0-8
次の朝。
娘は目を覚ますと、前日と同じように窓に張りついて窓の外を眺めた。今日も空は晴れていて、雲一つない。そしてやはり、前日と同じように向かいの部屋にはツカサとケントの姿があった。
ふと、娘は一階に視線を移した。昨日は開いていなかった大きな扉が開いたままになっており、その奥に人の姿があった。二人の女性が並んで何かを話している。それから別の部屋ーー椅子がたくさん並んでいる部屋ーーに座っている人の姿もあり、昨日とは違って何人もの人の姿があった。
昨日は眠っていた人々が、今日は目を覚まして活動をしている。
娘がそんなことを思うと、ツカサとケントの部屋に人が入ってきた。その人は部屋の中央にあるソファに座り、ツカサに向かって何かを話しているようだ。表情には活力が無いものの、ヘラヘラと笑みを浮かべている。
しばらくすると、ケントがデバイスを見つめながら壁にびっしりと並ぶ小さな引き出しを開けたり閉めたりして、何かを少しずつ取り出している。それが終わると、取り出したものを袋に詰めて、ソファに座る人に手渡した。その人はケントに小さく頭を下げてから立ち上がり、ツカサにも小さく頭を下げて部屋からそそくさと出て行った。
ずっとツカサは娘に背を向けたままで、今日も娘の視線には気が付かない。そのうちに、ケントが引き出しを開けて小さな赤い蓋の瓶を取り出すと、その瓶をじっと見つめた。ケントは真面目な顔をして、瓶を小さく振ったり傾けたりしている。
瓶の中には何が入っているんだろうか。娘がそう思うと、突然ケントが娘の方へ顔を向けた。表情ひとつ変えないままケントは瓶を持つ手を下ろすと、ツカサの方を向いて何かを話した。そうすると、ツカサがくるりと椅子の向きを変えて、昨日と同じように手を小さく振った。
娘が手を振ると、ツカサはすぐに手を振るのを止めて、くるりと椅子の向きを変えて元の位置に戻ってしまった。すると、またケントが昨日と同じように部屋の奥へ消えて行く。娘はハッとして、背後に振り返り、自分の部屋の扉を見た。
ケントが来る!
そう思うと、娘は扉の前に行こうとしてベッドから降りる。すると、開いたままのクローゼットの中に、白い服が掛けてあるのに気が付いた。明らかに患者衣ではない裾の長いワンピースだった。
娘が白いワンピースに着替え終わる頃に、ケントが扉をドンドンと叩いた。
「開けるぞ」
昨日とは違い、ケントは娘の返事を待たずに扉を開けた。ほぼ同時に着替え終わった娘は緊張してピンと立っていたけれど、ケントは扉の近くにある棚の上に、何枚かの服をバサッと置いた。
「行くぞ」
ケントは娘の姿を確認することもなく、さっさと部屋を出ていこうとするので、娘は急いで後を追いかけた。ケントはツカサのように優しく手を引くこともなく、気の利いた言葉をかけるどころか、笑顔ひとつ娘に向けることはない。
娘をツカサの所に連れて行くことは一つの作業であり、引き出しから何かを取り出すのと同じようなものであって、あの小さな赤い蓋の瓶のほうがよっぽど、ケントのお気に入りなのかもしれない。
そう思うと、娘は前を歩くケントの服の裾をぎゅっと掴んだ。突然のことに驚いて、ケントが振り返る。娘はじっと不機嫌顔のケントの目を見つめながら、なんとか言葉を絞り出した。
「自分で、行ける」
ケントは眉間に皺を寄せて、口を半開きにした。娘の言葉の意味を少し考えてから、その薄っぺらい口を閉じる。
「わかったから、離せ」
娘は慌てて手を離しながら、小さく頷いた。ケントはそれを見ることもなく、重そうなブーツを引きずるように歩いていく。小さく舌打ちする音が聞こえて、娘は口をぎゅっと詰むんだ。
ケントは、口がとてもとても悪い!
娘は少しムッとしながら、ケントの背中を追いかけた。