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 次の日も、娘は部屋から出ることはなかった。眠っている時間も長かったけれど、起きているときには部屋に置かれたデバイスを弄るか、窓の外の景色を眺めて過ごした。景色といっても、隣の建物の壁が見えているだけだったけれど、時間ごとの陽の光の変化であったり、風に吹かれて地表の砂がさらさらと動くのを、飽きもせずじっと眺めていた。


 夜になるとツカサがやってきて、昨晩と同じ質問をした。けれど、やはり娘は自分の名を言うこともなく、どこから来たのかも答えなかった。娘自身の意志で言おうとしないのではなく、本当に忘れてしまったので答えられないのだろう、とツカサは判断した。


 その次の夜。


 ツカサは3番の部屋に行くために、階段をコツコツと降りていた。小脇には何本かドリンク剤を抱えている。静かな廊下を進み、角を曲がったところでツカサはぴたりと立ち止まった。


「こんなところで何をしているんだい」


 ツカサの視線の先には、ケントが腕組みをして壁にもたれかかり、冷たい視線を向けて立っていた。がっしりとした体格のいいケントがいるだけで、廊下は通行止めになってしまう。


「それはこっちの台詞です。そんなものを持って、どこに行くつもりっすか」


 ケントが、3番の部屋の扉に視線を移し、赤いランプを見つめる。


「何日か前から、この部屋に誰かいるのは知ってました。けど、俺に隠す理由は何すか」


 ツカサは一瞬驚いたような顔をしたものの、目を細めて口角を釣り上げた。


「さすがだね、やはりケントは気付いていたんだね」


 その様子を見て、ケントが呆れ顔で小さくため息を吐いた。


「ボス、いい加減にしてください。それとも今はツカサさんと呼ぶべきですか」


 名を呼ばれて、ツカサは視線を泳がせる。


「ケント、キミに隠すつもりはないよ。ただ気になることがあって……」


 ツカサが言葉をつまらせると同時に、ジジッと耳障りな音が二人の間を駆け抜けた。ツカサはハッとして、扉の横のボックスを見つめた。ケントもそれに釣られるようにボックスを見ると、赤く灯っていたはずのランプが青く光っている。


「どうやって? 鍵は外側から……」


 ケントが呟くのと同時にガチャッと音がして、3番の扉がゆっくりと開く。ケントは反射的に喋るのをやめて、その扉を見つめた。


「騒がしくしてしまったね。体は大丈夫かい」


 ツカサが、扉の向こう側にいるであろう娘に話しかける。ケントとツカサが訝しげに扉が開くのを見つめていると、扉に寄りかかりながら、裸足で何の飾りげもない患者衣を着ている娘が姿を覗かせた。娘は初めて会ったケントを上から下までじろじろと見ているけれど、その顔に表情が無い。少しの沈黙の後で、ケントは何かを理解して、ふんと鼻息を吹き出すとツカサのほうへと視線を移した。


「ツカサさん、患者を入院させたなら、そう伝えてもらわないと困りますよ。ま、べつにいいっすけど」


 ケントは組んでいた腕を下ろし、ゴツゴツと重たいブーツの足音を立てて歩き出す。


「待って」


 娘がケントを呼び止めるけれど、ケントは振り返ることもなく、片手を肩の横でひらひらと動かして、そのまま去っていった。ツカサが扉に手を掛けて娘に微笑みかける。


「大丈夫、さぁ部屋に戻ろうか」


 娘はツカサ越しにじっとケントの背中を見つめていたけれど、ツカサに背中を押されて部屋に戻った。


「ツカサさん、ツカサさん」


 ベッドへと小走りになりながら、娘がつぶやく。ツカサも部屋に入り、小さなテーブルに持っていたドリンク剤を並べた。


「そう、僕の名前はツカサだよ。覚えてくれたんだね」


 娘はベッドの脇でくるりと向きを変えて、すとんと腰を下ろした。


「外側からね、鍵を開けるの」


 娘の呟きに、ツカサは微笑んだまま、なるべく表情を変えずに娘を見た。この部屋は外側からは鍵をかけられるが、内側からは解錠することはできない。ツカサはそれを娘には説明していなかったが、一度でも外に出ようとすれば自動音声が流れるので、そのシステムそのものは娘が知っていた可能性はある。だからといって、内側から開けるためにはツカサかケントの持っているIDが必要で、娘がどうやって解錠したのか、ツカサには全く想像ができなかった。そんなツカサの躊躇する様子を楽しむかのように、娘はいつのまにかニィッと笑っている。


