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第2部・第2話:美貌の悪魔 第3章

「――!?」

 突然眠りを破られて、ルカは激しく瞳を瞬かせた。

 広めのシングルルームは、ベッドに入った時と変わらず薄暗いまま。具現化してからこちら、寝る時は必ず成獣体でルカの部屋に陣取るレフは、ルカの足元で爛々(らんらん)と目を光らせているようだ。

 その視線の先――部屋の扉の隙間からは、光が差し込んでいた。ひそめた声での言い争いは続いている。何事かあったのは間違いない。

「……レフ!」

 一気に覚醒したルカは、慌てて起き上がった。レフも心得たもので、ルカに向かって跳躍しながら、ぬいぐるみ体に変異する。肌触りの良いレフを肩にしがみ付かせて、ルカは部屋を飛び出した。

 オフシーズンの町の宿には魔王斥候隊(せっこうたい)以外の宿泊客はおらず、メンバーは全員2階のシングルルームを借りている。廊下にひと気はなく、話し声は吹き抜けの階段前に設置された談話スペースから聞こえてくるようだ。

 そこには既に、ルカ以外の全員が、夜着のまま揃っていた。――その輪の中心で、一人掛けのソファに着かされ、拗ねたような顔で俯いているのは、昼間町長の娘だと紹介された女性だろうか。ユージーンの美貌に魅了されていた一人だ。闇色(やみいろ)のストレートボブから覗く細い首が、白く美しい。

 彼女の足元には、ベリンダが困惑した様子で腰を落とし、気遣うように腕を擦っている。向かいではユージーンが頭痛を堪えるように額を押さえ、その隣でジェイクが憮然とした表情で仁王立ちしており、ネイトとフィンレーは少し離れた位置から事態を見守っていた。

 窓の外は真っ暗で、置時計の針も夜半を少し過ぎた辺りだ。宿泊者でもない女性がなぜ、と(いぶか)りながら、ルカは取り敢えず、ネイトとフィンレーに近付く。

「――どうしたの?」

「いや……」

 ルカの問いに、口籠ったのはフィンレーだ。その様子から、状況の理解は出来ているらしいが、口にするのを(はばか)る事情でもあるのだろうか。

 代わりに答えたのはネイトだった。

夜這(よば)いのようだよ」

「え!?」

 耳元でこっそり囁いたネイトは、明らかに面白がっている。では、ユージーンが頭を抱えているのはそのためなのか。初対面の男性の寝室を訪れるというのは、若い女性にとって、結構な醜聞(しゅうぶん)だろう。どうりで、腫れ物に触るような空気が漂っている訳だ。

 思いも掛けない事態に、ルカは目を見開いた。それを見たフィンレーが「もう少し言い様があるでしょう」と窘めるが、ネイトは「どう取り繕っても事実は代えられませんよ」と肩を竦める。――いやはや、何とも。

 町長の娘は、どうやってか、宿の中に潜り込んでいたらしい。人々が寝静まる頃を見計らって、ユージーンの部屋に忍んでいった。当然ユージーンが歓迎するはずもなく、二人は部屋の前でしばらく揉める。

 この時、水を貰うために部屋から出てきたのがジェイクだった。他人に見られることを恐れた娘が火事場の馬鹿力を発揮し、ユージーンごと押し籠める形で部屋の中に侵入したために、激しい抵抗が起こる。

 これを聞き付けたジェイクが、もしや襲撃かとユージーンの部屋のドアを叩いたために、全員が起き出してくる羽目になったようだ。

「なぜこんなことを……」

 大きく溜め息をついて、ユージーンが呟いた。それは町長の娘に対する問い掛けではなく、完全なるぼやきだ。

 モテるって大変だなぁと、ルカが改めて幼馴染みの苦労を思い遣っていると、ベリンダが美しい眉根を困ったように寄せて、娘を諭した。

「もっと自分を大切にしなくてはダメよ」

「っ、だって……」

 頬を染め、何事か言い返そうとした町長の娘は、恥ずかしそうにユージーンをチラリと見遣る。そうしていれば可愛らしいと言えなくもないが、まあ、「田舎町の美人」といったところだろう。ユージーンに露骨に視線を逸らされ、ようやくシュンとうなだれた。

 ――宿の玄関が開いたのは、その時だ。

「――あれ。皆さん、お休みじゃなかったんですか!?」

 吹き抜けのエントランスからこちらを見上げて、素っ頓狂な声を上げたのは、宿の主人だった。自邸に黄金のベリンダ一行が宿泊することを何より喜び、手厚く歓待してくれる気の良い人物だが、彼こそこんな夜中にどこへ行っていたのだろう? 進み出て、挨拶がてらエントランスを見下ろすと、背後に若い女性を一人従えている。

