06. クドクは頭が真っ白になった
「スイウ!」
近づくクドクに気づいたスイウが、軽く手を振る。それでもやはり、顔がどこか緊張しているように見えた。
二人は向かい合う。
何か言いたげなスイウの肩を、クドクが優しく撫でる。
「どうしたの?」
「あの、あのね、……わたし、クドクに大事な話があるの」
やっぱりただ事ではない。
竹を割ったような気質のスイウは、普段からもったいぶった言い方はしない。
次の言葉を待っていると、決心したようにスイウが真剣な顔でクドクを見上げた。
その眼差しのまっすぐさと瞳のうるおいに、思わずクドクは生唾を飲み込む。
「いろいろ調べたの。今はやっぱり手術は怖い。試合に影響があるかもしれないし……ううん、そうじゃなくて、そのままの身体じゃなくなるのが怖い」
まさか怪我でもしたのだろうか。
しかし手術も必要な怪我をしたなんて聞いていない。まさか遠征から帰ってこの数週間の間に?
クドクはスイウを頭から足元までじっと見るも、そのような気配はない。
思案するクドクをよそに、スイウははっきりと大きな声で言った。
「だけど育乳しようと思うの! 今はこんなだけど、だからクドク、わたしに惚れなおさせてみせるから、見捨てないで!」
「……いく、にゅう…………?」
クドクは頭が真っ白になった。
▼▼▼
クドクは昔から苦労というものから遠かった。
周囲の子どもよりも出来が良いということに気づいたのは、まだ幼い時分であったように思う。
教えられることも簡単にこなしてみせたし、その先を予想することも容易だった。
だからだろうか。周囲の子と一緒になって遊ぶということが、少しだけ億劫に感じられた気配はある。
話を合わせるのが面倒なのだ。
まるで大人が子どもに説明するように、言葉を砕いて接するのが大変に疲れた。
友だちが嫌いなわけではない。ただ一緒にいるより、一人でいるほうが楽。
おそらくその頃のクドクは、視野が狭く、周りの子どもたちをある程度侮っていたし、馬鹿にしていた。
表面上は穏やかに、そして内面で冷ややかに斜に構えて人間関係を構築していたクドクは、校門前でスイウとぶつかった。
登校初日に校門で女の子とぶつかるなんて、漫画の始まりに似ているな、なんて感想を抱いた。しかも同い年くらいの、小柄で活発そうな女の子だ。
その場では互いに謝って、すぐに別れた。
漫画じゃあるまいし、もう会うこともないのだろう。そう思うと少しだけがっかりした気にもなる。
おそらくそれは入学という、『何かの始まり』に心が浮き立っていたのだろう。
予想に反して、スイウとはすぐに再会した。昼食をとろうとした食堂で、ばったり出くわしたのだった。
これもご縁だからと、一緒のテーブルについた。
そこでスイウと交わした会話に、クドクは魅せられた。
スイウは特別賢いわけではない。地頭でいえば、それまでクドクが接してきたような子たちと、そう変わりはしなかっただろう。
だがスイウのする『一流の騎竜の選手になる』という夢の話は、クドクの世界を広げた。
スイウにはとびきり尊敬する選手がいる。
その人に憧れてこの学院に入ったのだという。憧れの人の支援する学院であり、騎竜のプロになる近道でもあるから。
夢を語るスイウの瞳はきらきらと輝いて、クドクの視線を捕らえて離さなかった。
一日の講義が終わっても、帰宅しても、スイウの存在が声が瞳がクドクの頭からはなれない。
ぼんやりとした返事しかしない息子を、クドクの両親が心配してしまうほど。
クドクは顔をあげて、両親の顔を見比べる。
今までクドクは両親に感謝こそすれ、強く敬うということをしたことがなかった。
むしろ十二歳になり、幼い頃には絶対だと思っていた親の教えに疑問を抱くことも増えた。親の欠点も見えてきて、親が必ずしも完全で完璧な存在ではないと気づいた。
それはクドクが斜に構えるような子だったからというわけではなく、思春期に必要な、親を一人の人間として評価できるようになった印でもある。
それでも、今まで下に見てきた同年代の子たちは、知識や経験が足りないから『自分と釣り合わない』と思っていたのに、大人だって欠点だらけだと知って、いささかがっかりしたのも否めない。
いつの間にか、クドクは周りの人間を、少しずつ侮るようになっていたのだ。
だが、スイウと出会って変わった。
スイウの話がクドクの心を真っ直ぐ突いてきた。
今まで自分は、親でなくとも誰かを尊敬したことがあっただろうか。
スイウのように、あんなにも熱を入れて。誰かのことをすごいと、そう思ったことがあっただろうか。
周りの人に対して、良いところよりも悪いところばかり、目がいっていた気がする。
そうして粗探しをしては、「なんでこんなことも知らないのか、できないのか」と見下していた。
実際、クドクよりも知識量や器用さが劣っていた子どもは多い。要領の悪い子というのは、どこにでもいるものだ。
だけど、そんな子たちにもクドクの敵わないことがあったかもしれない。
少なくとも、そんな子たちは、誰かをすごいと尊敬する心を持っている。
自分に欠けた心を。
クドクはその時、初めて自分の小ささに驚いた。人間という器の小ささに。
今まで周囲を見下していたのは、負けを認めることが恐ろしかったからかもしれない。
生まれつき要領が良かっただけに、プライドが高くなった。同年代の誰よりも早く上手くできないと、それまでの『すごいクドク』が失われるような気がして。
だからこそ、周囲の『すごさ』を認められなかった。
誰も尊敬できなかった。
自分が負けるのが嫌だったから。
その日、クドクはスイウに出会って、初めて誰かを『自分よりすごい』と思った。
知識や技術は後からいくらでもついてくる。
だけど人間性というのは、変えたいと思ってすぐに変えられるものではない。
スイウの生まれ持った気質と、それを守り続けている愚直さに、クドクは憧れた。