狼顔のとうちゃん
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――狼顔のとうちゃん――
どのくらいたったのだろうか?目が覚めると自分が毛皮に寝かされていることに気がついた。焚火の明かりが見え自分のすぐ近くに誰かがいた。
焚火を背にして大きな人間が何かをやっている。そこから少し離れたところに大きな4つ足の獣が繋がれているのが見える。
大きさは違うが台地にもいるローグの仲間だとわかる。
【父ちゃん、この娘目を覚ましたようだよ】
自分を見つめる男の子の顔が有った。栗色の髪の毛で寝ていた自分をずっと見ていたらしい。
年頃はリクリアとあまり変わらない様に見えるが、少し大きめの体格をしている感じだ。
しかしその子の見た目は少し違っていた。頭には3角の耳がピョンと立ち上がっている。以前話に聞いた狼人族の子供らしい。
顔の形はリクリアと同じ様につるりとしていて毛が生えていない、違うのは耳の形だけであった。
【グレイキャットは退治したからね心配はいらないよ、怪我はしていないみたいだけど痛い所はある?】
何を言っているのかわからなかったがどうやらリクリアの事を案じてくれているようだ。
「大丈夫…、あの怪物は何処にいったのかしら」
そう答えて体を起こすと頭を振った。先程少年が話しかけた方向には何やら大きな人間が背中を向けて焚火に向かって何かをしていた。
【父ちゃん、この子が眼を覚ましたけど何を言っているのかわからない】
呼びかけに一向に動こうとしない父親に子供は再度声をかける。
山の様に大きな背中を向けていた男がゆっくりとこちらを振り返る。その大男の顔は巨大な狼の顔であった。
「ひえええ~~っ!」
思わず悲鳴を上げて反射的に逃げようとするのを、男の子が慌てた様子で押さえる。
【だ、大丈夫だよ。あれはカルパス父さんだから、槍を投げてグレイキャットから君を助けただろう?】
長く伸びた鼻に毛むくじゃらの顔、目の周りから口の周囲が白く、それ以外はグレイの狼そのものの顔である。
大地の民は台地の民とは大きく姿が異なると聞いてはいたがまさか狼その物だとは知らなかった。
「いや…さっきワシの顔を見てにげだしたからな…」
男はボソッとつぶやいて再び後ろを向く。
今の言葉をリクリアは理解できた。男は兎人族の言葉を話したのだ。
その男は手近に有った木の枝に何かをポンと引っかける。それが先程殺された獣の毛皮で有る事に気が付いたリクリアの背中を寒気が襲う。
大地の民が肉を食うと言うのは本当の事の様だと思った。
台地の民は肉を食べない。無論、台地の上にも獣はいるが、それは全て使役を行う為の物である。
ミルクを取る獣もいるが食肉の習慣は無い。獣が死ねば遺体は感謝を込めて神殿に奉納され供養されるのだ。
【父ちゃんはシャイだからなあ、あまり気にしないで。あっ、ボクはデジャクって言うんだ、キミは?】
デジャクは屈託のない笑顔で語りかけて来る。デジャクと言った時に胸を叩いたのでそれが名前だろうと考えた。
「わ、わたしリクリア…あなた達は大地の民なの?」
身振り手振りを加えるとなんとなく話は通じる。
【そうだよ、君は台地の民だね、僕たちとは耳の形が違うみたいだからね】
「うん?」
残念ながら何を言っているのかはわからなかった。
【その娘はダリルに住む民の兎人族だ、お前たちと違って耳が長く先が丸いだろう】
父さんと呼ばれた狼の怪物がこちらを見ずに声を掛けた。
リクリアとデジャクは耳の形が違うだけで同じような人間の顔をしていた。父親は狼の顔だが子供はそうでは無い。
これが父の言っていた大地の民である狼人族なのだろうか?見た目は恐ろしいが純朴な感じを受ける種族のようだった。
兎人族である台地の民の顔は、リクリアの様に毛の生えていない顔をしており、それは大人になっても変わらない。
だが僧兵達は兎の顔をしている。狼人族であれば狼の顔をした種族がいてもおかしくはないとも考えた。
そう考えれば姿かたちは異形でも、体の中身は普通の人間に感じられた。
デジャクという少年は兎人族の言葉は多少はわかるように見える。リクリアが話した言葉の意味を理解しているように見えた。
大男と子供、ふたりの見た目は全く違う別の種族の様に思える。しかし親し気な話し方をしており、まるで親子のように見える。
その時もう一人の子供が戻って来た。片手に槍を持ち、反対の手に何か植物の様な物をたくさん抱えている。
【父ちゃん、言われた物を取って来たよ。こんな物でいいのかな?】
【おお、セギュム帰って来たか飯の準備が出来たぞ、あっちの娘も目を覚ましてな、きっと腹が減っているだろう】
セギュムと呼ばれた子供がリクリアの方にやって来て、持ってきた物をリクリアに押し付ける。
【お腹が空いただろう、君が食べられそうな物を集めて来たけどとりあえず見ておくれよ】
どうやら食べろと言うことらしい。
その子はデジャクより少し体が大きくみえる。多分兄なのかも知れない。グレイの髪の毛に金色の目をしている。
兄弟だとしても、髪の毛や瞳の色が違う。狼顔とはどういう関係なんだろうか?そんな事もふと考えた。
