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建物の正面を通り過ぎて少し進むと、ケントが腕を組み、車にもたれかかって立っていた。艶々した黒い車は、ケントよりも少し背丈が低い。


「ありがとう、ケント」


 ツカサが車の後部座席のドアを開けて、娘と繋いでいた手を引いて車に乗るように誘導した。娘がツカサの顔を見上げると、ツカサはにっこり微笑んだ。


「さぁ、乗って」


 娘が頷いてから、ゆっくり車に乗り込むと、ツカサが外からドアを閉めた。ドンという重たい音と、空気がぎゅっと押し込められたような感覚は独特で、娘は思わず目を閉じた。すぐにガチッと音が二つ聞こえて、ケントが運転席に、ツカサは助手席に乗り込んだ。娘は目を閉じて重たい音を2回も聞いた。その度に娘は目を閉じて、空気が分断されるようなギュッとする感覚に耐えた。すると今度はエンジンのかかる音が聞こえて、電子機器が順番に自動音声と通知音を鳴らし始める。


 娘は驚きながらも、車の中をあちこち見渡した。然程広くもない足元に砂がぽつぽつ落ちていて、踏むとジャリッと音がした。車の中は独特の匂いがして、窓ガラスに少し色が付いているせいか、外が薄暗く見えた。すぐ前の座席にケントが乗っているので、その頭が見えていて、爽やかな香りがする。娘は自分の髪を少し手に取ってくんくんと匂いを嗅いでみたけれど、ケントの頭のようないい香りはしなかった。


「どこに行きます?」

「そうだな、この娘の記憶の鍵になるものを見たら、何か思い出すかもしれない。適当に走らせてくれるかい」

「リョーカイです」


 ケントがハンドルをぐるぐると回して、車は動き出した。娘はあの部屋で目覚めたときに一望した景色の中に自分がいることを確かめるように、じっと窓の外を見つめた。さっきまでいた建物が、あっという間に遠ざかっていく。砂の道はなくなって、黒く舗装された道に変わる。たくさんの建物があるのに、道を歩いている人はいない。建物だけがずらりと並び、この街にはツカサとケント以外の人なんて存在していないんじゃないかと娘は思った。しばらく走っていくうちに、小さな建物が幾つも並んでいる景色から、大きな四角い箱のような建物ばかりが並ぶ景色へと変わった。


 箱は幾つも連なっていて、娘は自分が小さくなってしまったような気がした。それほどに建物は大きくて、壁が見えるばかりで屋根が少しも見えやしない。どれも無表情で、何の命の気配もない。


「この辺りは工業地帯だからね、景色も変わり映えしないね」

「この街じゃ、何処も似たようなものじゃないっすか」


 ツカサとケントが話すのを聞いて、娘は運転席と助手席の間に乗り出してみた。


「人がいない」


 娘の呟きに、ツカサがちらりと後ろに振り返って微笑んだ。


「そうか、君はそんなことも忘れてしまったんだね」


 そう言うと、ツカサは外の景色を確かめるように前に少し乗り出した。


「此処らは工業地帯だから尚更、人が歩いていることはないかな。この時間じゃ、みんな建物の中にいるだろうしね。夕方とか朝方なら、少しは人を見かける時もあるだろうけど。もっとも、皆すぐに車に乗ってしまうから、見かけるといっても乗り物の方かな……」


 ツカサが姿勢を戻して、背もたれにゆっくりと戻った。ケントは運転しながら、運転席の近くにある画面に触れた。電子音がピピッと鳴って黒い画面に地図が表示された。


「もうちょい中心に近付けば、人もいるんじゃないっすか」

「それはそうだろうけど、この娘は歩いていたんだ。中心に記憶の鍵となるものがあるとは思えない」

「それはどうですかね。もしかしたら……」


 ケントが途中で話すのを止めて咳払いをする。


「いや、なんでもねぇっす」


 今度はツカサが画面に触れて、地図を操作した。ピピピ……と電子音が鳴ると、円形の街が表示された。


「何度見ても違和感しか無いね」

「そっすか」


 ツカサがフッと鼻で笑う。娘は画面を見つめて、少し頭を傾けた。


「先ず、この街が巨大な砂漠の中にあるということがそもそもおかしい。オアシスというわけでもなく、緑は街のどこにも存在せず、草の一つも生えていない。茫漠として広がる砂漠の中に、百八十平方メートル程の大きさの都市が存在しているんだよ」