 「ええ」と、ベリンダは曖昧に頷いた。町長の娘の将来を考えれば、事は公にしないことが望ましい。心苦しいが、ここはこのまま彼をやり過ごし、あとでこっそり自宅まで送り届けるのが得策だろう。「そちらのお嬢さんは?」と続けたのは、話題を逸らす以外の目的はなかったはずだ。

 しかし主人は、言いにくそうに言葉を濁した。

「いやぁ、それが……どうも、お弟子さんが目当てだったようで」

「!?」

 目を剥いたのは、当のユージーンだけではなかった。並外れて美しい彼は、どこへ行っても女性達の注目の的だが、町に到着したその日のうちに、実力行使に出る女性が二人も出るなんて、前代未聞だ。

 主人の話によると、消灯前の見回りの最中、庭を不審な影がうろついているのを発見した。捕まえてみれば、近所の洗濯屋の次女で、こちらも何とかユージーンと接触できないものかと忍んできたらしい。ひとまずは落ち着かせてから送っていこうと、屋内へ連行したところだったそうだ。

「…………」

 呆れたように、ジェイクが首を横に振った。ルカだけでなく、居合わせた全員が同じ気持ちだっただろう。いくら好みの相手が目の前に現れたからといって、同意も得ずに寝室に押し掛けるなど、言語道断だ。ましてや嫁入り前の娘、これが露見すれば、今後自分にどんな悪評が付いて回ることになるか、考えられないものだろうか。あまりにも浅慮が過ぎる。

「――何ですって!?」

 女性の這うような呟きが聞こえて来て、ルカはハッと背後を振り返った。町長の娘が、闇色の髪を振り乱して立ち上がる。宿の主人の連れた洗濯屋の娘を確認して、(まなじり)を吊り上げた。

「あんた、恥を知りなさいよ!」

 どの口が言うんだ、というツッコミを、全員が飲み込んだ。主人は女性に恥をかかせないように言葉を濁していたものの、同じ動機で忍び込んだ町長の娘には、見逃し難いものがあったようだ。

 当然ながら、洗濯屋の次女は「ハァ!?」といきり立った。

「あんただって目的は同じなんでしょ! あんたにだけは言われる筋合いはないわよ!」

 何とも(もっと)もな言い分だ。しかし、階段を駆け下りた町長の娘はそれを黙殺して、高圧的に言い放つ。

「あんたなんかが相手にされるとでも思ったの!?」

 狭いコミュニティで大事にされてきた、田舎美人の矜持(きょうじ)のようなものだろうか。これに洗濯屋の次女が「町長の娘だからって、何でも思い通りになると思ったら大間違いよ!」とやり返し、女性達はついに掴み合いの大喧嘩を始めた。なんと醜い争いだろう。

「………………………………」

 嘆かわしい事態に、宿の主人も含めた全員がドン引きした。内密に事を片付ける予定が、主人の一家も起き出してきてしまい、芋づる式に目撃者が増えていく。

 ルカも基本的には気の強い女性が好みだが、これは違う。ユージーンが可哀想だ。

「――レフ、お願い」

『わかった』

 ルカの意図を察したレフが、ライオン体を取って女性達に躍り掛かった。もちろん攻撃のためではなく、驚いた二人の隙をついて、引き離すのが目的だ。一緒に仰天した主人とその家族には申し訳ないが、こちらもルカの意図を汲んでくれたジェイクとフィンレーが、それぞれ首尾よく女性達を確保する。

 目的が目的であるため、ユージーンと一つ屋根の下には置いておけない。何より、女性達の家族が不在に気付けば、更に騒ぎが大きくなる可能性がある。

 ベリンダ以外の斥候隊メンバーが全員男性であることを考慮して、結局女性達は主人とその成人した息子が自宅に送り届けてくれることで、ひとまず話はついたのだった。


 ――そして、翌朝。

 ユージーンを始めとした斥候隊一行は、二人の女性の保護者及び宿の主人から、丁重な謝罪を受けた。どちらも未遂には終わったが、彼のプライバシーを侵害したことに加えて、町長の娘が宿に侵入する際、従業員の一人を買収していたことが発覚したためである。(当然ながら、この賄賂は没収の上で娘に返金され、その男は1か月間賃金3割カットの罰を受けたらしい)