リクリアの為に取って来てくれたらしい草を見てみると、割合と若い芽を選んできたみたいだ。
とりあえず食べてみるがそれ程美味しいものでは無かった。それでも一生懸命取って来てくれたらしいので感謝して口にいれる。
「ありがとうデジャク、いただくわ」
ニッコリ笑ってお礼を言うと、ふたりともそれを見て嬉しそうな笑顔を見せる。
【ふたり共、肉が焼けたぞ】巨大な狼の声が聞こえた。
【うん、今行く!】
ふたりは父親の所に行って座る。セギュムのいたところを見ると後ろの木の幹に槍が立てかけてあった。
30センチ程の矛先に1,5メートル程の柄が付いている。矛先は鋼で良く研がれ薄く出来ている。
柄は磨かれた固い木で先端部分に革紐がきっちりと巻かれていた。決して子供による手作りの物ではなく専門の職人によってつくられた物だとわかる。ずいぶん使った物らしく握りの部分が黒く変色していた。
向こうでは父親の向かいに兄弟が座ってふたりの顔がこちらを向いている。
父親が背中を向けているのは、こちらを向いているとリクリアが怖がると思っているのかもしれない。
【大地の神グランザード、狩猟の神エルグレード、今日我らにこの血肉を分け与えて下さったことに感謝いたします】
父親の声が聞こえ、3人が何かの容器を掲げると一気に飲み干した。セギュム達の口の周りに赤いものが付いた。
飲み干したのは先ほど倒した獣の血であることに気が付いたリクリアは背筋に冷たい物を感じて総毛立った。
【獲物を倒したお前たちの成長に、贄となった者の心臓を】
ふたりには串に刺された赤黒い肉の様な物が渡される。内臓の一部らしいが、ほとんど焼けてはいないらしく血が滴っている。
それを見た途端に気分が悪くなってきた。しかしこれが彼らの生活なのだろうと思って込み上げる吐き気をこらえる。
次いで火にあぶった肉を取り上げて食べ始めたので私も草を食べ始める。
するとセギュムがチラチラとこちらを見ながら食べているのに気が付いたので、ニッコリと笑いかえすと嬉しそうな顔をしていた。
【セギュム、槍はどうした?】
【え?】
狼男の言葉に目を丸くしたセギュムはリクリアの横の樹に立てかけた自分の槍を見る。
【馬鹿者!いかなる時も槍は手の届くところに置いておけと言っただろう!】
狼男に怒鳴られたセギュムは肉の塊を咥えたまま文字通り飛び上がって槍の所に駆け寄ってきた。やはりこの両者は親子の様だ。
槍を手放せない大地の生活という事らしい。彼らの生活はそれほどまでに危険なものなのだろうか?
【お前は罰として今夜はその娘を見張れ、また獣が来るかもしれんからな】
そう言われたセギュムはなぜかすごく嬉しそうな顔をする。
「心配するな娘よ、セギュムは幼いとは言え狼人族の子供だ。この森の獣程度に遅れはとらん」
どうやら、見張っていないとさっきの獣みたいなのが来るってことなのだろう。
それより今セギュムが咥えているお肉ってさっき殺した獣じゃないの?
【仕方ないな~、リクリアが安心して寝られる様にボクが見ていてあげるよ〜】
ニコニコしながら肉を食いちぎる笑顔が、なぜかものすごく恐ろしい獣のように見えてしまった。
…まさかリクリアを太らせてから食べるつもりじゃないだろうとは思うが。
神殿の教えでは、大地の民は狩猟を行う民であったが、農業の神アスターテの導きで畑を持つようになったとされている。
確かにこの子供たちの着ている服は肩から毛皮を羽織っているが、その下は丈夫そうな織物で作られている。村には機を織る者がいるという事で、それはそれなりに文化的な生活をしているという事を意味していた。
セギュムが肉をもしゃもしゃと食べるので、リクリアも手元の草を食べる。獣の肉と油の匂いでいささか気分が悪くなったのは黙っていた。
食事が終わるとセギュムがデジャクに何かを渡す。
【ほら、デジャク】
【うん、ありがとう】
セギュムが持ってきたのは獣の脂身の部分のようだ。ふたりは枯草を使って入念に槍の穂先を拭くとそこに獣の脂身を良く擦り込んでいた。
【放っておくと血のりで穂先が錆びるからね】
その後枯草を使って手の油をぬぐった後、柄の部分を入念に拭いていた。
金属は放っておくと錆びる事はリクリアも知っていた。どうやら先ほど獲物を突いたので武器の手入れをしているらしい。
【う~ん、突き方を間違ったな〜、刃が少しこぼれちゃっている。村に帰ったら研がなくちゃ~】
刃の部分をよく確認していたセギュムが渋い顔をしている。
【兄貴は心臓を狙って動きを止めたからね、あばらに当たったのかもしれないね】
【お前の方は大丈夫なのか?】
【うん、兄貴が動きを止めてくれたから止めを確実に狙えたよ】
「娘よ今日はもう寝るがよい、明日はもう少しましな物を食わしてやれるだろう」
父親が後ろを向いたまま話しかけてくるので兄弟に促されて目をつぶった。
「セギュムは寝ないの?」聞いてみるが通じただろうか?
【僕も寝るけど、狩りに出た時は眠りを浅くして何かが近づいてきたら音で目が覚める様にして寝るのさ】
デジャクはリクリアの横に座ると、座ったまま槍を抱いて目を閉じた。あとのふたりは木の根をを枕にして横になった。ふたりとも体の横には槍を置いている。
どうやら大地というのは、この様に危険な場所らしい。