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祈るように握って

 人の熱というものは不思議と落ち着く。

 浴びた返り血の温度と変わらないはずなのに、ギュッと握られている手から感じるネネの温度は妙に心地よい。


 不器用ながらも気遣うような手つきのまま、俺の頭を布で拭いていく。


「……濡れたままほったらかしていたせいで、いつも以上にゴワゴワになってるな」

「ネネは案外身嗜みに気を遣っているよな。髪も肌も綺麗だし、いい匂いもする。……落ち着く雰囲気だ」

「……寝た方がいい、ランドロスも。……なんなら、時々院長とやらの様子を見に行って、彼女が起きたら起こしてやる」

「……寝れそうにないんだが」

「お前さっき、先生には目を閉じて体を休めろとか言ってなかったか?」


 言ったな。そういえば。自分は言いはするも、実際に焦燥感を抑えるというのは易いことではない。

 頭では理解していても、まだ院長が自分の実の祖母であったことが腹の中に落ちてこないのだ。


 天涯孤独の身と思って、何年経ったことだろうか。それに慣れてからはどれほどか。


 何より……ずっと会わずにいたことが、酷く申し訳ない。さっきまでずっと、母への罪悪感に苦しんでいたのだ。


「……目を閉じて、私に身を寄せろ。お前のことなんか大嫌いだが、暖めるぐらいしてやる」

「……いや、どう考えても俺のこと好きだろ」


 まぁ……疲れたのは事実だ。心も体も、短い間に疲弊してしまっている。

 ……そうか。あの人は死んでしまうのか……なんて他人事のように感じて、けれども腹の底が冷えるような感覚が治らない。


 それでも目を閉じて時間が過ぎるのを待つ。……死んでほしくないなんて……多くの人を殺してきた俺が願うなど、虫が良すぎる話だろうか。


 あれを悪事とは思っていない。戦争なんてそんなものだ。俺は戦わなければ死ぬだけだったし、シャルも無事ではなかったろう。……俺は何を考えているのだろうか。


 既に割り切ったことを再び考えるなど……いや、違うか、割り切ったのではなく……考えられていなかったんだ。


「……シャル、人は死んだらどうなるんだ?」

「え……あの、教会の教えについてですか? その……」

「魔族がどうとかは考えなくていい」

「え、えっと……いい人は天国に行って、悪い人は地獄に行くんです。天国は、とても幸せなところだそうです。周りは優しい人ばかりで、豊かな食物と清潔な住居、不思議な道具でいろんなお仕事をしなくてすむんだそうです。地獄は……みんないがみ合っていて、少ないご飯を奪い合って、雨風に晒されながら苦役を課せられるそうです」


 ……俺が生きていたところは地獄だな。


「……そうか。そこの教えでは院長は幸せなところに行けるのか。……ネネ、獣人の考えはどうなんだ?」

「……私は幼い時しか獣人の里にいなかったから、詳しくは分からないぞ。私自身信じてないしな。……死んだら別の生き物になるそうだ。良く生きていれば、上等な生き物に、悪く生きていれば畜生になる」

「ネネはどう思っているんだ?」

「………何でもいい。ただ、いい人には報われてほしい」


 ネネは俺に目を向けて、その長いまつ毛をパチパチと瞬かせる。


「……似合わないことを考えているな。殺人が悪とされているのは、人にとって死は……いや、なんでもない」


 似合わない気の遣い方をしているな。

 ……まぁ、そうか、殺人が悪いこととなっているのは、人にとって死が不都合なことだからだ。


 本当に死ねば幸せになれるのだとすれば、そんな規範など必要ないだろう。


 何もしない時間がただ過ぎていく。シャルの啜り泣く声が台風の音と混じって聞こえるだけだ。

 それからどれだけの時間が経ったのか、太陽が見えないせいで分からない。ずっと息を殺して泣いていたシャルが泣きつかれるほどの時間が過ぎた頃、ネネがポツリと口を開く。


「……ランドロス、少し遠くが騒がしくなった」

「……ああ、起きたのか」

「…………いや」


 ネネはそれ以上の言葉を言わなかったが、それで良くないことが起こったのだと充分に分かった。シャルは耐えきれないように部屋から駆け出して、俺はそのあとを追う。


 部屋の前の廊下にさえ人が多く集まっており、その中にシャルが割って入る。


「先生! 院長先生っ!」


 部屋の中に入ると、治癒魔法使いのような格好の男が苦しそうに呻く院長に魔法をかけていた。


 まだ生きていてよかった……とは言えない。魔法使いは魔力がなくなったのか魔法を止めるが、治っているようには見えない。


 ……在野の魔法使いならこんなものか。

 シャルが縋り付いているのを見ながら、手元に回復薬を取り出す。飲ませるのは無理だ。……腹に穴を開けて……いや、苦しませるだけか。


 こんなものがあっても仕方ないか。……そう考えて、不意にギルドを出る前のことを思い出す。

 ハッキング……他人の魔法を操る魔法であり、イユリの得意技。


 回復薬は、魔力が込めやすく毒性のない液体に治癒魔法を込めたものであり……魔法だけを取り出せば、少しでも院長の苦しみを和らげることが出来るのではないだろうか。


 ……そんなこと出来るのか? と考えたが……出来るはずだ。シルガの回復力はアブソルトよりもはるかに上だった。あれは魔王の不死に加えて何かしらの魔法で回復しているからのはずである。


 何らか……などと、決まっている魔法のハッキングである。

 つまり……理屈としては可能だろう。……俺が使えないことを除けば。


 ……自分以外の魔力を感じるというのがまず分からない。わかったとしても操れるとも限らない。

 …………いや、違う。同じやり方だとできないだけだ。


 瓶を開けて、ゴクリと飲み込む。間違いなく治癒魔法は発動しており、体の筋肉痛が治っていく。

 ……魔力は感じていない。だが……それがあるのは分かる。


 空間魔法の魔力を身体の中に無理矢理混ぜ込み、雷の魔法と融合させた時のように、感じられない魔法と混ぜる。


 治癒魔法の魔力は分からないが、空間魔法の魔力に何か異物が入り込んでいることが分かる気がする。

 その魔力を身体から引っこ抜くと、回復が止む。


 それをそのまま院長の方にぶつけると、ほんの少しだけ顔色が良くなる。

 ……出来た。死ぬのは防げないだろうが……それまでの苦しみは少し取り除くことぐらいなら、出来るのかもしれない。


 心の中でイユリに感謝しつつ、新しく回復薬を取り出して握り込み、目を閉じてそれの中に空間魔法の魔力を込めて混ぜていく。

 一度出来てしまえば案外出来るようになるものだ。


 元々、二つの魔力を利用することが出来ていたからかもしれない。

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