5-15・『ウエストエンド』の医療事情
セリとキシシュがイコガと共に『ウエストエンド』に到着したのは昼頃である。
この土地に来るのが二度目のセリは懐かしそうに駅に降り立つ。
キシシュは列車の昇降口から顔を出してキョロキョロと見回している。
「大丈夫よ、キシシュくん」
「う、うん」
魔領と呼ばれる魔物が住む土地。
魔物と人間と、そして両方の血を受け継ぐ異形が住む町。
「おお、お嬢さん、いらっしゃい」
銀色の鬣のような髪をなびかせて騎士ラオンが出迎える。
「ひっ」
恐る恐る駅に降り立ったキシシュは大きなラオンに驚き、顔を真っ青にしてセリの後ろへ隠れた。
「おいおい、子供を脅かすなよ」
イコガは呆れ、セリはクスクス笑っている。
ラオンは「あっはっは」と笑いながら先に立って歩く。
駅の前には羽のある白馬の馬車が待っている。
「お久しぶりね」
セリがそっと触れると、白馬はうれしそうに鼻を寄せた。
その様子をイコガとラオンは微笑んで眺めているが、キシシュはそれどころではない。
相変わらず落ち着きがなく、誰かが動く度にビクッと身体を固くした。
白馬の馬車で小高い丘の上の領主の館へ向かう。
中央棟入り口で少年執事のロクローが待っていた。
「ようこそ、セナリー様」
そしてドクターが待ち受けていた。
「コガ様、昨夜はどちらへ?。 体調はいかがですか?」
そう言っていつもの薬を差し出す。
「あ!」
セリはこの土地にも医療施設があることに気づいた。
「ん?」
ラオンに羽交い締めされ、アーチーに薬を口に入れられた上、ロクローにコップの水を口の中に押し込まれそうになりながら、イコガはセリを見た。
「お願いがあるのです。
この町の医療施設を見学させてください」
セリがドクター・アーチーに縋りつくように迫る。
「はあ」
イコガの刺すような視線を浴び、アーチーは苦笑いを浮かべた。
「その前に、お食事にいたしましょう」
ナニーの声が玄関ホールに響く。
そういえば、列車の中ではセリとキシシュはぐっすりと寝込んでしまい、朝食など忘れていた。
あまりにも簡素な食事にキシシュは驚いている。
堅いパン、具の少ないスープに干し果物だ。
しかも自分だけではなく、食堂にいる大きな身体の大人たちも、領主さえも同じである。
「すみませんね、この土地はあまり食物が育たないので」
申し訳なさそうな老婆の声にキシシュは首を振って食べ始める。
ここは魔物が多く住む土地のため、土にも空気にも魔力が多く含まれ、普通の植物が育ちにくい。
「ご領主様がセントラルへお出かけになるだけで支援を受けられるのです」
その時に領民の分も食料などを大量に持ち帰って来るそうだ。
「それだけ?」と、キシシュは首を傾げる。
少ない食事はすぐに終わった。
セリはアーチーの隣に座り、自分の研究のことやキシシュの現状を話す。
「子供に医療の仕事を見せるのは構わないが」
ロクローがナニーを手伝って食器を片付けていく。
「ここは領主様専用の医療設備ですよ」
胡散臭そうにキシシュを横目で見ている。
「いや、専用というわけじゃない。 まあ特殊ではあるけど」
イコガが口をモゴモゴさせて否定する。
肩を落としたセリとキシシュにアーチーはため息を吐いた。
「医療施設はここだけじゃない。
町の中に私の妻がやっている小さな治療所がある」
「え!」
セリが驚いて顔を上げた。
「奥様がいらっしゃるんですか」
どうしてそこに食いついたのか、不思議そうな顔でアーチーが頷く。
「あそこならいいだろう」
イコガも頷いて、午後からはそちらを見学させてもらうことになった。
セリが同じような顔でラオンを見つめたが、彼は首を横に振る。
「俺は独身者だ」
ラオンは何故、セリにがっかりされたのか分からない。
以前、セリが泊まった客間に荷物を置き、一旦身体を清潔にする。
これから訪れるのは医療施設なのだから。
ワクワクしたセリとキシシュが着いた場所は町の外れにある小さな家だった。
セントラルや他の町ではレンガや石造りの建物が多いが、ここでは木造が多い。
