気がつきたくない好意
カルアのことをどう思っているか、など……考えもしていなかった。
初めて会った時は、育ちの良さが見える割に強く逞しい少女だと思って感心して、それからしばらくは日頃の言動で頭の良さを感じつつも食費や寮費を俺にたかってくる変な奴という印象を抱いた。
それから旅をして触れ合って、話をして……優しいところや可愛らしいところ、強いところや弱いところを見て……。
カルアのことを考えているうちに、酔いが回ってくる。
「……俺は好きな娘がいるからな」
それでもやはりシャルは好きだ。
「……まぁ、誰を選ぶとかは好きにしたらいいけど、お前の方が歳上なんだから、ある程度の節度を考えろよ」
「……そうは、言ってもな」
正直なところ……本当にカルアが俺のことを好きだったら、困る。
俺はグルグルと混乱する頭を誤魔化すために酒を飲んでいく。
困る。カルアに好かれていると、とても困る。……いや、何故困るんだ?
一緒に旅をしているのが居心地が悪くなるからか? それとも食事をする時に気まずいからか?
研究の手伝いをするのに変な気が紛れてしまうからか?
あるいはクウカから助けてもらうときに申し訳なくなってしまうからか?
……いや、別に、どれも……大して困るようなことではないし、どうでもいいようなことだ。けれど……やはり、カルアに好かれてしまうのは困ることは間違いない。
……不意に、気がつく。気がついてしまう。
気がついたことに気がつかないように、俺は酒を一気に飲み干して、三人を横目に立ち上がる。
「眠くて考えが纏まらないから、明日にしてくれ」
返事を聞く間もなく、そのまま悪酔いしてフラフラとした足取りで寮の自室に戻る。
気がつくな。このまま酔っ払ったまま眠って……今気が付いたことを忘れろ。なかったことにして、明日また、メレク達に「俺はシャルが好きだから、カルアが俺を好きでも気持ちには応えられない」とでも言うんだ。
寮の廊下で、自分を洗脳するようにぶつぶつと言葉を繰り返す。
「やめろ、考えるな、気付くな、忘れて、そのままぼうっと寝てしまえ……今寝たら、多分そのまま忘れられる」
自室に入り、ふらついた体をベッドに倒れさせる。その瞬間、柔らかい感触と温かい布に気がつき「ふんぎゃ」とここ最近で聞き慣れてしまった声を聞く。
「あぅ……もう……寝るときはちゃんと確認してくださいよ」
今は、今だけは……会いたくなかった。
気がつくからだ。気づいてしまうからだ。寝起きで眠たそうに目を擦るカルアを見て、子供っぽい寝巻きに身を包んだ小さな身体を見て、俺のものとは違う体の匂いを感じて、気がついてしまう。
「……悪い」
「えへへ、まぁ私が勝手に入っていたのが悪いんですが。その、長いことひとりで寝ていなかったので。一緒に寝ても、いいですか?」
カルアは小首をこてりと傾げて、絹糸のような髪を揺らしながら俺に尋ねる。
くりくりとした綺麗な青い目と、細い肢体。あどけなさの残る笑みに、甘えるような言葉。わざと気にしないようにしていた心臓が、嫌に強く、俺に「気が付け、気が付け」と言わんばかりに跳ねる。
カルアは可愛い。仲間相手だと気にしないようにしていたが、改めて見れば、その容姿の端麗さだけではなく、笑ったときのちょっとした癖も、ふざけているときの仕草や声色。そのどれもが魅力的に映る。
「……自分の部屋で寝ろよ」
「ダメですか?」
「ダメだ。俺もゆっくり寝たい」
「……あれ、何かあったんですか? 様子がいつもと違いますけど」
カルアにまで気がつかれるほど、今の俺の様子はおかしいのだろうか。酔った頭で、不意に思いつく。
カルアが俺のことを好きだというのがメレクの勘違いだったら、メレクが馬鹿なことを言っていたという笑い話で終わりだ。
俺は酒気の混じった吐息を口から漏らしながら、ゆっくりとカルアに言う。