 ケントはデバイスを操作して、ツカサの話を遮るようにピピッと電子音を鳴らす。画面は円形の街をズームアップし、今いる場所を平面図で表示した。


「ま、おかしくても存在してることは事実ですから」


 そう言うと、ケントはもう一度画面を操作した。すると、平面図が俯瞰図へと切り替わる。進行方向の先に、高い建物がずらりと並んでいるのが画面に表示された。


 街の中心地は高層ビルが目立つ区域となっている。その周囲に、それほど大きくもないマンションや様々な工場があり、建物の高さも中心地から離れるに連れて低くなっていく。そして、この街の外は、どこまでも続く砂漠だ。そんなことは、この街に住むものであれば誰もが知っている。


「そうだ、獣のことは覚えているかい」


 娘は、ゆっくりと首を傾けた。


「この街には、毎晩のように砂漠から獣がやってきて人を襲う。だから夜間は外出することは禁止されている。どの家も分厚いシャッターを閉じて、夜は獣から身を守るんだ。一部の者を除いて、ね」


 娘は目をぱちぱちと瞬きさせながら、窓の外に視線を移した。広い道路の向こうに、箱型ではない建物がちらちらと見えてくる。でも、どこにもそんな獣の存在を思わせるような物など存在しない。


「雨の日は、獣がほとんど出ないから、僕は雨の夜に散歩を楽しむんだ。そこで君と出会った、というわけだよ」


 ケントがフゥッと吹き出すように鼻で笑った。それに合わせてツカサもククッと笑う。娘はその意味がわからず、首を横に振って交互に二人を見た。


「でも、雨の夜とはいえ獣が出ないとは限らない。獣より先に僕が君を見つけたのは幸運だった」

「ま、そりゃそうっすね」


 娘は二人の言葉の意味を考えることをあっさりと諦めると、座席を滑るように移動してケントの後ろに戻った。横の窓から外を眺めるほうが、それよりもよっぽど良いことに思えた。いつの間にか、周囲には何台かの車が並んでいる。どの車の窓も黒く反射して、こちらから人の姿は見えない。すれ違う車もあるのに、どの車にも人の姿は見えなかった。


 そして、周囲は高い建物ばかりになった。灰色や黒っぽい建物がびっしり並んでいるけれど、どの建物も中が見えない。


「この辺りの窓硝子は発電しているから、こちらからは中が見えないんだよ、その方が発電効率が良いからね。ウチのように外から見える硝子を使うところはあまり見かけないね」


 ツカサがそう呟いたとき、甲高いエンジン音がどこからともなく聞こえてきてた。娘が後方を見ると、バイクが高速でケントの運転する車を追い越して行った。


「はやい」


 バイクの運転手はヘルメットを被っていて顔は見えなかったけれど、確かに人の姿だった。


「人がいる」


娘がそう呟いた途端に、ショップの前を歩く人、日傘を挿して進む人、建物の前で何かを待つ人――様々な人の姿が車窓に映り込み始めた。

街が、静かに呼吸している。

それを感じるたびに、ここは確かに人のいる街なのだと、娘の胸の奥の不安が少しずつほどけていった。


「何か、思い出したかい」


 ツカサの言葉に、娘はハッと我にかえってツカサの横顔を見つめた。ツカサは娘の方へ振り返って、にっこりと微笑む。


「焦ることはない。これからゆっくり回復していけばいいのだからね」


 娘が答えるよりも先にツカサが話してくれたので、娘は小さく頷くだけで話が済んだ。そしてまた、娘は外の街並みを見つめた。娘はそうするべきだと思った。ツカサが忘れたことを思い出すべきだと思っているような顔をしているから、その期待に応える素振りをするべきであると思っていた。


 でも、そんなことはどうでもいいのかもしれない。この車の中は、外の世界とは分断されていて、混じることはないのだから。忘れてしまった記憶と同じように。


 ツカサとケントが他愛もない話をしているうちに、建物の高さが低くなっていき、人のいないエリアへと戻ってきた。娘は窓に張り付いて、横に流れていく景色を黙って眺めていた。記憶の鍵を探すという目的でさえ、この車に乗る誰もが重要な目的だとは思ってもいない。


 まだ日は高く、日差しが砂を焼くように降り注いでいるけれど、この街の気温は高くない。部屋の中を照らす灯りのように、ただ昼の街を演出しているに過ぎない。その日が西の砂漠に沈む頃には、人の姿はこの街から消える。


 薄暗い街灯が夜の街をぼんやりと照らす頃には、四本足で歩く獣が街を徘徊する。娘はそんなことは服を着ることと同じことのように知っていた。もっとも、この街に住む者でそれを知らない者はいないのだから、それは何ら不思議なことではなかった。


 娘は自分の部屋に戻ると、ベッドの上で向かいの建物のツカサを見て過ごした。昼と同じ椅子に座ってデバイスに向かい何かをしているだけであったけれど。ドリンク剤を飲んでしばらくすると、娘は頭が重くなってきて、ベッドに転がる。まぶたを閉じると、横に流れていく景色を思い出しながら眠りについた。

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