上手くいかない
ミエナと少女が入ったあと、入れ替わりで風呂に入る。
無駄遣いのように感じていたクルルの浴室もこういうときにはありがたい。
……ネネは、多分しばらくは大丈夫だ。
少女に「助ける」と言ったのだ。ネネは文字も算学も出来ないが馬鹿ではない。
無理に突っ込んでということはしないだろう。決定的な弱点を見つけるまでは直接手を出すことはしないはずだ。
「……ネネ」
けれども、そうと分かっていようとも……心配しないはずがない。
「ランドー、背中流そうかー?」
「……ミエナ。無理にいつも通り振る舞う必要はないぞ」
脱衣室から聞こえる声に返すと、ミエナは少し参ったように乾いた笑い声を出す。
「……あー、んー……いや、あの子もそうだけど、ギルドには小さい子も多いから剣呑な雰囲気だと怖がらせちゃうでしょ。そういうわけにはいかないよ」
「……ああ、そうか。…………ん? いや、それだと俺しかいないここでする意味なくない?」
「じゃあ、あの子見てくるね。……私がいると怖いみたいだけど、ひとりも怖いみたいで」
質問に答えろよ……。
はあー、とため息を吐きながら、チャポリと肩まで湯につかる。
色々と渦巻く考えの中も、やはりネネの顔が頭から離れることはない。
「…………ネネも、ミエナも……俺を子供扱いしやがってよ」
そんなに俺は頼りないか。……まぁ、頼りないのだろう。
風呂の中で少し拗ねてから、身体が充分に温まったのを感じて脱衣室に戻って部屋着に着替える。
シャル達は朝早くだがベッドにはおらず、俺を探しにも来ていない。先程ミエナは「みんなでネネを探している」という主旨の言葉を話していた。
たぶん、クルルはギルドマスターとして、カルアは意見を出したりするためにギルドの方で会議などをしているのだろう。シャルは……たぶんカルアの手伝いだろう。
部屋に戻るとミエナがベッドに腰掛け、少女はだだっ広いベッドの上でぶかぶかなミエナの寝巻きを身に纏って横になっていた。
けれども目は開いていて、どこか不安そうにキョロキョロと瞳が動いている。
「……平気そうか?」
「んー、うん。大人しくしてる。ただ、これぐらいの子ならもっと不安を表に出す方が普通だけど」
「……暗殺者とか戦士とか、そういうものとして育成するつもりだったろうからな。泣いたり騒いだりしないように教育さらているのだろう」
いい子……というよりかは大人に都合の良い子どもと感じる。ミエナもあまりよく思ってはいないのか、複雑そうな目を子供に向ける。
「ランドも寝る?」
「……別の部屋で……」
「たぶん、連れてきた人も一緒にいた方が安心するから添い寝してあげて。ランドも気が多いとは言っても、変な気は起こさないでしょ?」
「……まぁ」
「あ、ランドの知ってる情報教えて。ギルドのみんなに共有してくる」
ああ……そうだな。ミエナにこれまでの顛末をかいつまんで話すと、ミエナはパタパタと足音を立てて部屋を出ていく。
少女は俺をじっと見て、不安を誤魔化すようにグッと拳を握る。
「……変な話を聞かせたけど、いい子になれとか、こういう風にしてほしいとか、そういうのはないぞ」
少女はふしぎそうに小首を傾げる。
「アホでも、弱くても、優しくなくとも大人しくなくてもいい。どうであろうと……味方してやるから」
「……?」
「今は休めばいい。疲れただろ」
しばらく俺も眠れないまでも目を閉じて、それからうすらと目を開けるが少女は目を開けたままで眠る様子はない。
まぁ、そりゃな。と思っていると、少女は俺が起きていることに気がついたのか、ゆっくりと口を開く。
「……帰らないと」
「帰りたいのか? 今度は本当に耳を切り落とされるぞ」
「……分からない。でも……怒られる」
「たぶん、アイツらには死んでると思われてるだろうからバレる心配はないぞ」
アイツらの倫理観からして、思いっきり腹をぶっ刺して殺そうとしてきた少女を保護しているとは思わないだろう。
俺がいなければ溺れ死んだか寒さで凍え死んだか、あるいは水流に呑まれたときに頭をぶつけて死んだか、まぁ何にせよ生き残っていることはないだろう。
アイツらが「水で押し流す」という選択肢を取ったのも、普通この季節に濡れた服を着ていたり裸だったりしたらほぼ確実に死ぬからだ。
下手な外傷よりも、気温というものはよほどの脅威だ。
「……どうしたらいいか分からないよな。何もしないのは怖いよな」
「……うん」
どうしたものかな……と思っていると、とてとてと足音が聞こえて扉が開く。
「ら、ランドロスさん……」
「ああ、シャル……」
と、声をかけようとしてから気がつく。……これ、もしかしてまずい状況か?
