01. これはただごとじゃない
現代日本より文明の発達した和風っぽい国に、地球で言うところの欧米文化がちょっと入ってきているなんちゃって和風異世界ファンタジーです。
婚約者の様子がおかしい。
そう気づいたのはここ数日のことで、鈍い鈍いと普段からよく言われるスイウのことだから、もしかしたら婚約者の様子がおかしいのは数週間前からかもしれない。
スイウは隣を歩く婚約者の横顔を覗き見る。
婚約者であるクドクは立ち姿のすらっとした印象の青年で、一見冷たそうに思われるけれど、一言口を開けばその人好きのする性格がすぐに露見する。
光の加減によって色見の変わるカラスの羽のようなクドクの髪。
眉より少し長い前髪の隙間からのぞく灰色の瞳が、遠い場所をじっと追いかけている。
瞳の先にあるのは――見知らぬ女性……。
スイウはぐるんぐるんと音がしそうなほど首をつかって、女性とクドクを見比べた。
彼女はクドクの何なのだろう。
知り合い? 友だち? それとも……?
そう考えていると、クドクの瞳が違う方向を向いたのが分かった。
すかさず視線を追いかけると、そこにはまた違う趣の女性が――!
これはただごとじゃない。
スイウは口を小さく開けて震えあがった。
▼▼▼
スイウとクドクが婚約したのは、二人がまだ十二歳の時だった。
基礎学校を卒業して進学したのが今二人が通っている専門学院。
春季と秋季ふたつから入学時期を選べ、クドクはちょうど受けたい講義の始まる春季から、スイウは基礎学校を出てすぐ入学できた春季から入ることにし、たまたま入学時期がかぶった。
そのたまたまは入学初日にも重なり、たまたま校門近くでぶつかり、たまたま昼食のための食堂でも出くわし、たまたま他に知り合いのいなかった二人で話をするようになった。
専攻コースも違えば受ける講義もまるでかぶらないのに、二人はよく待ち合わせて遊ぶようになり、気づけば想いを交わすほどになった。
そこには比較的早く基礎学校を出て、広い年代の通う学院での不安を共有できたこともあっただろうし、緊張するとすぐ顔が硬くなり人を寄せ付けない雰囲気を出すクドクの心を、まるで緊張感無く生きてきたスイウの能天気さが柔らかくしたことも関係したのだろう。
たった十二歳で婚約しようとするなんて。
当時の大人たちは二人の決心に驚き大いに慌てた。
十二歳という年齢もそうだが、出会ってまだ一年じゃないかと。
スイウとクドクの暮らす国では恋愛結婚が当たり前で、結婚可能な年齢は十八歳から、平均的な初婚年齢は二十三歳だ。
離婚も制度として存在するが、数は圧倒的に少ない。離婚手続きが複雑なわけでもないが、周辺諸国より圧倒的に離婚率は低かった。
当時も今も、スイウとクドクの国では離婚するというのはとても珍しいことなのだ。
そういうこともあってか、二人の親族たちは不安だった。
何十年も一緒に暮らし、家族になる最も愛すべき他人を、たったの十二歳がたったの一年前後で決めてもよいものかと。
いつか『よそ見』なんて、不誠実なことをしでかすのではないかと。
もちろん十二歳では結婚はできない。
だが、ひとたび正式に婚約すれば当人たちだけの問題ではなくなってしまう。
そんな大事なことを、自分の責任もとれない未成年にさせてよいものだろうか。
大人たちの懸念は、一旦スイウとクドクの決心を止まらせることに成功した。
ホッと息をついたのも束の間。スイウとクドクは一度引いたように見せて、今度は理論と感情の両方で訴える作戦に出ただけだった。
毎日のように足しげく互いの家を行き来する二人。
庭で居間で私室で街で、手を握り頬や額を寄せてクスクス囁き笑いあう二人。
拙い手作りのプレゼントを渡し合って顔を赤らめる二人。
結婚式の真似事なり新婚生活の真似事なりをし始める二人。
「分かったからもうやめてくれ!」
見ている側が恥ずかしくなってしまうほど、あちらこちらでイチャイチャしている二人に、最初に音を上げたのはクドクの父だった。
クドクの家庭は親族揃って『お堅い』家系で、こういったオープンな恋愛に慣れていなかった。少なくとも、彼の恋愛は慎ましくお淑やかでお上品で、唇へのキスは子どもの前でもできない。
ようやくストップをかけたクドクの父を見て、クドクはニヤリと獲物が罠にかかったのを見つけた猟師のように笑った。
すかさず父に数枚の紙を渡してこう言ってのけた。
「父さん。俺も考えなしに言っているわけじゃないんだ」
紙には父が慣れ親しんでいる、とてもお堅くて真面目な文章が並んでいる。
要約するならば、そこには今婚約することのメリット、そして結婚までと結婚してからの約束事が書かれていた。
端から端まで目を通し、クドクの父は眉間をぎゅうぎゅうと片手で揉む。
どう考えても一日やそこらで作った文書ではない。そして、決して軽い気持ちで思いついた『婚約』ではない。
そう説得されざるを得ない文章があった。
クドクの父が何より驚いたのは、自分の息子のまだ発達しきっていない身体のどこにそんな情熱が隠れていたのだろうということだった。
幼い頃のクドクは物分かりは良いがなかなかやんちゃで、興味のある物はたいてい無機物だった。
家の中の届く物は手あたりしだい解体してみようとしたこともあるし、何を思ったかゴミを集めて何とも言い難い物を作り始めたこともある。
見た目の通り人を寄せ付けないわけではない。口を開けば優しい心を持っていることが分かる。
だけどクドクの父には、その優しさが情熱の無い優しさに思えて仕方がない。
言葉は優しい。行動も善意がある。だがそれだけだ。
そこに、だれかを好きと思う気持ちがあるのか、クドクの父は長く疑問に思っていた。
かと思えばこれだ。
人に優しくできるが、人に興味があると思えないあの息子が、まさか唯一の人を見つけて婚約し、いずれ結婚したいだなんて。それもたった十二歳で。
ふと隣に黙ったままの――それでも視線は自分とクドクを行き来してとても好奇心の溢れている様子の彼女、スイウを見てみる。
スイウはオレンジの髪とオレンジの瞳が目に鮮やかな、容姿から表情からその快活さが伝わる少女だ。
歳は月こそ違えどクドクと同じ。だが、女の子には珍しく少年のクドクよりもどこか落ち着きのない子どもにも見えた。
この子はクドクとの未来を、ちゃんと考えているのだろうか。
もしかして、そうは思いたくないものだが、クドクが耳触りの良い言葉で丸め込んだんじゃないだろうな。
一度気になってしまえばドツボにはまり、ついクドクの父は「スイウちゃんはクドクと婚約して構わないのかい? 本当に?」と聞いてしまった。
スイウは子どもらしくなだらかな頬を赤く染めて、緊張した面持ちで「もちろん!」と叫んだ。
「わたし、将来は一流の騎竜の選手になります! それでいっぱい稼いで、クドクを幸せにします。だから婚約を認めてください!」
クドクの父は天を仰いだ。