第3話:ジェイク 第2章
「――さっきの話だけど」
カウンターでの接客が一段落し、鎮痛剤を購入した客を送り出してから、シェリルがポツリと呟いた。
レジの横に出して貰った椅子にお行儀よく座ったルカは、きょとんと瞳を瞬かせる。ジェイクが荷物の片付けに向かい、それを手伝うために、店番をしていた父親とシェリルが交代して、更に客を一人捌くというタイムラグがあったために、すぐには何のことかわからなかったせいだ。
「何だっけ?」
聞き返したルカに、シェリルは「さっきの、喧嘩の仲裁の話」と答えながら、頬杖を突いた。
白い清潔な壁に、飴色の調度品が目に優しい。歴史の重みの中にも、どこか安らげる空気に満ちた店内で、看板娘は軽めの溜め息を一つ落とす。
「アンタが褒めてくれたアレ、予防線みたいなものなのよ」
「?」
シェリルの意図するところがまったく掴めず、ルカは更に小首を傾げた。ルカが褒めたというのは、ジェイクが執った喧嘩の収束方法のことだろう。確かに、あの話は微妙なところで打ち切られてしまっていたが、「予防線」とは、いったい?
人差し指を口元に当て、「内緒」のようなポーズを取りながら、シェリルは続ける。
「これは、子供の頃の話なんだけど――」
小さな頃から正義感の強かったジェイクは、ある時、同年代の子供同士の揉め事の仲裁に入った際に、逆恨みを買ったことがあるのだそうだ。コイツが子供ながらに根性の曲がった奴で、ジェイクには適わないからと、妹のシェリルに手を出した。怒ったジェイクは相手をボコボコに叩きのめし、事情を知った親同士が互いに謝罪し合う事態にまで発展したのだという。
この一件で、幼いジェイクは学んだらしい。良かれと思ってやったことで、逆恨みをされることもある。自分に返ってくる分には実力行使に出ればいいだけのことだが、家族に類が及ぶことだけは、何としても回避しなければならないと。
「さっきのアレも同じよ。恨みを買わないように、それで私達家族に危害が及ばないように、気を遣ってくれてるの」
少しだけ苦みを含ませたシェリルの微笑みには、兄への信頼が垣間見えた。単純にジェイクの行いを誉めそやしたルカに対し、彼ら兄妹の態度が何となくおかしかったのには、そういった事情があったのだ。
「そっか」と相槌を打ちながらも、ルカは密かに感嘆の息を漏らした。ジェイク10歳、シェリルが8歳といえば、ルカと出会う3年前のことになる。そんな小さな頃から、経験を教訓として活かし、恨みを買わぬよう回避に努めるだなんて、すごい配慮だ。
シェリルが言うには、自分から積極的に他人と関わらない、というのは、元々のジェイクの性質らしい。しかし、それでも今回のように、見かねて仲裁に出て行くのは、生来の正義感と、弱者には手を差し伸べるものだという義務感からなのだと。
頼りになる兄。立派な息子――それがジェイクだ。
「無口で不愛想だけど、優しいのは事実なのよね。アンタとユージーンが、それをわかってくれてて嬉しいわ」
「……ヘヘ」
美少女の慈愛に満ちた眼差しに、ルカは咄嗟に愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。町の人達だけではない。家族にとってもジェイクが頼りであることに、今更ながら気付かされたからだ。
斥候隊の旅路には、当然危険も伴う。だからこそ、祖母はこれまでルカの加入を頑なに反対していたのだ。「自分を守ってほしい」などという身勝手な理由で、安易に勧誘などしても良いものだろうか。
「……」
幼い頃から通い慣れた店の中で、ルカは初めて居心地の悪さを感じ、無意味に椅子に座り直した。
エヴァンズ薬剤店のある通りの裏手には、細い川が1本流れている。
流れが穏やかで、水も綺麗に澄んでいるため、沿岸は住民の憩いの場であり、子供達の絶好の遊び場ともなっていた。ルカ達も、ジェイクの店番の休憩時間などに、好んでたむろする場所だ。
片付けを終えたジェイクと並んで、ルカは川べりに腰掛けた。気持ちの良い風が、陽の光を受けたルカの髪をサラサラと巻き上げ、ジェイクが長めの前髪の下で、眩しそうに目を細める。
「どうした? 話ってのは何だ」
「……えっと……」
促され、ルカは思わず言い澱んだ。何となく切り出しづらいのは、斥候隊への加入が彼のためになるのかどうか、急に不安になって来ていたからだ。
ジェイクは強い。不愛想に見えて、いつも町のことを考えてくれている。そんなジェイクをみんなも頼りにしているのだ。闘う力は充分にあるし、彼もその能力を活かす場所を求めているような気がしていたから、誘えばついて来てくれるのではないかと考えていたけれど、果たして彼をこの町から引き離しても良いものだろうか? それに、任務が斥候とはいえ、相手は魔王軍。常に危険と隣り合わせなのは事実だ。彼の家族に対して、果たしてルカに責任が負えるだろうか……。
急に口の重くなったルカを見かねてか、ジェイクが「そういえば」と話を振ってくれた。
