第7話:5番目のレフ 第6章
「――ルカ!」
「おばあちゃん!」
夕闇の迫る川沿いの倉庫の前で、若く美しい祖母と愛らしい孫は固く抱き合った。
人身売買組織の者達は粗方捕えられ、順に憲兵の詰め所へ引き立てられている。被害者達も簡単な聴取を受けたのち、家族の元へ帰されるそうだ。これで多くの行方不明事件が解決に向かうことになるだろう。黄金のベリンダの輝かしい功績が、また一つ増えた。
「みんなも、ごめんね」
ベリンダの背後に集まってきた仲間達に向かって、ルカは小さく頭を下げた。手間と心配をかけてしまったことに対する謝罪だが、もちろん、ルカに対して怒るような者など、このパーティーには存在しない。
中でも、祖母のベリンダの後悔と憤慨は著しかった。「謝るのは私の方よ」と両の手でルカの頬を包み、労わるように瞳の奥を覗き込んでくる。
「油断してたわ。まさかこんな愚か者の集団が、ハーフェルに現れるなんて!」
彼らは、ハーフェルの町に黄金のベリンダが住んでいることは知っていても、ルカがその孫であることまでは調べずに誘拐に及んだらしい。首領らしき男が連行されながら、「知ってたら絶対に手なんか出しませんよ!」と半泣きで叫んでいたが、手広く商売を行っていた割に、肝心なところで迂闊だったのが、それこそ運のツキだ。
アジト代わりのこの倉庫は、ハーフェルから二つ隣の街、住所的にはリンデルバウムになるのだという。
「どうしてここがわかったの?」
ルカはことんと首を傾げた。追跡魔法も万能ではない。恒常的にベリンダから魔法で監視されている訳でもないルカの辿ったルートを追うには、もう少し時間が掛かったのではないかと思ったためだ。
ベリンダはにこりと微笑んだ。魔法の才はないはずのルカが、自分の得意分野に(理論だけでも)精通してきていることが、単純に嬉しかったのだろう。
「レフのお陰よ」
「レフの?」
ベリンダの回答に、ルカは瞳を瞬かせてから、腿の裏にごしごしと額を擦りつけてくる雄ライオンを見下ろした。その視線を受けて、レフは褒めろと言わんばかりに胸を反らす。
「――ライオンの嗅覚だよ」
ユージーンが整った顔を露骨に歪めて、師の言を補足したところによると――
ベリンダがルカの身に起こった異変を察知するのと、オフィーリアが何事かを訴えるように嘶いたのは、ほとんど同時だったらしい。
一同は慌てて庭へ出たが、ルカを攫った者達は坂道を下らず、住居を取り囲む林の中を逃走した後だった。
ベリンダとユージーンはそれぞれ追跡魔法を発動させようとしたが、元々緩めに掛けられていたベリンダの拘束魔法を解き、ライオン形態を取ったレフが駆け出す方が早かった。嗅覚と聴覚を使ってルカを追跡するつもりであることを悟った一同は、咄嗟の判断で二手に別れる。
オフィーリアという機動力を持つフィンレーがレフに続き、これにユージーンが同行したのは、魔法を使ってのベリンダとの連絡、及び連携のためだ。
そのベリンダは、ジェイクとネイトを従えた状態で、定石通り追跡魔法と移動魔法を繰り返し用いて、先行する弟子達に合流。しかしその時点で、レフは既に倉庫内に突入、加勢する形でユージーンとフィンレーも交戦状態にあったため、ベリンダはジェイクとネイトを応援に向かわせ、自らは憲兵への通報役を買って出たのだという。
「きっと私達の魔法だけでは、こんなに早くにあなたの元へ辿り着けなかったわ」
「ありがとう、レフ!」
ベリンダのお墨付きを聞いて、ルカはレフの逞しい首に抱き付いた。祖母達だけでも助けには来てくれただろうが、何事もなくは済まなかったかもしれない。迅速な救出劇は、間違いなくレフの功労によるものである。
「貴方達も、これでレフを認めない訳にはいかないわね?」
