氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました
いつもと変わらないのどかなお昼に、メイドとして雇われている私は食後のお茶を出した後に伝えた。
「結婚しようかと思います」
一家団欒で寛いでいた公爵一家は談笑を止めて突然にも固まった。
特に一人息子のオックス様は傾けていた椅子がさらに傾き倒れてしまったほどだ。
「ど、どういうことだ、サラサ!」
すぐに起き上がって私の元まで詰め寄ってくるオックス様は、まるでこれまで遊びでやんちゃをし過ぎた時のように慌てていた。
「どうも、こうも、私もそろそろ相手を見つける頃ですので、一度故郷に帰ってお相手を探そうかと思っております」
そう言った瞬間に全員が肩透かしを食らったかのようにホッと息を吐いた。
一番落ち着いていらっしゃる奥様が私へ尋ねてきた。
「サラサ、まだお相手はいないのよね?」
「はい、奥様。私を好んでくれる方を探すのは大変ですが、紹介所に頼んで適齢の方を紹介してもらうつもりです」
私はお金の無い家だったが偶然にも伯爵様に働きぶりを見てもらえて住み込みで働くことができた。
仕送りもでき、私も少なから貯金が出来たのはありがたい。
「それなら後一年だけ居てくれないかしら? オックスも後一年で成人ですもの。給与も少し色を付けますから」
「それは構いませんが、オックス様は私のような小言の多いメイドが居るより、もっと優しい人の方がいいのではありませんか?」
オックスは一人息子ということもあり、好き勝手にこれまで生きてきた。
器用になんでもこなせるため、ある程度は何でもできる。
ただそのせいか普段からよく街に下りては女性絡みで問題をよく起こす。
程よく焼けた肌に、引き締まった体。
顔も良く、髪を後ろで結ぶ姿は変な色気を出してくる。
「いいわけあるか!」
突然にも大きな声で反対され、私の方が驚く。
普通に喜ばれると思っていた私には彼の考えが分からなかった。
一度話が終わって、私はオックス様の書斎へと向かう。
お昼が終わった後は、事業の勉強を行う。
ただいつもすぐにやる気を無くして遊びに行こうとするので、私は教鞭をパシッーンと鳴らして無理矢理勉強させるのだ。
飴とムチのやり方は心得ているのので、不機嫌になった時ように手作りのケーキも用意した。
部屋をノックしたが返事が返ってこない。
これはいつものパターンだと下町に遊びに行っているのだろう。
──少しは真面目になってくださると私も楽をできるのですが。
もしかすると寝ているだけかもしれないため、部屋を開けて中を確認する。
「えっ……」
そこに机の上でたくさんの資料を見ながら自学をしているオックス様がいた。
遊ぶときにしか見せない真剣な顔で、それを勉学に注ぎ込んでいた。
──もしや何かを企んでいる?
オックス様はサボることに関しては天才的だ。
少しできるようになればすぐにやめてしまうため才能が勿体無いと常々感じた。
私はじっとしてオックス様の横顔を見つめる。
私が三年前に来たときは本当に手が付けられない悪ガキだった。
好き勝手に興味があることをしようとするため、私が何度力ずくで止めたことか。
しかしたった三年でよくもここまでの美青年に変わるものだ。
中身も成長してくれればと思っていたが、今の真剣な表情で勉強されると少し寂しくもあった。
「ん……おぉッ!」
とうとう集中力が切れたようで、そばに立っていた私へ気が付いた。
時間にして二時間もぶっ続けで勉強したのだから、これまでと比べてもかなり頑張った方だ。
私は温かい紅茶をティーカップに注ぎ、ケーキと共に出した。
「今日は本当によく頑張っておいででした」
「そ、そうか? サラサのおかげだな」
急に私を褒めてきたため今の会話との整合性が取れなかった。
ただ人を労うというのをどこかで学んだのかもしれない。
オックス様は少し照れながらケーキを食べてくれた。
「今日は何を勉強されたのですか?」
「ああ、今度お会いする伯爵たちの特産を──」
先ほど学んだことをイキイキと話す。
そのとき、頬にケーキのクリームがついていた。
本人は気付かずに話してくれるが、どうしてもそれが気になったので、私は頬のクリームを手で拭った。
「え……っ」
拭ったクリームでぺろっと舐めた。
