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「大丈夫ですよ、シャルさん。これは……嬉しかったんです。たぶん、私は」

「え、えっと……」


 シャルが困惑しているのが見える。院長も、あまり元気じゃないようだし、俺が説明をするか。

 座っていた椅子を開けてシャルに座らせ、雨で濡れた髪を、空間魔法で出した清潔な水で濡れた布で拭いてから乾いた布で拭いていく。


「……俺の母が、院長の娘だったと、話していたら分かったんだ」

「へ? ……えっと、母って、僕のことですか?」

「なんでそうなるんだよ……」

「えっと、甘えんぼさんなので……?」


 シャルに甘えているのは否定出来ないがそれを別の人の前で言うのはやめてほしい。

 院長は咳き込んで、俺たちを見る。


「……シャルさんは、幸せそうですね」

「えっ、あ、は、はい。今も、昔も……ずっと、優しい人に囲まれています。世界で一番、幸せなのだと思います」

「……厳しいことばかり、言っていませんでしたか?」

「叱られるようなことばかりしていました」

「……お腹を空かせていませんでしたか?」

「いろんなところに、頭を下げに行ってご飯をもらってきていたことを知ってます」


 シャルは院長の手を握って、ボロボロと涙を溢す。


「大好きです。……いつも、いっつも、院長先生には感謝してます。本当のお母さんのように思ってます」

「ふふ、お母さんと再会出来たのですから、そんな事を言ってはダメですよ?」

「じゃあ、叱ってください。……ずっと、ずっと、お母さんだと思っているので……。ずっと、ずっと、叱ってください」


 院長は困ったような微笑みを浮かべて、力なくシャルの体を抱き寄せる。


「……ランドロスさん」

「……ああ」

「この子を、よろしくお願いします。おてんばで、気が強くて、きっといつも困らせると思います。でも、誰よりも優しく思いやりのある子ですから」

「ああ、知ってる。任せてくれ」


 そう言うと、シャルの背に回していた手がストンと落ちてグッタリと倒れる。驚いて近寄ると、まだ息はしているようだがそれは酷く苦しそうで意識が朦朧とし始めていた。


 ……真面目な人だから、気力だけで今まで話していたのだろう。

 シャルはギュッと院長の手を握り、ボロボロと大粒の涙をこぼしながらも、声を押し殺して泣かないようにしていた。


 大声で泣けば、院長が苦しむと思ったのだろう。


「らんっ、ら、ランドロス……さん、し、しばらくっ、こ、こにいても、い、いい、です……か?」


 泣かないようにしても、声を出そうとしたら溢れてきそうなのだろうか。喘ぐような苦しそうな声をシャルがあげて、俺はそれにゆっくりと同意した。


「……ああ」

「て、手を、握っていて、くれたんです……。ぼく、が、風邪を引いたとき……」


 雨風で室温が下がり、体が冷える。

 ああ、そう言えばネネを放ったっきりだった。知らないところで一人でいさせるわけにはいかないかと思っていると、扉がノックされる。


「……入って大丈夫か?」

「……ああ、静かな」


 どうやら、話が終わるまで待っていてくれたようだ。俺の服を着たネネは、俺とシャルを見てから院長に目を向ける。


 それから何も言わず部屋の隅に移動した。


「……ネネ、身体は大丈夫か?」

「……私に構わなくていい」

「つまり大丈夫じゃないのか。……商人はまだ起きていたようだから、部屋を用意してもらうか。獣人がいると面倒なことがあるかもしれない」


 まぁこんな天気で何時間も走れば、体力も尽きて体調がおかしくなって当然だ。

 シャルを一瞥して「すぐに戻る」と言って部屋から出る。近くで座っていた商人を見つけたのでそちらの方に向かう。


「商人、ネネが疲れているようだから休ませたいんだが」

「ああ、ええ、お部屋を用意させていただきますね」