「何事もありませんでしたし、今後はこのようなことがないようにしていただければ」

 年長者達に一斉に頭を下げられ、ユージーンは整った顔に微苦笑を浮かべて、水に流すことを了承した。彼としては、最悪の場合、魔法でどうとでも出来たという自負もあるのだろう。幼馴染みで、今は旅の仲間でもあるルカとしても釈然としない面はあるが、ユージーン自身が気にしないというなら、口出しするようなことでもない。きっと弟子に手を出され掛けたベリンダも、同じ気持ちのはずだ。相手は小さな町の、嫁入り前の女性達である。事を荒立てるのは本意ではない。ちなみに二人の娘はそれぞれ、両親から自宅謹慎を言い付けられているそうだ。

 ユージーンとベリンダが謝罪を受け入れたことで、両家の両親達は、ほとんど半泣きになりながら、感謝を繰り返しつつ席を立った。年頃の娘が好みの旅人の宿に押し掛けた、それだけでも醜聞としては充分な上に、相手が世界中に名を馳せる「黄金のベリンダ」の弟子(しかも魔王軍の斥候任務中)と来ては、どんな罰を受けるかわからない。文字通り、一家の首が繋がったような気分でいるのに違いない。

 しかし、穏便に済ませたい関係者達の心情とは裏腹に、既に噂は広まりつつあるようだ。祖母とユージーンと一緒に、何となく見送りに出てきたルカは、宿の周囲にちらほらと人が集まっているのに気付き、思わず首を竦める。

 昨夜女性二人が騒いだために、近隣の住民達には、何事か起こったことは明白だった。そこへ今朝方、宿の主人の怒声と従業員の涙の謝罪劇が加わり、町長と洗濯屋の各夫婦が示し合わせたように訪ねてきたことで、人々はおおよそ正しい答えを導き出してしまったのだろう。

 これでは、いくら被害者のユージーンが許しても、娘達への嘲笑と好奇の視線は回避できまい。

「――」

 良くない雲行きに沈んだルカの心を察してか、ベリンダがあやすように肩を抱いてくれる。その気持ちが嬉しくて、ルカは安心させるように微笑みを返してから、ユージーンに向き直った。「早く中に戻ろう」と促すつもりだったのだが、ルカが口を開くより先に、割って入った声がある。

「――嫁入り前の娘が、情けないことだな。今後まともな縁談は望めんだろうよ」

「!!」

 立ち去りかけていた娘の保護者達が、憤慨した様子で声の(ぬし)()め付けた。しかし、身も蓋もない指摘は確実に的を射ているだけに、咄嗟に誰も口を開けない。小さな町のこと、旅の魔法使いの部屋に忍び込むような娘との結婚を望む男は、そうは居まい。だからこそ、みんな大ごとにならないよう、細心の注意を払っているというのに。

 色を失った保護者達が凝視する一画を見遣って、ルカもまた、ハッと目を見開いた。瞳を侮蔑(ぶべつ)の色に染めて辺りを睥睨(へいげい)しているのは、あの老爺(ろうや)だ――街道で出会い、斥候隊による悪氣浄化作業を隠れて監視していた、あの老人。

 居合わせる者すべての視線の集中砲火をものともせず、老爺はゆっくりと右手を上げた。何も言い返せない保護者達など端から眼中になかったかのように、節くれだった指で真っ直ぐにユージーンを指し示す。


「小娘共がおかしくなったのは、その男のせいだ――悪魔め」


「ッ、アンタ、何てこと言うんだ!」

 真っ先に声を上げたのは、宿の主人だった。それは純粋に、自身が敬意を抱く黄金のベリンダや魔王斥候隊への侮辱に対する、怒りの発露だったのだろう。町長の妻も弾かれたように「ベリンダ様のお弟子さんよ!」と抗議の声を上げ、それを合図にしたかのように、野次馬達からも非難が湧き起こる。

 しかし老爺には、動じる様子はなかった。外野の声などまるで存在しないかのように、ユージーンだけを見据えて言い募る。

「そいつは町に災いをもたらしに来たんだ」

 忌々しげに吐き捨てて、老爺は(きびす)を返した。あまりにも身勝手な中傷と、突飛な行動に、呆気にとられた人々が拒絶するように道を開ける。

 居合わせた全員を混乱の渦に叩き落として去っていく老爺の背を、ルカは憤慨(ふんがい)と共に見送った。幼馴染みへの言い掛かりは、まるで通り魔のようではないか。

 怒りに任せて肩で息をついてから、今度こそルカはユージーンの手を取った。

「……行こう、ユージーン」

 老爺への怒りとユージーンへの同情で、周囲が再び騒然とする中、当のユージーンは驚いた様子こそ見せていたものの、さほど堪えた様子もなく、小さく肩を竦めて見せたのだった。

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