気のせいにして
今日の“しろかえで”はオトナ女子を演じてみます( *´艸`)
一つ手前の駅で降り、待ち合わせ場所に指定した駅前の古びた喫茶店の前に立つ。
店の正面はドアもガラスも濃いオレンジ色で、中は本当にぼんやりとしか見えない。
でも営業時間がAM8:00~PM5:00のこのお店にはもう殆ど客は居ないはずで、落ち着かず外を眺めている感じの背の高い影は、きっとカレなのだろう。
愛しさと切なさと罪悪感が私の胸を突き、肩に掛けた夏向きのトートーの紐をキュッ!と握る。
「行かなきゃ!」
ため息を帯びた左手を白くて丸い押し板に置き、私はオレンジのドアを押した。
すると影は色を成し、愛しい笑顔の遼くんになった。
「莉奈さん!」
不用意に私の名を呼ぶカレのあどけなさに私は内心ドキドキする。
絶対に知られてはいけないから、わざわざ家から離れたところへカレを呼び出したのに……
どうしようもない子!!
“諦め”の微笑みを上塗りして、私はカレの席に歩み寄る。
カレは銅のタンブラーの中でカフェオレみたいな色になっているアイスコーヒーのストローを一口咥え、私が席に着くのを待っている。
「ごめんなさいね。 遼くん!大学……大丈夫?」
「うん、今日の講義は午前中だけだし、サークルなんかどうでもいいし……」
「そんな事ないでしょ! サークルには真衣ちゃんもいるし」
カマを掛けてしまった……
この期に及んでまだチリチリとヤキモチを焦がす私はどうしようもないオンナで……
そんな私にカレは真っすぐの目で応えてくれる。
「彼女は同じサークルってだけだよ。だから『し処亭』にもサークルの飲み会でしか連れて来た事ないし……」
「でもこの間見かけた時は、真衣ちゃん!遼くんの事、熱く見ていたわよ。気付かなかった?」
「気付く訳ないよ! あの時もオレ!ずっと莉奈さんの事、見てたんだから!」
彼の言葉の熱量が私の耳を擽り、身の内を点火させて……私は頭の中で徐々に大きさを増す“背徳の囁き”に抗えなくなって来る。
差しつ差されつつしていた吟醸酒が微かに香った……昨日のキスの味がまざまざと思い出される。
それはカレとのファーストキス
砂を噛む日常の眩暈の中で見つけた蜃気楼のオアシスに……私の手が届いた瞬間!!
我を忘れずに居られようか?!!
それは……未だかつて味わった事の無い甘さで私の全てを揺り動かした。
今朝になって……自分の起こしてしまった仕儀に罪悪感を覚えた時ですら、『もうダンナの息は吸えない』と思ってしまった程だ。
『もしもカレと繋がったなら……』
昨日から同じ妄想を何度も繰り返し、その妄想だけで私は溶け、それこそが“罪悪”と思い返してまた凍った。
今ここで止めにしなければ……
今ここで断ち切らなければ……
もう引き返せなくなる。
“臆病で無能”な大人は“分別”の陰に隠れなければ
生きていけない。
私はまるで
空を割って伸びているタワーの50cm四方の突端の上に立たされている様で
ささやかな風ですら
眩暈の揺れを起こす。
そして
360度、どこへ倒れても
それぞれの奈落へ落ちて行くのなら
遼くんを巻き込む事はしない!!
私は必要以上にこちらを窺っている年配のウェイトレスを呼んで“ブレンド”を注文した。
コーヒーカップをのせたソーサーとステンレスのミルクピッチャーが目の前に置かれ、ウェイトレスの視線が私達から剥がされてから
私は用意して置いた言葉を努めて無表情に読み上げた。
「昨日はごめんなさい。
私は酔っぱらってサカってしまったの
ホントにみっともない話で
遼くんには申し訳なかったんだけど
きっとオスなら何でも良かったの
それこそ、カウンターの端っこに鎮座している信楽焼たぬきの置物でもいいくらいに。
だから……
あなたにキスした事は
気のせい……
無かった事にして欲しい!!」
ガッ!!
いきなりカレから腕を掴まれた。
「そんなのウソだ!! 莉奈さんは言った!! キスしながら!!
『ずっとずっとあなたが好きだった、もうダンナのところには戻りたくないって!!』」
食い下がるカレの言葉に私は弾かれるように笑った。
「ダメよ!! イタイ女の虚言に惑わされちゃ!! 言ったでしょ!『一時のサカリ』だって。それが証拠に私……サッサと“おあいそ”済まして帰っちゃったじゃない! ホントにあなたとどうにかなりたかったらお持ち帰りでも何でもするわ! あの店の三軒先のラブホで!」
「違う!! 昨日はもう遅かったし、莉奈さんが外泊するわけにはいかないからだ!」
「そうよ! 当たり前じゃない! 私、今年いっぱいで会社辞めるつもりなの! それはね!もう子供を持ちたいから!! だから他の男性はダメなの!! 今日もこれからダンナと子作りするの!!」
思いっ切りまくし立てて言葉をぶつけたら……
カレの頬を涙が伝った。
私は訝しがるフリをして、その“宝石”を何も着けていない左の人差し指の背で撫でた。
「あ~!! オトコの涙なんて!! みっともなくて目が腐る!!」
テーブルの上に千円札を残し、私は一気にドアを押し開けて、彼を振り切った。
踏切のカンカン鳴る音が聞こえ、私は駆け足で改札を抜け、電車に飛び乗った。
僅かひと駅の間だけ、俯いた私はパンプスに涙の雨が落ちるのを見ていた。
早く“言葉”を本当にしたかった。
『嘘から出る誠』にしたかった。
済まないとは思えないけれど、私の子供を育て父となってくれる人にはある程度の義理を果たし、礼節を尽くさねばならない。
その一環として……私は今夜もダンナを受け入れる。
今はもう……ダンナとの“事”の最中に、遼くんの顔や匂いやキスが……頭を過らない様にと
願うばかりだ。
おしまい
やっぱり“遼くん”を棄てるのはもったいないと思う私はダメダメです(^^;)
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