「メレクが馬鹿なことを言っていてな。……カルアが俺のことを好きとか、何とか。それで少しだけ気になったというだけだ」
怒るカルアの姿を想像しながら話した言葉に、カルアの声が返ってくることはなかった。
ベッドの上で固まったまま、真っ赤な顔を俺に向けて、目をキョロキョロと泳がせていた。
馬鹿な俺でも気がつくほどに、分かりやすい反応。
小さな手が布団を抱き寄せて、カルアの身体を隠す。
困る。と、思った。
とても、困る。とてもとても困る。何が困るのか……と、考えないようにしていたそれが、自然と浮かび上がってきてしまう。
「そ、そういうのは……やめてくれ」
カルアは泣きそうな表情を浮かべる。
返事は返ってこない。今にも泣き出しそうな顔をしているのに、ギュッと口元を閉じて、涙を出さないようにと堪える。
「好きになってしまうから、そういうのはやめてくれ」
可愛くて優しい女の子なのは間違いなく、自信満々な表情や、慌てた姿、真っ直ぐなところや、弱いところ。
良いところを山のように知っているせいで……そんな子に好かれていると思えば、意識はしてしまう。
いや、気がついていなかっただけで、とっくに意識はしていたのかもしれない。
「あのな、俺はシャルが好きだ。知っての通りのことだが……シャルと恋人になりたいし、結婚したいと思っている。なのにな、他の女の子のことも好きになるのは、最悪だろう。だから、困る。困るから……そういう、俺がカルアを好きになりそうな行動は、控えてくれ」
カルアに惹かれてしまっている自分の気持ちに気がついてしまった。
けれど、シャルのことが好きな気持ちに変わりはなく……このままでは、ふたりの女の子を同時に好きになるという、ロリコンストーカーに加えて浮気野郎という不名誉な称号まで追加されることになる。
カルアは俺の言葉を聞いて、よく分からないといった表情を浮かべる。
「あ、あの……それは、一体どういう……」
「だから、カルアを好きになると困るから、そういうのはやめてほしい。ふたりを同時に好きになるのはダメだろう」
「そ、それは……まぁ、あまり良いことではないのは確かなんですけど……。その、私の立場からすると、好きな人に好きになってもらえそうだから、それを聞くと余計アピールをしたくなるんですけど……」
「いや、カルアはいい奴だから、自分に俺が惚れないように気を使ってくれるはずだ。この芽生えかけた浮気心を抑えてさせてくれるはずだ」
「ええ……。い、いやですよ、好かれたいです」
頼んだら聞いてくれると思っていたのに、案外強情な……。
微妙な空気の中、カルアが口を開く。
「……あの、えっと、なんですけど。つまり……このまま行くと、ランドロスさんは私のことを好きになるってことですか?」
「ああ、だから……あまり可愛いのとかは控えてほしい」
「ランドロスさんの気持ちは分かったんですけど……私としては、好きになってくれた方が嬉しいので、このままランドロスさんに抱きついたりした方が得なんです」
「……そういうのは、やめよう」
「……いや、ええ……私にとっては得しかないじゃないですか。好きな人とくっついてたら、好きな人に好きになってもらえるんですよ」
「そこをなんとか、譲ってほしい。好きになったら困る。既に、かなり困っている状況なんだ」
「え、えっと、それは既に好きになっていただいているという……」
「そうならないために、だ。まだ大丈夫なんだ。まだ、浮気じゃない。……明日から旅に出よう。シャルに会いに行って、この芽生えかけた浮気心を鎮めよう」
「ええ……」
そうだ。しばらくシャルに会えていないからだ。
カルアのことを完全に好きになってしまう前に、シャルに会ってこの浮つきそうな心を鎮めよう。
前の孤児院よりもかなり近い街にあるし、朝早く出てちょっと会って帰ってくる分なら問題ないはずだ。