「施錠及び解錠は室外に設置されているセキュリティボックスをご利用ください。この設定を変更するときはマスターキーをご利用ください」


 娘の言葉は、セキュリティシステムのそれそのものだ。でも、娘がそんなものを知るはずがない。ツカサはあからさまに表情を曇らせた。


「セキュリティレベルを変更しました」


 娘とツカサが見つめ合う。機械音声を真似て喋る娘の言葉には抑揚もないけれど、その表情にはツカサを驚かせようとする魂胆が見て取れる。いつもどこかうわの空だった娘が、今ははっきりと意識と感情を持って、ツカサを見つめている。


 これが本来の娘の人格なのか。それとも、もっと別の可能性があるのか。それを判断するにはまだ材料が足りていない。それに、この部屋のセキュリティ設定をIDも使わずに変更できるほどの知識があるとすれば--ツカサはその知識は持っていないので殊更に--興味を引かれた。


「何を言っているんだい」


 娘は両手を膝の上に置いて、首を傾けて畏まる。


「えへへ、すごいでしょう」

  

 娘が笑う。その表情に、その動きに、意識と感情を伴いながら笑っている。一時的な記憶障害、人格障害……様々な可能性を考慮しながら、ツカサは娘が話すのを、身振り手振りを観察した。


「もう一度、設定を変えてみたらどうなるのかな。内側からは開けられないでしょ」


 娘は流暢に言葉を紡ぎ、ぱちぱちと瞬きをした。ツカサは口角を釣り上げて、昨夜と同じ笑顔を作り、娘に歩み寄る。


「内側からでも、僕かケントのIDを使えばいい。出られなくなるなんてことは無いよ」


 娘は笑顔を消して口を尖らせると、ベッドにころんと転がった。


「なぁんだ、残念。せっかく閉じ込めたと思ったのに」


 ツカサは顎に手を当てて、鼻で笑った。


「閉じ込めるって、僕のことを閉じ込めたつもりだったのかい」


 ツカサはベッドに転がる娘を見下ろした。娘は天井を見上げていたけれど、つまらなさそうに目を細めた。


「今日は、どんなお話をするの」


 少しぶっきらぼうに娘が呟く。ツカサは娘の変化を愉しむかのように、まじまじと娘を観察しながら、娘のすぐ脇に腰掛けた。


「そうだね、僕が一番知りたいのは、キミがどこから来たのかということかな。この左側の街のどこかに、君を探している人がいるかもしれない」


 ツカサはそう言うと、目を細めた。それは真実だった。娘が自ら雨降る夜に外に飛び出したのであれば、娘を心配する者がいても不思議ではない。


「わたしはあなたに会う前の記憶を、あの雨の中に置いてきたの。だから何も覚えていないの。本当よ」

「それじゃあ」


 ツカサは扉を見つめながら、真顔になる。もうこの部屋は使えない。もう一度セキュリティをかけ直したところで無意味だし、何よりもこの部屋に娘を閉じ込めておく理由がなくなってしまった。


「雨の日なら、君の記憶は戻るのかい」


 娘は天井を見つめてから、静かにまぶたを閉じた。


「そんなの、雨が降ってみないとわからない。でも大丈夫よ、わたしは生きるためここに来たの。だからあなたたちは、命の恩人」


 ツカサは黙っていた。今日の娘の言葉はいつもよりも朗らかなのに、話の内容がまるで飲み込めない。わざわざそのような言葉を選んでいるのか、それともツカサに理解できるだけの知識がないのか、判らない。ただ、得体の知れぬ者というのは、とても興味深い存在だった。 


「わたしを助けてくれてありがとう。美味しい飲み物をくれてありがとう。静かな部屋に居させてくれてありがとう」


 娘がまぶたを閉じたまま話すと、ツカサは口元を手で隠してベッドから視線を反らした。


「うん、そう思ってくれるならいいんだ」


 ツカサは視線を反らしたまま立ち上がった。そして、少しの沈黙の後、テーブルの上に置いた栄養剤を何本か手に取って小脇に抱えた。


「君に、特別な部屋を案内しよう。この部屋には何も無くてつまらないだろう」


 娘はベッドに手をついてゆっくりと起き上がる。ひょいとベッドから立ち上がると、患者衣の裾を整えた。


「欲しい物は無いかい? どんなことをしたい? 望むものは何でもあげるよ」


 あの雨の夜と同じように、自分に手を差し伸べながら微笑みかけるツカサをじっと見つめてから、娘はにっこりと笑う。


「なんにも要らない。だって、全部持ってるもの」


 ツカサは飛び出しそうになる言葉を自分の脳内に留めながら、自分の掌に乗せられた小さな手を握った。


 自分の名前さえ忘れてしまったという娘の持っているものが何なのか、ツカサには理解不能だった。それでも、一度繋いだその手を離してはいけないということだけは、どこかで理解していた。

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