「……あれ、用意してないのか?」

「すみません。すぐに用意します」

「いや、責めるわけじゃなくて……。いつも先回りしているお前が珍しいと思ってな。……そんなに心配なら、部屋に入ったらいいだろ」

「いえ……」


 商人の様子に溜息を吐く。


「別に大人だから我慢しろとか、数ヶ月しか一緒に過ごしていないから我慢しろとか……。そんなの思う奴はいないだろ」

「……別れに水を差したくはないんですよ」

「そんなタマかよ。いつもみたいにヘラヘラ笑って入ってこい。それで、室温が低いから暖房器具代わりに突っ立っておけ」

「ええと、でも、部屋は……」

「前のところをそのまま借りる。ネネが獣人だからと思っていたが、ここにはそんなことを言う奴はいないしな」


 商人の肩を掴んで部屋に引き摺り、部屋の中に叩き込むと、いつのまにか知らない人が増えていた。

 どうやら商人の部下のようで、物腰が穏やかそうな女性だった。


 ネネは少し警戒しているが、女性の方は気にした様子もなく院長の側に立っている。


「……ネネ。部屋の用意が出来なかったから、さっきのところでいいか?」

「ああ」

「商人、調理場を借りるな。ネネとシャルに少し温まるものを作ってやりたい」


 部屋から出て、空間把握で調理場のような場所を見つけ、色付きガラスを目に入れて変装をし直してからそこに向かうと、数人の子供達がわちゃわちゃと動いていた。


「わっ!? せ、先生!? ご、ごご、ごめんなさいっ! これは全部みーくんの命令で!」

「そうだよ! みーくんの企みに巻き込まれて……ってあれ?」

「なんで僕だよ!? 先生……あれ、先生じゃない?」


 子供達は悪さをしているのがバレたと思ったのか慌てた様子だったが、俺の方を見て首を傾げる。


「誰? ど、どろぼう!?」

「いや、どこかで見たような……あ! ロリコンのおじちゃん!」


 前に引っ越す前に孤児院に来た時にも見た子供たちだ。今日は目隠しをしてないのによく分かったな。数ヶ月前に少し会っただけなのに。


 俺は少し腰を屈め、子供たちと目線を合わせながら尋ねる。


「……危篤と聞いてシャルを連れて飛んできたんだ。……お前ら、こんなとこで何してんだ。慌てていたけど、悪さしてないだろうな」

「えっお姉ちゃんも来てるの?」

「わ、悪さなんてしてないよ。と、トイレと間違えただけ!」


 いや、トイレと間違えたのは嘘だろ。何か怯えた様子が見えたので怒られるようなことをしていたのだろうと思っていると、調理場に色々なものが散乱しているのが見えた。


 米に鍋に薪に水……。なんとなく察する。


「粥でも作ろうとしていたのか? ……子供だけで作るのなんて危ないだろ」

「で、でも……院長先生が……」

「……あと、これ分量とかちゃんと測ってないだろ。というか、物を散らかしすぎだ。ほら、まず片付けをして」

「は、はい。でも……その……」


 俺のような大人に言われたら怖いだろうと思ったが、けれども子供達は解散する気配はない。

 軽く溜息を吐いて、空間魔法で踏み台を取り出す。


「片付けだ。こんなに散らかしてたら、作れないだろ」

「えっ……いいの?」

「良くないけどな。子供だけで火を使うとか危ないだろ。……だから、俺が教えてやる」

「ロリコンのおじさん、料理出来るの?」

「ロリコンのおじさんすごいっ!」

「俺はロリコンのおじさんではない」


 ……多分、この子達はまだ院長先生が死ぬだろうことを知らないのだろう。ただ風邪を引いたという話を聞いて……自分がしてもらったようなことをしようとしているのだ。


 調理場を片付けさせながら、小さく溜息を吐く。


「……何が失敗した、だ」


 どう見ても、よく生きているだろう。俺の祖母は。

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