「昨日の夜、何かあったか? 『丘の方からすごい音がした』とか『空にデカい影が見える』とか、ちょっとした騒ぎになってたんだが」
「――あ! そうそう!」
心配そうに眉根を寄せて聞かれたのは、翼竜達の襲来の件だろう。ルカはハッと目を見開いて、ジェイクを見上げた。
魔法や魔石の力で、この世界にもある程度の照明器具はある。しかし、ルカの居たあちらの世界(現代社会)ほど、周囲を煌々と照らす街灯までは望めない。麓の町からは、翼竜の咆哮は聞こえても、その姿をはっきりと視認することは出来なかったのだろう。慌てて家の外に飛び出したとしても、祖母のベリンダがすぐに結界を張ったために、何が起こっているのか住民達に理解できたはずもない。これで噂にならない方がどうかしている。
図らずも当事者にしてしまったジェイクには、事情を話しておこうと思っていたから、ちょうどいい機会だ。「それなんだけど……」と言いながら、ルカは腰の後ろに装着したポーチから、翼竜の雛に貰った紅い魔石を取り出した。
「小鳥かと思ってたアイツ、翼竜の雛だったんだ」
「!」
ルカの手元を覗き込んでいたジェイクの瞳が、ギョッとしたように見開かれる。改めて自分のしでかしたことの重大さを噛み締めながら、ルカは苦笑交じりに昨夜の出来事を話して聞かせた。
魔石収集の任務中、鳥の雛ではないかと思って怪我の手当てをしてやった生き物が、実は親からはぐれた翼竜の雛で、この魔石を持って我が家にやって来たこと。それを追って飛来した雛の両親達が、ルカを誘拐犯と思い込み、祖母とユージーンの魔導士師弟と戦闘になったこと。ルカの言い分を信じてくれた祖母の、割と力尽くに近い説得のお陰で、翼竜達が退いてくれたこと。
ちなみに、翼竜の雛がくれた真紅の魔石は、祖母の見立てによると、強力な炎を生み出す性質があるらしい。確かに、掌に載せただけでも、かなりの熱を帯びていることがわかる。恐らくはそれが、親とはぐれた雛を襲った魔物の核なのだろう。両親達の緑色の肉体から察するに、彼らの属性は風。倒せたにしても相性が悪く、雛はそのために大怪我を負ったものと思われる。
ルカとしては、そのまま「内緒で魔物討伐に出掛けていたことはバレたけど、おばあちゃんの理解は得られたから、斥候隊に参加させて貰えることになったよ♪ でも、その条件が『自分を守ってくれる人を3人連れて来ること』なので、ぜひ参加して欲しいな☆」と続けられれば良かったのだが、「ルカを雛の誘拐犯と誤解した翼竜の親達が襲来した」話の辺りで、ジェイクの表情は目に見えて曇ってしまった。
「――悪かった」
ルカの話を聞き終えたジェイクが、真っ先に口にしたのは謝罪だった。
困惑したのはルカの方だ。やけに難しい顔をしているなとは思っていたが、謝られるようなことは何もない。
瞳を瞬かせるルカに、ジェイクは眉根を寄せたまま、小さく首を横に振る。
「俺がお前を止めなかったばかりに、危険な目に遭わせたんだな。俺も魔物には詳しくないのに、害はないと思い込んだんだ」
すまん、と頭を下げられ、ルカは慌ててぶんぶんと右手を顔の前で振った。ジェイクは、雛を放っておけずに治療するルカを止めなかった、己の無知と不明を詫びているのだ。
「いや、そんなことないよ! おばあちゃんにも怒られたけど、僕が考えなしだったんだから……ッ」
息を呑んだのは、否定のために必死で振っていた掌を、ギュッと握り締められたからだ。たまにユージーンにされるのと同じようなスキンシップだが、ジェイクがルカの口を封じようとしてのことなら、効果は抜群だった。併せて真剣な表情で瞳を覗き込まれ、不覚にも動悸が高まる――イケメン怖い。
「でも、お前はこの世界について、よく知らないだろう?」
「それは、まあ……だけど……」
うまい否定の言葉が見付けられずに、ルカは右手をしっかりと捕らえられたまま、曖昧に語尾を濁した。ジェイクの真っ直ぐな視線から逃げるように、思わず瞳を伏せる。
ルカにも非はあるのに、ジェイクは自分ばかりを責めている。もしかしたら、これも子供の頃のこと――体力のある彼に付いて回った挙句に倒れてしまった時のことが、関係しているのだろうか?
「――話っていうのは、そのことか?」
完全に言葉に詰まってしまったルカを気遣うように、ジェイクは愁眉を解いた。少し考えてから、ルカは小さく「うん」と頷く。
「おばあちゃんにバレちゃったし、当分魔物討伐はお預けだよ」
おどけたように小さく肩を竦めて見せると、ジェイクはルカの手を解放しながら、「また機会はあるさ」と励ますように笑った。
咄嗟に、翼竜襲来事件についての報告に来たことにしてしまったのは、今のジェイクに斥候隊の話を持ち掛けるのは、良くない気がしたからだ。
ルカがついて来てほしいとお願いすれば、ジェイクはあっさりと了承してくれるのかもしれない。でも、それは何だか違う気がする……。
モヤモヤした気持ちを隠すように、ルカはジェイクの熱の残る右手で、川面に向かって小石を放り投げた。