それを見ていたオックス様が固まってしまっている。
「すいません、クリームがついていましたので」
「あ、ああ。クリームか、はは! 少し席を外させてくれ!」
「ええ、オックス様、少し顔が赤くなっていますが、もしや熱とか──」
「これはそんなものではない! ちょっと用を足してくるだけだ!」
これは少し恥ずかしいことを言わせてしまったようだ。
私は部屋で待っていることにする。
一人残ってしまったせいで手持ち無沙汰だ。
──後少しでここもお別れね。
オックス様には手を焼くことが多かったが、やはり長年いれば情も移る。
それに比較的にオックス様はいい人ではあるので、私のような平民でも優しく接してくれた。
居心地は良かったが、これから成長していく若い男の家に、綺麗でなくとも若いメイドがいれば彼の奥方になる人と衝突が起きるやもしれない。
自分がこれまで掃除してきた棚や机を触っていく。
急に去ることを伝えたせいで、私自身も少しばかり感傷に浸っていた。
オックス様のベッドに座って、昔は風邪を引くたびに手を握ってあげたことを思い出す。
彼はどんな景色で私を見ていたのか少し気になって横になる。
それがいけなかった。
「──はっ!」
思わず眠ってしまっていた。
仕事中に寝てしまうとは気が抜けている。
そのとき、ベッドと同じ目線の高さで私を見つめているオックス様と目があった。
「うおっ!」
彼は驚き、私はすぐに謝罪をする。
「も、申し訳ございません! 思わず眠ってしまいました!」
急いで立ち上がって私は頭を下げる。
何かしら怒られるかと思ったが、オックス様は咳払いをして何かを誤魔化しているようだった。
「おっほん! いいや、いつも頑張っていればそんな日もある。ただ罰は与えんといかん」
「はい……なんなりとお申し付けください」
「それなら──俺と劇場に行くぞ」
私は下げた頭をまた上げた。
一体それが何の罰になるのだろうか。
「それが罰なのですか?」
「そうだ! これから教養を深めに劇を見るのだ! 眠い時間を一緒に過ごしてもらうぞ!」
またイタズラ心が出てしまったようだ。
ただそれだけで今の失態を許してくれるのなら逆にありがたい。
私は元々劇場自体は好んでいる。
オックス様はいつも退屈だと言っていたが、まさか自分から勉強のために行きたいというなんて、男子、三日会わざれば刮目して見よ、というが本当に急激に成長するものだと実感する。
「ではお召し物をご準備いたします」
私は彼の服をいつものように脱がそうとしたが、一歩後ろに下がられてしまった。
「い、いらん! それくらい自分で出来る!」
「これは別にご自身でされなくとも、私はメイドですのでお手伝いを──」
「大丈夫だ! すぐに出かけるからサラサは自分の支度を急げ!」
これはもしや思春期というやつだろうか。
ただオックス様はもう前に大きな思春期は超えられている。
そうすると何故、今さらながらに着替えを恥ずかしがるのか。
しかしこれ以上無理強いをすれば、いくら優しいオックス様も怒り出すかもしれない。
私は自分の支度を手短で終わらせ、またオックス様の部屋に戻った。
「ふむ、何だかいつもより締まらない気もするな」
鏡の前で一生懸命身支度をしている。
やはり慣れない着替えに手間取っておられるようだ。
私は横から近付いて、彼のネクタイに手を伸ばす。
「なっ!」
「動かないでください」
驚く彼を前もって言葉で制する。
すると静かに止まってくれたので、私はネクタイを整えてあげた。
「これで大丈夫です。いつものカッコいいオックス様ですよ」
オックス様のスーツ姿はたくさんの令嬢が喜ぶ。
ただ堅苦しいからと本人はあまり好きではないらしい。
「そ、そうか」
なのに今日はものすごく照れていた。
彼は私を改めて見回す。
「其方も綺麗だぞ、サラサ……」
「ふふ、女性をたらすのがお上手になられましたね。ですが、また問題を起こしても私はもう助けられませんよ?」
「そんなではない! ああーもういい! 行くぞ!」
オックス様はまるで話の分からないと感じで少し怒ってしまっていた。
これは少し余計な一言を言ってしまったかもしれない。
ボソッと、「大事な人をたらせないのなら意味がないではないか……」という声が聞こえ、もしかすると私で練習して上手くいかなかったことに腹を立てたのかもしれない。
