相談
まずギルドに向かってマスターの姿が見えないことを確認する。朝方に寝ていて、もう夕方なのでマスターも仕事を終えた後かもしれない。
完全に昼夜が逆転しているのを自覚しながら、寮のマスターの部屋に向かう。
そう言えば、部屋の場所は知っていたが、実際にマスターの部屋に行くのは初めてだな。
少し緊張しながら部屋の前に来て、トントンとノックをする。
「ん、誰だろ。はいはい、ちょっと待ってね……」
そんな返事のあと、パタパタと急いだ声が聞こえて扉が開く。
子供っぽい寝巻きに身を包んだマスターが、濡れた灰色の髪を布で拭いながら出てきて、不思議そうに俺を見る。
「あれ、ランドロス。珍しいね。何か用があるの?」
こてりと小首を傾げて、マスターは警戒する様子もなく俺を部屋に通す。
「あ、この部屋は土足ダメだからそこで靴を脱いでね」
「ああ、分かった」
顔が赤くなっており身体を暑そうにしていた。白い素足にスリッパを履いたマスターが、髪を布で押さえながら俺に言う。
「ごめんね。お風呂に入っていて遅くなっちゃった」
「いや、大丈夫だ。風呂? 珍しいな」
「マスター特権というやつだね。まあ、普通に寮費を出したらちょっと広い部屋を借りれて、そこの一室を改造してるだけなんだけどね」
「はあ、なるほど」
マスターは急いで服を着たからか、少し乱れた格好を手で直しながら歩いて、ソファのある部屋に俺を通した。
お湯で濡れた髪や、それを纏めて上げていることで見えているうなじに色っぽさを覚えていると、椅子に座らされて飲み物を出される。
「それで、どうしたの?」
「……ええっと、相談に乗ってもらいたくてな」
「相談……? ああ……でも、私も見ての通りまだ子供で、恋愛経験なんてないから、上手く乗れるかは分からないよ?」
「いや、知っている仲だと一番マスターが信頼出来るので」
「うーん、でも、カルアも大切な仲間だからなぁ。あまりカルアが不利になることは言えないし……向いていないかと。話しなら聞くけど」
マスターは困ったようにそう言いながら、飲み物に口を付けてこくこくと飲む。
存外に少女趣味な可愛らしい部屋に気圧されながら、俺はゆっくりと自分の考えを纏めて口にする。
「えーっと、どれから話したものか……。俺は昔から好きな子がいまして」
「シャルちゃんだよね」
「はい。あの子が好きで、あの子と結ばれるために頑張って生きてきたんです。それで、この前の旅で……お友達からということにはなったんですけど、交友が始まりまして」
マスターはおおよそのことを理解しているのか、小さく頷く。
「まぁその、シャルは好きなんだけど」
「カルアのことも気になっていると……。なんだか、君は……結構気が多いらしいね」
「そんなつもりはなかったんだが……。そうらしい」
「……個人的な意見としてはね、やっぱり仲間の方が大切ってのはあるから、完全に中立としては話せないと思うけど。やっぱり当事者の間で話し合うのが重要じゃないかな?」
「……でも、他にも好きな女の子が出来たなんて言ったら傷つけないか?」
「んー、だから、それを含めてカルアよりの意見になってしまうと言ってるの。ほら、正直に浮気してごめんなさいって謝ったら、フラれる可能性あるでしょ? フラれた後もカルアは残るだろうしね」
確かに、カルアは重婚がありとまで明言してきているので俺が拒絶しない限りは一緒にいてくれるだろう。
「……どうしたらいいんだ」
「完全に何もかもが上手くいくなんてことはないんじゃないかな。あと、ランドロスは不器用なんだから、あまりとやかく考えても変なことをやらかすだけだと思うよ。何をしたいかとか、自分の望みと優先順位をちゃんと明確にしてから考えたらいいよ」