「森が近くにあるんで、そっちのほうが早いから」
この土地の木材は魔力がこもっているため、普通のものより丈夫らしい。
「そして魔法が掛けやすいのも特徴でね」
案内してくれているラオンは家の壁に手を当てる。
ホワンと家全体が一瞬光った。
「あ、本当ですね。 防御の魔法だ」
「魔力だけはふんだんにあるからねえ」
セリにピッタリと付き添ったイコガが遠い目をして言った。
アーチーが扉を叩くと、中から三十代くらいの女性が現れた。
暗いこげ茶の髪をしたどこにでもいる平凡そうな容姿の女性である。
「あら、アーチー、珍しいわね」
「メリサだ、セントラルの私の幼馴染でね」
セリたちはお互いに挨拶をし、今日の訪問の理由を話した。
「私は構わないわ。 でも」
メリサはアーチーを見る。
「君たち次第だね。 この町が気に入ってもらえるといいけど」
そう言ってアーチーは微笑んだ。
きっとそれが一番の心配事なのだろうとセリは思う。
夕食は昼とそんなに変わらなかった。
スープが具沢山になって、パンが多少増えたくらいである。
「明日から自由に来ていいよって言われた」
キシシュはうれしそうに話をする。
最初は警戒していた彼も今はラオンに可愛がられ、アーチーの診療室を見せてもらったりして少し慣れたようだった。
「さて、寝る」
そう言ってイコガが食堂を出て寝室のある左棟に戻って行った。
それを皮切りに各自が部屋を出て行く。
セリとキシシュが客間に向かっていると、アーチーが追いかけて来た。
彼はセリに話があると言って、キシシュを先に部屋に入れる。
「君にはイコガの治療をお願いしたい。 だから、こっちの部屋ね」
そこはイコガの寝室である。
「今の彼の状態はあまり良くない。
君がいるから大丈夫だとは思うけど、朝、寝起きが一番不安定なんだ」
心配そうな小声で言われ、セリはイコガが病人だということを思い出した。
「分かりました、任せてください」
「ありがとう。 よろしくお願いする」
アーチーはセリに頭を下げた。
医療者というのは気位の高い人物が多い。
医療術を使える者が上流階級に多いせいで、そのほとんどが貴族家出身か、貴族の支援を受けている者だからだ。
セリは中産階級の出だが母親がもともと魔力のある家の者だった。
「アーチーさん、私は医療術者です。
病人を治療するのは当たり前のことですわ」
顔を上げたアーチーは何故か申し訳なさそうだった。
セリはキシシュに事情を説明し、治療のためとイコガの部屋を訪れる。
「ああ、そう」
少し顔を赤くしたイコガにセリは手を引かれて、広い部屋の中ほどにある階段を上る。
そこは中二階に当たり、イコガのベッドがある場所だ。
少し高い位置にあるため部屋の中を見渡すことが出来る。
「妖精たちが出入りするから夜はなるべくここから出ないで」
いたずら好きの妖精たち。
イコガは彼らもこの町の住民として自由にさせている。
「俺には何をしても良い。
だけど他の住民や客にはいたずらを仕掛けないと約束させているんだ」
ただし、睡眠は体調に影響するため中二階には結界が張られている。
「ごめん、君には本当に迷惑をかける」
俯いたイコガに、セリはつないでいた手に力を込めた。
「ドクターがあまり状態が良くないって言ってたわ」
セリは心配そうに微笑む。
「あなたに『二度とここに来てはいけない』と言われていたのに」
自分のせいではないかと、セリは思っていた。
「連れて来たのは俺だ」
ううん、とセリは首を横に振る。
「私は、やっぱりあなたの側にいたかった」
だからウエストの事件に頭から突っ込んだ。
「もしかしたらあなたに会えるかもって、アゼル様やサキサさんやキシシュくんまで巻き込んで」
涙を浮かべるセリの頬に手を伸ばして、イコガはその唇に口付ける。
「俺が不安定なのはこんなに長時間、セリと一緒に居たことがないから」
自分がどうなるか、分からない。
「この治療には君が必要だ」
イコガは優しくセリをベッドに押し倒した。