まず前提として……俺はロリコンだという誤解を受けている。
嫁との寝室、いつも嫁と寝ているベッド、俺と一緒に寝ている幼い狼の獣人の少女と共に湯上がりで添い寝。
まずい気がする。具体的に言うと……不貞現場を嫁に見つかったような、そんな緊張感が部屋を支配する。
「……い、いや、違う。違うんだシャル。いつも「違うんだシャル」と言ってるとき、だいたい違わないんだけど今日は本当に違うんだ」
どうしよう。刺されてしまうかもしれない。
一日に二度も幼女に刺されるようになったら洒落にならない。
俺が大慌てで言い訳しようとすると、少女は俺の服をちょんと摘んで俺を見つめる。
「……違った、の?」
「違わないんだけど、今その反応ややこしくなるからちょっと待って。いや、本当に誤解されるから」
少女は不思議そうに俺を見て、シャルは「じとーっ」と見つめたあと俺の横にポスリと座る。
「事情はミエナさんから聞きましたから慌てなくても平気です」
「ああ……よかった」
俺が安堵の息を吐くと、シャルは少女の方に目を向ける。
少女は知らない人物が入ってきたのに観察するように見るだけで警戒する様子はない。物音ひとつに怯えていたのに……それはシャルが小さくて弱そうだから安心しているのだろうか、あるいは……。
シャルはニッコリと微笑み、寝転んでいる少女の目線に合わせてベッドの横にしゃがみ込む。
少女が暴れたりしないかとかの警戒を忘れて、どこか見惚れてしまう。
「僕はシャルです。こちらのランドロスさんの妻の、シャル・ウムルテルアです」
そう言ってから瞳を覗き込み、少女の髪を優しく撫でる。
「綺麗な髪です。……柔らかい銀色で、あなたの笑った顔を見たくなります」
されるがままに撫でられた少女は、どこか見惚れたようにぽーっとシャルを見つめ返す。
「……お母さんいないんですよね。頼れる人も……なら、僕がお母さんになってあげます」
シャルは胸を張って、にっこりと笑いかける。
……シャルもまだ子供だろうとか、お母さんに会えないのは一緒だろうとか、そういうことを考えたあと、シャルが真剣な表情を浮かべて俺を見つめる。
「勝手なことを言ってごめんなさい。……その、でも……初めて会ったときのランドロスさんと似ていて……放っておけないです。ランドロスさんも、そうだろうと思って……」「…………まぁ、カルアやクルルに相談してからの方が良かったかもな。俺が言えたことではないけど」
「……はい」
シャルにしては珍しく、本当に何も考えずに口にしたらしい。本当に申し訳なさそうなシャルを見て、ゆっくりと話を続ける。
「シャルはまだ子供だ。同年代の子よりしっかりしていてお姉さんなのは分かっているけど……。人ひとりを守るというのは容易なことじゃない。孤児院で悔しい思いをしていたように、金も稼げないし、食わせてやることも出来ない。せいぜい身の回りの世話をしてやれるぐらいだろうけど、それも種族差があるからそれも難しいだろう」
「……はい」
「こういう言い方はしたくないけど、シャルには面倒見きれないから、ギルドや俺やネネ頼りになるだろ」
シャルは叱られていると分かっているようだが、それでも真剣に俺を見る。
「……カルアの兄が獣人をはじめとした多種族をちゃんと国に受け入れようとしている。この国の子供なんだから、そちらに預けるのが筋だろう」
「はい」
「そうでなくとも、ギルドで面倒を見るとか、メナの時みたいにギルドの大人に頼るとか、そうするべきだ」
「はい。分かっています」
「じゃあ、なんて言うべきか分かるか?」
シャルは唇を震わせて、涙を潤ませながら、幼いかんばせを真っ直ぐに俺へと向ける。
「……この子のお母さんになります。足りなくても、足りなくても」
……正直なところ、面倒みきれない。助けるべきだが、自分の子供として育てるべきとも思えない。
「……旅で、体力不足で落ち込んでたな」
「はい」
「ずっと、役に立てないと悩んでいたな」
「はい」
「…………正直な話、シャルと俺が結ばれていて、俺の女性の好みの問題も知れ渡っているから……あんまりいい噂が立たないぞ。ギルドの仲間も、心配しているからこそ嫌なことを言うぞ」
「はい」
「…………クルルとカルアとネネには、シャルから説明しろよ。大人には俺が話しておくから」
深くため息を吐く。ネネのことも心配なのに……また大きいものを背負い込んだ。
それになんでお母さんなんだか、お姉さんじゃダメなのか。ついでに俺の母にもなってほしい。子供として甘えたい。
……なんだかドッと疲れた。……ネネを見つけるための休憩、今のうちにとっておくか。