……ものすごく真っ当な意見だ。その場のノリのメレクや利益の話ばかりの商人や、マスターの話ばかりのミエナとは違う、ものすごく真っ当な助言である。
「……まぁ、二人を泣かしたりはしたくないな」
「じゃあ、ちゃんと話をしないとね」
マスターは戸棚からお菓子を取り出して机に置く。
「本当はご飯を食べた後に食べるのはよくないんだけど……。みんなには内緒ね」
「ああ……」
甘い菓子を摘まみながら、ゆっくりと時間を過ごす。きっと俺が考える時間を作ってくれているのだろう。
窓から差し込む夕日は既に落ち切っていて、ランプの灯りにも目が慣れてきた。ランプでは薄暗いけれど、考えるのに悪くない。
「……老婆心ながら、まぁ、いらないお節介だとは思うんだけどね」
老婆心など、少女が口にするには少し違和感のある言葉がマスターの口から出る。
彼女は俺の飲んでいたコップに飲み物を注ぎながら、優しげに俺に微笑む。
「君のことをよく知っているものとしては、その芽生えた恋心を「浮気心」とか「二股」とか「女好き」みたいに卑下してほしくはないかな」
「……いや、実際そうじゃないか?」
飲み物を注いでもらったコップに口を付ける。
今気がついたが、ミエナの作っていたお茶だな、これ。
マスターは微かに「そうかもしれないけどね」と笑ってから、指を伸ばして俺の鼻をちょんと突く。
「ここにきたばかりの時の君だったら、カルアのことを好きになってなかったと思うんだ。過去だけが大切で、新しいものは必要ない。みたいな顔をしてたよ」
「そんなことは……」
「自覚の有無は別としてね。……深く傷ついていたのは目に見えていたしさ……いつ自殺してもおかしくなさそうな顔をしてたよ」
「……まぁ、あまり……生きているのは、楽しくなかったな」
母が人間達に殺されてから……。母が俺に生きていてほしそうだったから、必死になって生きていた。
それもどうでも良くなって行き倒れていたら、シャルに助けられて……それからはシャルと再会するためにだけ生きて、勇者達と旅をした。
再会出来てからはシャルのために金を用意しようとしていて……。
「ね? だから……心配だったんだよ?」
「その、悪い。心配をかけていたとは……」
「ううん。だからね。カルアのことを好きになったって聞いて、ちょっとだけ安心しちゃった」
マスターは悪戯げに笑って話を続ける。
「人を新しく好きになれたというのは、君の心の深い傷が、少しずつだけど、ほんの少しずつ、ゆっくりとだけど、溶けていってるみたいでね」
「……それで、人を傷つけたら仕方ないかと思うが」
「人と人が深く関われば、人を好きにもなるし、それで傷つくこともあるよ。私もミエナをよくフって傷つけてるしね」
「……そういうものだろうか」
「うん。君のそれは、悪いことだとは思ってないよ。ずっと寂しそうだった昔から変われたってことだと思うし、きっといい方向に変われているんだと思う。だから……あまり自分を責めないで、ね。話ぐらいならいつでも聞いてあげるからさ」
ポリポリと頰を掻いて頷く。
マスターの言葉は俺には少し難しいが、ちゃんと受け止めて考えよう。
「ありがとうございます。相談に乗ってくれて」
「いや、いいよ。……ああ、そういえば闘技大会って知ってる?」
「ああ、ちょっと耳にはしたが」
「アレに、ウチからも何人か出すように言われてるからちょっと考えておいて」
「はあ……分かった。あまり乗り気にはなれないが」
飲み物を飲み終わる。なんだかんだと結構遅くまで話し込んでしまっていたらしい。
マスターは眠たそうに欠伸をして、こんな時間に話をして申し訳ないことをしたと気がつく。
その礼というわけではないが、少し考えておくか。闘技大会についても。他の奴が出るなら、出るつもりはないが。