馬車に乗って劇場へと辿り着く。
大きなホールで行われる劇は観る人を感動させる。
といっても一回しか行ったことがないのだが。
オックス様の付き添いとはいえ観させてもらえるのはありがたい。
私は先に馬車から降りて、オックス様が降りるのを待つ。
すると他にも劇場を観に来ていた名のある令嬢達が近寄ってくる。
オックス様が降りてくると黄色い声が降ってきた。
「オックス様! 貴方様も来られたのですね!」
「今度パーティをしますので来てくださいませ!」
「ちょっと抜け駆けやめなさいよ!」
さすがはモテる男。
オックス様も慌てることなく囲んでくる女性達に対応する。
「すまないね。今日は楽しみにしていた劇だったんだ。また大きなパーティをするからそこでたくさん話を聞かせてくれ」
慣れた対応だと思う。
令嬢達の話をすぐさま終わらせて私と共にホールの中に入った。
VIP用の椅子に座り、隣に座っているオックス様に尋ねた。
「オックス様も“ラクザハートの恋物語“が好きとは意外でした」
ラクザハートの恋物語は長編モノで本で出版されるほどの人気作だ。
お金がなくて劇にあまり行けない私は、奥様が趣味で集めている小説を読ませてもらっていた。
それがラクザハートの恋物語で、一度だけ劇を見たときの感動は筆舌に尽くしがたい。
「何を言う? 其方が好きだと言っていたものではないか」
呆れた様子で私を見ていた。
しかし出発前の言葉と違っていたため違和感があった。
「確か教養の勉強だと言っていませんでしたか?」
「えっ、ああ!? そうだとも! ただな、俺の勉強はサラサが教えてくれるのだから、二人で学ばねばならんこともある!」
突然アタフタとし始めてしまい何だか怪しいが劇が始まったらそんなのは気にならなくなった。
楽しい時間は過ぎ去り、最後のシーンで私は思わず感動で涙してしまった。
持ってきたハンカチで涙を拭き隣を見ると、オックス様はいつものように眠っていた。
やはりオックス様には少しばかり退屈だったようだった。
ヨダレを垂らしてみっともなく眠っているので、私はまだ使っていない綺麗なタオルで彼のヨダレを拭き取った。
「ん……っ、あっ!」
起き上がった彼は寝ぼけた目を擦ってやっと少しずつ目が覚めていく。
「ぬおお! すまない、サラサ! せっかく一緒に来たのに!」
頭を抱えて自責の念に駆られている。
ただ今回は私の罰で付き添っただけなので、彼が眠ろうとも私はとやかく言うつもりはない。
「お気になさらず。それよりも紳士としてヨダレを垂らす方をどうにかしてくださいませ」
「よ、ヨダレだと! もしやそのタオルは……」
「ええ、今拭き取ったものです」
「おおおおおお!」
私のタオルを奪われ、オックス様は自分の手に持つ。
「ごめん、サラサ! 汚くするつもりはなかったんだ! 新しいので勘弁してくれ!」
「いや、それはオックス様の家の──」
「遠慮するな! 飛びきり似合うやつを買ってやる!」
私の物ではなく、オックス様の家の物なので気にしなくていいのに全く私の話を聞いてくれない。
私の腕を引っ張られ馬車に乗り込み、訂正することもできず、家に着く頃には私も忘れていた。
また日が経ってから、オックス様は毎日勉強を頑張られる。
さらにある日は──。
「サラサ! 市場調査をしたいから、宝石店に付いて来てくれ!」
「かしこまりました。ですがそれなら奥様の方が──」
「いいや、サラサがいいんだ! これは若い女性である君じゃないといけない! お袋は指が太くてだめなんだ!」
オックスが失礼なことを思いっきり大声で叫ぶせいか、部屋のドアが勢いよく開けられた。
そこには奥様が腕を組んで、青筋を立てていた。
「オックス! 貴方には鞭打ち百回よ!」
「お、お袋! ち、違うんだ! 話を……ぎゃぁ──ッ!」
オックス様はたくさんのお仕置きを受けてしまった。
どうにか罰を受け終え、氷で頬を冷やしながら宝石店へと向かった。
お店には綺麗なブローチや髪飾り、さらには指輪なんかがたくさん置いてある。
店主もオックス様の顔は知っているので、すぐさま特別席へと案内された。
「これは、これは、オックス様。本日はどのような品をお探しでしょうか?」
「ふむ、そうだな。女性にとって一番いいやつを持ってきてくれ」