ルカの髪を優しく撫でてから、ベリンダはきれいな動作で立ち上がり、並んだ弟子達を振り返った。
確かに、ベリンダのお守り石があっても、今回のようにルカが気絶していたり、石を割ることも出来ない状態では、ルカの元に瞬時に駆け付けることは不可能だ。「ルカを守る」という一念に特化した、野生の獣の嗅覚と聴覚があったからこそ、追跡魔法を使うよりも格段に早く、事態を解決できた。
レフはしっかりと、「ルカを守る」という、斥候隊メンバーに不可欠の条件を、クリアして見せたのである。
楽しそうな祖母の声を受けて、ルカは仲間達を振り返った。
「……う」
「まあ……」
「なぁ?」
可愛い可愛いルカの縋るような視線を受けて、ユージーン、ジェイク、フィンレーの三人は、気まずそうに目配せを交わす。こうなってはさすがに、レフの存在を認めない訳にはいかないようだ。
しかし、最後まで粘ったのは、『ルカ過激派』のネイトだった。
「ですが、ベリンダ先生! 戦いの度にライオンの姿に戻るのでは、いたずらに騒動を引き起こしますよ!」
見てください! と彼が示した先では、屈強な憲兵達が「なんでこんな所にライオンが?」「襲われたりしないのか?」と、怯えた眼差しをレフに向けながら、恐々と事後処理に当たっている。
――ライオンになるのは戦う時だけで、すぐにぬいぐるみに戻ってもらうのでもダメかな?
ルカはそんな風に、何とか食い下がろうと考えていた。
しかし、ルカが口を開くよりも先に、レフが心底面倒くさそうな思念波を飛ばしてくる。
『――じゃあ、これで文句はねえだろ?』
「――え?」
戸惑うルカの眼前で、雄ライオンの姿が輪郭を失う。
次の瞬間そこにいたのは、浅黒い肌に野性的な顔立ち、ニヤリと笑った口元に犬歯の光る、長身で屈強な男性だった。
「ぅええッ!?」
あまりのことに、ルカは表記しがたい悲鳴を上げる。
これもまた、姉の想いとベリンダの魔力を受けたが故の不思議、ということなのだろうか。
驚愕する仲間達をよそに、20代半ばくらいの絶妙にワイルドな男は、強面の外見を裏切るような満面の笑みを浮かべて、ルカに頬ずりをした。
「オレ、こんなことも出来るんだぜ? スゲーだろ?」
褒めて褒めてと言わんばかりだが――取り敢えず問題なのは、彼が全裸であることだろう。それも、めちゃくちゃ立派だ。何が、とは言わないが。
「ちょ、と、取り敢えずなんか着よう!」
都合よくあるはずもない布のようなものを探して、ルカはあたふたと周囲を見回した。そのルカを逃すまいと、逞しい腕で拘束する全裸の男――レフを、仲間達の強烈な視(死)線が襲う。
「――前言撤回だ! 誰がお前なんか連れて行くものか!」
ユージーンがより強力な魔法を使うために魔導書を掲げる横で、ネイトが本来専門ではないはずの攻撃魔法を掌で錬成しながら「汚らわしい獣め」と吐き捨てる。怒りに色をなくしたフィンレーが「ルカから離れろ!」と剣を構えたかと思うと、ジェイクは黙ったまま恐ろしい形相で、ブルブルと震える拳を握り締めている。
「……お騒がせしてごめんなさいね」
弟子達の狂乱ぶりをよそに、黄金のベリンダは憲兵達に向かって、とりなすような愛想笑いを浮かべた。
また一騒動起こりそうだけれど、ルカのナイトが増えることに問題はない。レフの、ルカへの忠誠心は折り紙付きだ。何といっても、あちらの世界の、彼の姉の想いの結晶なのだから。
それにしても、とベリンダは考えた。
――ぬいぐるみのレフが可愛らしい顔立ちをしている割に、人間体の彼がワイルド系なのは、もしかしたら瑠衣ちゃんの趣味なのかしら?
決して答えの出せない疑問を胸に、ベリンダはひとまず、可愛い孫の言う通り、レフに何か着る物を、と呪文を唱えた。
第7話 END
これでサブも含めた全員が揃いました☆




