリクリアの名を呼んでいた、リクリアを捜していたのだ。
「恐れる事は無い、あの怪物は人に危害を加えぬ」
【ああ、時々飛んでいるけど地上の者を襲ったと言う話は聞いた事が無いよ】
デジャクがやってきては震える私をじっと抱きしめてくれていた。
「あれは台地の使いと聞いている、お前が恐れる理由は無いと思うが…お前は台地から追放されたのか?」
リクリアは震えたまま答える事が出来なかったので頷いた。
「そうか、まあよい、お前が台地に戻りたくないのであればわれらと共に来て村で暮らすが良い」
カルパスはそれ以上の言葉を継がなかった。
どのみち台地には戻れない。神殿の僧兵部隊から逃れる為に父親に突き落とされたのだ。それ故にリクリアに帰る台地はなくなってしまった。
彼女を援助してくれる大地の民にすがって生きて行くしかないのだ。
「いずれ別の台地が村の近くを通る時もあるだろう、その時にはお前を帰してやろう。故郷では無いかもしれないが兔人族の世界だ、それまでは我が村で過ごすが良い、それで良いなリクリア?」
この狼人族は彼女を援助してくれると言っている、父の言った通り彼らは情に厚い種族のようだ。
リクリアはカルパスに向かって頷いた。
「我々は明日台地の通過した土地を見に行き、それから村に帰る。村まではここから3日程かかる場所にある。今日はもう寝るがよい。デジャクとセギュムは交代でリクリアを守る」
子供達二人の事の安全は気にしていない様だ。この森の中で彼らは強者なのかもしれない。
【朝まではもう少しあるから眠ると良い、何が有っても僕らが守るからね】
何故だろう?何故この人たちは同族でもないリクリアの事をこうも守ろうとしてくれているのか?そんな事を考えながら眠ってしまった。
太陽が昇るとすぐに出発した。
ローグと呼ばれる台地にもいた大型の動物に荷物を括り付ける。台地では荷車を引いたり畑を耕すのに使われている魔獣だ。
荷車を使わないとあまり多くの荷物は運べないが、森の様に足場が悪くても踏破できるので荷物を背負って運ばせている。
「角が長くて大きいからぶつけられない様に気を付けろ」
カルパスはわたしをローグの背中に乗せてくれた。頭から延びる角は大きく太く曲がっていて左右を振り向くと私の目の前を移動する。
「ワシらは歩くがお前にはまだ無理だろう、ローグに乗って行くがいい」
「ふたりは大丈夫なの?」
【ボクらはここで育っているからね。ここまでみんなで歩いて来たんだ、この位はへっちゃらさ】
ふたりは槍を手に持って、腰には小さなナイフをぶら下げて元気いっぱいに歩いている。大地ではこれが普通の事のようだ。
デジャクはリクリアと同じ位だろうか?ローグの横を歩き、セギュムはローグの後ろから付いてくる。
ふたりは父親の身長に比べれば半分も無い、それでも大地では自ら武器を持ち獲物を狩っているのだ。
カルパスは2,5メートル位の長さの槍を持ちその矛先は80センチ近く有る。柄もそれなりに太いもので相当に大きな獲物を狩るようだ。腰にはかなり大きな刀をぶら下げていた、革の鞘には模様が刻み込まれている。
道と言えるような物は無いが下生えが少ないので倒木を避けて行けば比較的楽に進むことが出来るようだ。
「こっちは…わたしが来た方向じゃないの?」
「そうだ、我らは台地が通過した後の土地を見に来たのだ。他の村の者も見に来ている筈だ。入植に好ましい場所を早くに確保しなくてはならん」
ダリルの通過した跡地は森も川も食いつくされて平らに均されてしまう。彼らはその均された土地に移り住んで生活しているのだという。
リクリア達が歩いて行くと姿を隠す獣が見える。昨日出会った虫を食べていた獣だ。
【虫食いのヴァミルだよ。あれも結構うまいんだよ】
獣を美味しさで判断すると言う感覚は、リクリアには少し理解しがたい所がある。
【あれは枯れ果てた森の中でも暮らすことが出来る連中だ、群れを作る事はないけどね】
どうやら獣の事を教えてくれているようだが、残念ながら言葉はわからない。
「皆さんはこの森の中で暮らしているのではなかったのですか?」
「うむ、ここでは畑がつくれないのでな、枯れた森で暮らすのはハグレだ。彼らは家族単位で獣を狩って生きていて、時々村に現れて物を交換していく」
確かに樹が枯れる森で畑を作る事は出来ないだろう。この貧しい大地にしがみ付く小型の動物を飼って生きていく人たちもいるらしい。
「皆さんは村は大きいのですか?」
「200人程の人間が住む村だ。アー族全体では50村位があり、畑の作物と獣を狩って肉を食べている」
彼らの種族は1万人位の人口を擁する一族と言う事らしい、台地の人口は5万人位と聞いているから台地の方が少し多い様だ。
台地の上にも獣はいる。畑を耕す力の強い獣や乳を採る獣で草を食べて生きている。
無論、犬の仲間もいる。彼らは牧草を食べる家畜を追っているのだ。ただ彼らは肉を食べない。台地には食べられる肉は無いのだ、そこで彼らには昆虫や魚が与えられる。
台地は幅80キロ、奥行き30キロ程の移動する土地である。
その台地の上で兎人族は農耕を営んで暮らしていて、外敵の存在しない安全な土地で有るとみんなが信じている。
数日前までリクリアもそう信じていたが、それが間違いであるとわかったのは台地から突き落とされた後の事だった。