オックス様に言われた通りに、二つの宝石を持ってきて、オックス様へ提示した。
「こちらはマグマから出来たとも言われるルビーでございます」
「おお、綺麗だな。サラサの熱意にぴったりだな」
どうして私の名前が出てくるのだろうか。
店主は機嫌良く、さらにもう一つの宝石を持ってきた。
「あとこちらも逸品です。海のように全てを包み込むアクアマリンも女性から人気も高い物です」
「ふむふむ、これもサラサの優しさにぴったりだな」
だからなんで私が基準で言われるのだろう。
満足した彼は私へとびきりの笑顔で尋ねてきた。
「サラサはどちらが好きだ?」
「確か市場調査のはずですが、私の意見では参考にならないと思います」
「あっ……そうだった、市場調査、市場調査……」
まるで忘れていたことを思い出したように何度も復唱する。
するとまた何か思いついたように顔が輝き出した。
「これはあれだ! まずは一人の意見として参考にするためだ。だから、サラサ。答えてくれ! どの宝石が貰ったら嬉しい?」
「はぁ……」
私は改めて宝石をどちらとも見る。
どちらも素晴らしいほど大きな宝石で、とても綺麗だとは思う。
ただいかせん、私はただの平民。
宝石の良し悪しなんぞ分からない。
「申し訳ございません。私では計りかねます。ただ、一人の女性の立場から言わせてもらいますと──」
「ふむふむ」
「高すぎる物は相手に遠慮させるのではないでしょうか?」
「そ、そうなのか!?」
オックス様は心底驚いたようだ。
ただ貴族の令嬢で高い物に慣れている方ならその限りではないのかもしれない。
しかし今回は市場調査というところで、特別な一人を対象にしているのではなく、複数の人たちから統計を出すことが大事だ。
「それなら仮にだぞ、サラサは俺から貰って嬉しいのはどっちだ? 仮にだぞ!」
何度も強調せずとも、私が懸想するわけがない。
髪が目に掛かって邪魔だったので、耳に髪を掛けてから膝を軽く折って机の上にある宝石を見た。
だがやはり綺麗なだけでどちらを貰っても気持ちは変わらない。
私は正直に言うことにする。
「申し訳ございません。やはりどれを貰っても私では遠慮してしまうと思います」
「そ、そうか……」
「ただ、オックス様が一生懸命選んで下さった物でしたらどれでも一番嬉しいですよ」
「ん……ッ!」
急にむせてしまって顔を背けられた。
すると私は一度別室で待機するように言われて出されたお茶を飲む。
何故か私の指の寸法を測られた。
これも市場調査で必要らしいが、たまに私ではオックス様の考えが分からなかった。
何故か写真を撮られた。
それからまた別の日。
今度は女性用のドレスを見に行く。
もし意中の女性が見つかった時に、良いものを買ってあげられるように目を良くしたいらしい。
ただまたどうして私が一緒に行っているのだろう。
「オックス様、私ではドレスに負けてしまいます」
私はなぜかドレスを何着も試着させられていた。
これを私が着ても誰も嬉しくないのではないか。
「いいやサラサの魅力が負けるはずがなかろう」
オックス様は満足そうに私が着たドレスを褒めてくれた。
私のドレスを着させてくれる店員達が何度も小さく笑うのは、おそらく私と同じ気持ちだからだろう。
しかしただの試着でどうして細かく採寸されたのだろう。
その日もどうしてかオックス様と写真を撮られた。
それからまた別の日。
今度は評判の良いレストランに向かい、マナーの特訓をすることになった。
オックス様はだいぶ教え込んだので今更学ぶ必要もないが、良い食事で舌を鍛えるのは賛成だ。
しかし行く店、行く店が私の好みの料理が多い店だった。
本人曰く偶然と言っていたが、いつもレストランの行く前の日にどの店の料理か好み聞いてきて、私が選んだ料理のあるお店が選ばれるのは、果たして偶然なのだろうか。
この日も食事中の写真を撮られた。
「今日は社交場で踊らんといかんが、あまり今は意中の人がいないことをアピールせねばならん」
「はぁ……」
「だから、サラサには上手く俺の空いたタイミングでダンスの誘いを受けてほしい」
いつもモテる男も大変だなと思う。
しかしこれほどの遊び人で女性の扱いが上手いのに、意中の女性どころか、一夜限りの女性も作らないのはどうしてだろうか。
