表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/121

第1話:おわりとはじまり 第5章

 それは、いまから17年前のこと。

 ある大賢者が死の間際に、一つの予言を遺した。

 『黄金のベリンダの血脈こそが、魔王を打ち倒す能力を持つ』――それは、魔王の専横に怯える近隣諸国に、歓喜を以て迎えられた。黄金のベリンダは史上最強を謳われる大魔術師であり、その一人娘はまさに第一子を授かったばかりであったからだ。

 誰もが生まれてくる子供に期待し、祝福を与える。

 しかしこの予言は、当のベリンダとその家族にとっては、呪いでしかなかった。そして時を経ず、懸念は最悪の形で的中する。

 魔王は「予言の子」を母体諸共抹殺せんと、大規模な襲撃を仕掛けてきた。駆け付けたベリンダは、王立騎士団及び魔法師団と共に、必死の抵抗を試みたが果たせず、娘夫婦を喪ってしまう。

 重傷を負ったベリンダに出来たのは、持てる力のすべてを使って、出生前の孫の「魂」を、悪漢の魔の手の及ばぬ場所へと、遠ざけることだけだったのである。



「――それが、あなたよ」

「!」

 綺麗なお姉さんにしか見えない祖母の、オレンジ色の瞳に見詰められて、瑠佳(るか)は肩を震わせた。

 到底信じられない話だが、これまで漠然と抱いてきた疑問のすべてに説明がつく、ような気がする。

 この世界は眠りに落ちて見る「夢」などではなく、瑠佳の居る現実とは別の場所に、実際に存在しているのだということ。だから世界は平和で安穏なばかりではないし、こちらの瑠佳に両親が居ないことにも、ちゃんと理由があった。

 何より、祖母の真剣な表情には、欺瞞(ぎまん)のひとかけらも見当たらない。



 この戦いにより、魔王は大きく力を損ない、以来17年間、自身の再生に歳月を注ぐことになる。

 黄金のベリンダもまた、力の大半を失ったものの、孫の生存を信じて捜索を開始した。発見に4年も掛かったのは、それがまったくの別次元であったためであることは言うまでもない。

 瑠佳はあちらの世界の女性の胎内に辿り着き、無事生まれ落ちて、3歳になっていた。場所を選ぶことも出来ずにただ送り込んだ世界で、それでもしっかりと愛されている様子に、ベリンダは煩悶(はんもん)する。これを引き離して我が手に取り戻すことは、自分のエゴでしかないのではないかと。

 それでも祖母だと名乗り出たい気持ちが勝り、夢を媒介にして手元に呼び寄せていたのは、瑠佳もよく知っているとおりだ。自分を「夢の世界のおばあちゃん」と呼び、素直に懐いてくれる瑠佳との時間は、ベリンダにとって何ものにも代えがたい大切な時間だった。

 しかし、程なくしてベリンダは、孫の「魂の(けが)れ」に気付く。どうやら、「あちらの世界」の空気は、「こちらの世界」に生まれるはずだった者にとって、遅効性(ちこうせい)の猛毒のように、徐々に魂を蝕んでいくものだったらしい。

 ベリンダは自身の力の回復を待って、瑠佳の魂を「こちらの世界」に完全に呼び戻す決意を固めた。夢を媒介にするのも、ベリンダの魔力と瑠佳の体力次第なのだ。いたずらに孫の命を縮めるような真似は出来ない。

 だが、事ここに及んでもなお、ベリンダは葛藤した。瑠佳に「あちらの世界での寿命が、15年程度で尽きてしまう」という真実を告げるのはしのびない。また、無事に転生が適っても、それ以降は再び魔王の標的にされることは避けられないのだ。

 悩み続ける間にも、瑠佳の魂は「穢れ」を蓄積し続け、北の魔境で魔王も完全復活を果たし、ベリンダの魔力も往時にまで回復した。自身の衰弱を、瑠佳が「夢」のためと疑い、「こちらの世界」そのものを拒絶されたことは想定外だったが、もう時間はあまり残されていない。瑠佳の「あちら」での寿命が尽きてからでは遅いのだ――



「……ちょっと待って」

 想定していた以上の過酷な事実に、瑠佳は思わず祖母の声を遮った。自身の出生の秘密まではいい、だが、それ以降はおいそれと受け入れられる内容ではない。瑠佳があちらの世界で感じ続けていた疲労が、生命力の弱まりに起因するものだったとは。

 否定はしかし、言葉にはならなかった。祖母の沈痛な表情が、何よりの真実を物語っている。

 ひととき忘れていた恐怖と悲しみが一気に込み上げて来て、瑠佳は呆然と肩を落とした。

「……僕、死んじゃうの? 嫌だよ、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、みんな悲しむよ……」

