貴女の優しさが
「……失敗なんて、誰でもする。俺も毎日失敗してシャルに叱られてばかりだ」
院長は俺から目を逸らし、息苦しそうに息を吐く。
「……違うんです。ダメだと、分かっていたんです」
「……よくあることだ。気に病む必要はない」
「見捨てたんです。私は……子供達を」
思わぬ言葉に一瞬だけ口が閉じてしまう。
「……シャルは貴女を愛していた。他の子供達もだ。……だから、嘘でもそんなことを言わないでほしい。娘がいるんだろ。……きっと貴女の娘も今から来るだろうから、その時はあまり弱音を吐かない方がいい」
「……来ませんよ」
「分からないだろ。あの商人は、性格は悪いが優秀だ。だからどこにいてもきっと見つけて……」
「死にましたから、とうの昔、十年も前に」
思わず息が詰まる。口にすべきでなかったと、言葉を間違えたと後悔する。
「……私は子供達を見捨てたんです。娘を愛していたんです。孤児の子供達も愛していましたし、全ての人を愛していますが、どうしても……娘は特別で。……娘が罪を犯し、処罰されようとしたとき……つい、庇って。除名と追放処分に留めることが出来ました」
院長が口を閉じれば、台風の風の音や揺れが体に響いてくる。打ちつける雨粒の音は、当たってもいない体に鋭さを感じるほど大きい。
「私は中枢から外されて……。娘を庇わなければ、今頃……孤児院を、子供達を助ける力があったはずなんです。多くの子供と、たった一人を天秤にかけて、間接的に私は多くの子供を殺しました。そこまでして庇った子供を身篭った娘も、結局は死にました。私は、我が子も、孤児の子供達も、両方を殺したんです。罪を庇ったがために」
「……院長が優しく育てた娘が、本当に罪を犯したのか。……敵対派閥から引きずり落とすために仕組まれたとか……だとしたら、その作戦に乗らなくとも、遅かれ早かれ……」
言い訳のように言葉を並べると、院長は悔やむように言う。
「いえ、本当に娘は罪を犯していたんです。……優しい子でした。優しくて、あまりにも……」
今にも死んでしまいそうな老女は、ただただ悲しそうに言う。
客観的に見て、人を愛し、人を救い……素晴らしい人生を送っていると思う。だが、そんな清廉潔白なひとだからこそ……感じる後悔があるのかもしれない。
少しずつ小さくなっていく声。止めようかとも思いはしたが、シャルが来る前に言いたいことを吐き出させた方がいいかもしれない。
尊敬する師の懺悔など、きっと聞きたくはないだろう。
耳を傾けていると、院長は信じ難いことを口にする。
「娘は傷ついた魔族の人を、助けてしまったんです。拾って、匿って……いつのまにか愛してしまって……」
「……魔族の…………男」
思わず、目を見開く。
言葉が理解出来ず、いや、理解出来たからこそ頭の中がぐちゃぐちゃになっていき、思考が纏まらない。口を開けては閉じて、それでも何かを言おうとして開けて、思考が纏まらずまた閉じて……。
「ランドロスさん、どうかなさいましたか?」
「…………セリーヌ」
「え……何故、娘の名前を……?」
「……母だ。俺の、母だ。十年前に死んだ、俺の母親だ」
目に入れていたガラスを取り除き、半魔族の証である紅い瞳を院長へと向ける。彼女はただ呆然と俺を見て、弱々しい瞬きを繰り返す。
「……は、はは、そりゃ……シャルが母さんに似てるのも……当然だよな……。同じ人に愛されて、育てられてきたんだ。似たようなことを言うし、仕草とか、叱り方も似てて当然だ」
「……本当、なのですか?」
「…………今、気が付いた」
何もこんな死に際にじゃなくても良かったのに。纏まらない思考の中、母の顔を思い出した。
「この赤い目が証拠でいいだろ。……俺、本当にマザコン拗らせていたな」
「……シャルさんと、娘は性格がそっくりですもんね」
「というか、親父も拾われてたのかよ……。どうなってんだよ血筋……」
院長はくすりと笑い、俺へと手を伸ばす。
「……顔、見せてもらえますか?」
「……ああ」
じっと顔を見つめられて気まずい気になりながらも振り払う気にはなれなかった。
「……お父さん似ですね。目つきの鋭さや、顔付きが似ています」
「そうなのか。……会ったことあるんだな。まぁ……俺にはどうでもいいが」
父親は今更だ。
会いたいとは思わないし、探す気もない。そもそも生きていて、会ったとしても父親と判断する方法すらない。
「……母は、院長に感謝をしていたよ。いつも優しくしてくれていたと」
「……恨んでいても、子供に恨み事を聞かせるような子じゃないですよ」
「…………昼に寝ると、太陽に嫌われて運が悪くなる。……だったか? 俺が子供の頃に教えられた話だ。嫌いな人の作った話なんて、子供に聞かせたりはしないだろ」
院長は押し黙り、俺は続けて話す。
「……俺が金を持っているのは、腕っ節が立つからだ。強かったから勇者パーティに入って魔王を打ち倒して、戦争を終わらせた」
一息置いて、ゆっくりと院長に言う。
「貴女は正しかった。俺はそれを知っていて、それを証明出来る。母は死んだが、人間を愛し、夫を愛し、子を愛し、世界を愛していた。不幸な人生では決してなかった。……母も、俺も、シャルや他のこの孤児院の子供も、あるいは他の孤児院の子供も……貴女のおかげで、よりよく生きれているのは間違いない。貴女が間違いとする選択をしたからこそ、愛と優しさに従って生きたからこそ、戦乱が終わったんだ」
もう一度、言う。
「貴女は正しかった。いい事をした。それはずっとそうだった。……優しく、気高く、愛に溢れた人が、間違ってなんているはずがない」
院長の目から、ぽろりと雫が垂れ落ちる。
「すみ……すみ、ません。泣いてなんて、みっともない」
「いい。構わない……。今まで、ありがとう。……祖母と気がつかなくて、ごめん」
ぼろぼろと泣いている院長を見つめていると、扉が開いて小さな人影が入ってくる。
「失礼します。……い、院長先生。お、起きていたんですか!?」
濡れたままの髪のシャルが院長の元へと駆け寄り、涙を流している院長を見て目を白黒させる。
「こら、シャルさん……走ってはいけませんよ」
「す、すみません。お体は……」
院長はシャルが来たからか、虚勢を張るように注意して、仕方なさそうに微笑む。