踊る前に写真をまた撮りたいらしいので撮られてしまう。
それから彼と二人で何度も踊らされた。
「もっと俺と目線で合わせてくれよ」
「申し訳ございません。踊りが不慣れなせいで上手く見れません」
とうとう私はメイドとして最後の一日を迎えることになった。
朝起きると私は奥様の部屋に呼び出された。
「サラサ、今日までありがとうね」
「いいえ、こちらこそ今までありがとうございます。オックス様の誕生日をお祝いした後に出ていこうと思っております」
「そう、それなら最後はしっかりおめかししましょうか」
私はあまり化粧が得意ではない。
しかし奥様がやれと言うのなら従わないといけない。
別のメイドが私の顔に化粧を施し、ドレスを着させてくる。
奥様の私物で見たことがないドレスで、もしかすると最近買ったのかもしれない。
ただどうして私にぴったりなのだろうか。
「ええ、似合うわよ、サラサ。ところでなんだけど、サラサはこの家を嫌だから出ていくの?」
突然の質問に思わず黙ってしまった。
しかし無言のままではそう思ってると思われてしまう。
「いいえ、逆です。私が残るとオックス様が結婚されるときに、年齢が近いメイドがいるとトラブルに発展するかもしれないからです。たとえ美人でなくとも、この家にはご迷惑をおかけしたくありませんので」
「そう……ならいいわ。今日は貴女の好きな料理がたくさん並んでいるから楽しんでいらっしゃい」
最後の日だからと私にも気遣ってくれるとは本当に優しい人たちだ。
ホールでオックス様のお誕生日会が行われる。
オックス様もかなり着飾っており、男前度が上がっていた。
たくさんの令嬢達から黄色い声が飛び交っていた。
だが彼はその声を無視して真っ直ぐと私の元へ向かう。
おめでとうと伝えようとしたが、彼は減速せずに私を抱きしめた。
「サラサ、よく来てくれ!」
持っているグラスを落としそうになる。
「オックス様、落ち着いてください。グラスが落ちます」
「君はいつでも冷静だ──」
彼は笑いながら一度顔を離すと、言葉を一度止めて目を細めた。
「いいや、今日も顔に出やすいよ」
私の顔を見てニヤニヤとしている。
思わず顔が赤らむのを必死に抑えるので精一杯だった。
「そんなことありません」
彼がここまで露骨にアピールすれば私だって気付いてしまう。
どうにか自分を誤魔化そうとしたがどうしてもできなかった。
だが彼はそんな私の気持ちなんぞ知らず、一歩下がってひざまづく。
そして小さな入れ物の箱を開けて私に表明する。
「俺の妻になってくれ、サラサ」
彼の真っ直ぐな目を直視できない。
思いつく限りの言い訳が言葉として出てしまう。
「私はその……愛想がありませんし」
「俺の前ではいつも笑ってくれていたじゃないか」
「それに綺麗ではないですし……」
「いつも綺麗じゃないか」
「私は貴方様とは違い、生まれもよく分からない平民ですし……」
「この一年でたくさん知ったさ」
何を言っても跳ね返される。
前は私の方が言いくるめたのに、これでは全てがあべこべだ。
彼は焦ったくなったのか、私へ近寄り左手を優しく持ち上げる。
「そんなに正直なのにどうして嘘をつこうとするんだい?」
「私をたらすのはおやめください」
「それは無理だよ。だって君だけを誑すためだけに頑張ったんだよ?」
どうして一年という期限を設けてしまったのだろうか。
いつの間にか私好みの殿方になってしまっていた。
私は跳ね除けることが出来ずに、ゆっくりと私の左手の薬指に指輪をはめられた。
前に見たルビーともアクアマリンとも違う。
シンプルな銀の指輪だが、そこには文字が彫ってあった。
「俺と君の名前を彫ったんだ。どの指輪がいいかすごく悩んだけど、サラサはこういう方が好きかなって」
彼の目をゆっくり見上げると、まるで今か今かと待っているようにこちらを愛おしく見つめていた。
背中を支えられ、私のグラスは奪われた。
ゆっくりと彼の顔が近づいてくる。
オックス様の誕生会で、私がメイドである最後の日だったのに、それが私と彼の結婚記念日にもなってしまった。
ある日、私とオックス様と撮ったの最後の一年の写真がいくつも出てきたが、どれも私が思っていた以上に楽しそうに、笑って、顔を赤らめていた。
二人を祝福をしてくださる方は、下の星を押していただけると幸いです。