 家族に会えなくなることはつらい。

 自分を失って悲しむ家族を思うと、なお一層心が痛んだ。

 夏休みの旅行もきっと中止だ。これからやりたいことも、色々とあったのに。

「……ッ……」

 小さな胸を絶望が満たし、瑠佳は唇を噛み締めた。大きな瞳からはボロボロと涙があふれ、白い頬を濡らしていく。

 自分が泣いていることにも気付いていない瑠佳の頬を、ベリンダが両手でそっと包み込んだ。つられるようにゆるゆると視線を向けると、祖母は眉根を辛そうに寄せたまま、必死に微笑もうとしている。

「ルカ、おばあちゃんの所へ還ってくるのは嫌?」

「……!」

 胸を突かれたような気分になって、ルカは思わず小さく首を横に振った。

 瑠佳同様、彼女もまた被害者なのだ。17年前の時点で既に夫はなく、誰よりも幸せにと願った忘れ形見の一人娘とその配偶者、更には生まれてくる前の孫まで、家族のすべてを奪われた。世界や次元を超えての瑠佳の捜索には、いったいどれほどの魔力を費やしたのだろう。これがなければ恐らく、彼女の力はもっと早くに回復出来ていたはずだ。

 そうしてようやく見付け出した瑠佳を、ベリンダは強引にこの世界へ呼び戻そうとはしなかった。それはきっと、瑠佳だけでなく、あちらの世界の瑠佳の家族の気持ちまでを尊重してくれたからだ。

 ――そこにあるのは、何よりも深く、確かな愛情。

「私を、この世界を、否定しないで……お願いよ……」

 祖母の懇願は、ひどく掠れていた。綺麗な二重瞼の美しい瞳が、涙に潤んで揺れている。

 ベッドサイドにユージーンが跪いた。堂々とした美しい所作も、柔和な表情も、これまでの彼と何も変わらない。

「――ここで、僕達と一緒に生きていこう」

 ルカ、と、これ以上ないくらい優しい声で呼び掛けられ、瑠佳は「うん」と小さく頷いた。

 愛されていることは知っていた。けれど、それがこんなにも大きなものだとは知らずにいた。

「……ッ」

 堪らなくなって、瑠佳はベリンダに縋り付いた。強く抱き締め返されながら、声を上げて泣きじゃくる。

 あちらの家族に会えなくなるのは、やはり寂しい。

 それでも、ここには同じだけの強さで自分を想ってくれる人達がいる。

 嗚咽の合間に、瑠佳は必死で「わかった」と絞り出した。

「――僕、ここに、還ってくる……ッ」

「……ありがとう、ルカ……」

 ようやくすべてを受け入れる覚悟の決まった瑠佳に、ベリンダもまた静かに涙を落とした。



 瑠佳が落ち着くのを待って、黄金のベリンダはロッドを構えた。

 「夢」と信じていたこの世界を否定する瑠佳を呼び寄せるのに、かなり強引な魔法を使ったため、帰還も彼女の手で行う必要があるのだ。

 ベッドに入り、祖母の暖かく強大な力に包まれながらも、瑠佳はハッと目を見開いた。これだけは伝えておかねばと、眠気を堪えて声を振り絞る。

「二人とも、疑ってごめんね。――大好きだよ」

 光に溶ける瞬間の告解に、ベリンダは堪えきれずに泣き崩れた。瑠佳の魂は弱り切っている。転生の術を施すのに、そう長くは時間をおけない。

 ――あの小さな身体に、何という宿業(しゅくごう)を負わせてしまったのか。

「先生、大丈夫ですよ」

 心優しい弟子に頷いて、ベリンダは素直にその手を取った。自分だけではルカの誤解を解くのに難儀したかもしれない。この世界にも、あの子を大切に想う人々がたくさん居る。ルカが心を開いてくれたのは、彼らのお陰でもあるのだろう。

 孫の温もりの残るベッドを愛おしげに見詰めてから、ベリンダは大きく息をついた。これから「あちら」の世界では、ルカの周囲で多くの悲しみが巻き起こるはず。大切な孫をここまで慈しみ育ててくれた人々には、感謝しかない。

 ベリンダは、白く細い指でそっと涙を拭った。そして、これまで幾度となく考えてきたことを、改めて自らに言い聞かせる。

 これから先の自身の幸福――大切な孫と、ずっと一緒に暮らせること――の影には、あちらの世界でルカを愛してくれた人々の悲哀が潜んでいるのだということを、決して忘れてはならないのだ、と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