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疾走

 どうするべきだ。

 シャルを獣の皮とかで包んで雨に当たらないようにして走るか? ……回復薬を飲みながらの全力疾走なら二時間ぐらいで……いや、雨風があるからもう一時間はかかるか。

 というか……この天気で迷わずに行けるか? 窓の外を見てみると、空が雲に覆われていて大雨が降っているせいで、完全に光がない。


 ……当てずっぽうで走るか? いや、そんなことをして全然違う方に行ったとして……行ったとしても、星がなければ時間の感覚が分からない。思いっきり逸れて遠くに行ってしまったとしても夜が明けなければ気がつかないだろう。


 ……それとも今知らせが来たことを隠して、台風が去った後に来たことにして……。いや、それで間に合わなければ……間違いなく一生後悔するだろう。


 どうするべきか迷っているとネネが部屋から出て行こうとする。


「ね、ネネ、クウカを見ていてほしいんだが……」

「……マスターもいるから大丈夫だろう。私は着替えてくる」

「……着替え?」

「お前は先生を起こして、さっさと着替えろ」


 ネネが何が言いたいのか分かり、思わず彼女の黒い目を見つめる。俺と違い、迷いのひとつも見えず、そのままじっとこちらを見返した。


「……私も行く」

「…………この天気だぞ?」

「この天気だ。私がいなければ道に迷うだろう。それとも、暗闇と雨風の中、真っ直ぐ走れるか?」

「ネネは……」

「走れる。だが、お前ほど力はないから、先生を背負うのは任せる。いいな」

「悪い。……恩に着る」

「いいからさっさと起こして着替えろ。時間がいくらあるかも分からないんだろう」


 ネネの言う通りだ。今は一刻も早く、シャルを院長のところに送り届けなければならない。


 一秒早く行けば、一秒長くいさせてやれる。

 水を通さない動物の皮を取り出しながら寝室に飛び込み、寝たままのシャルを持ち上げて包む。


「ひゃあ!? な、な、なに!? なにごとですっ!? ら、ランドロスさん! 助けてくださいっ!!」

「落ち着け、俺だ。時間がないから説明は後にする。今はそのまま大人しくしてくれ!」


 寝ているところを唐突に袋に包まれたシャルは目を白黒させるが、すぽんと顔を出して俺の顔を見て安心した表情を浮かべ、それから不安そうな顔に変わる。


「なんでそんなに急いで……」

「今から外に出て、孤児院まで行く」


 そう告げるが、それ以上シャルの表情を見ることは俺には出来なかった皮に包んだシャルをおんぶし、寝巻きのまま外に出ると、いつもの黒装束に身を包んだネネが立っていた。


「ランドロス、着替えは」

「このままでいい」

「……分かった。行こう」


 そのまま廊下を走ろうとすると、部屋の中からクウカがヨタヨタとやってきて、毛布を踏んづけて転びかける。


「あ……ろ、ロスくん。……えっと、こ、これ」


 毛布の中から手を出したクウカに、ネックレスのようにされた回復薬の空き瓶を渡される。


「おまもり……の、つもり」

「……ああ、ありがとう。助かった」


 まだ捨ててなかったのかという呆れを覚えながら、すぐにネネに引っ張られて外に出て、力を緩めれば吹っ飛んでしまいそうな雨風の中に出る。


「っ! ネネ!」

「ぴったりついてこい。見失うなよ。この轟音だと、数メートル逸れたら声は届かないぞ」

「ああ」


 そう言ってから走り出す。背中のシャルが力なく俺の体に身を預けるのを感じる。


「……院長先生、ですか?」

「ああ、危篤だそうだ。だから、今すぐ……!」


 俺がそう言うと、シャルは俺の背中をトンと叩く。


「……台風が去った後にしましょう。……ランドロスさんとネネさんが危ないです」


 シャルの言葉は涙に濡れているように震えていて、鼻水を啜る音が聞こえる。


「……僕の、僕が院長先生に会いたいなんてワガママで、お二人を危険な目には遭わせられません」


 そんな言葉を聞きながら、俺の前を走るネネに着いていき衛兵を無視して国から出る。


「ランドロスさん、帰りましょう」

「帰らない」

「危ないです。ダメです。僕のためなんかに……!」


 ぬかるんだ地面を蹴り、既に全身が雨に打たれてびしょ濡れだ。体から体温が抜けていくが、走っていればそれでも多少は温まる。大丈夫だ、俺もネネもこれぐらいの寒さなら街までは保つ。


「……シャルのためじゃない。……最後に、院長もシャルに会いたがっているはずだ」

「……そんなこと、ないです。僕なんか、沢山いる孤児院から卒業した子供のひとりでしかないです。院長先生が助けた子供なんて、何百人といます」


 シャルの言葉は酷く正しく、自分のことを理解しているように思えた。客観的に見てそうなのだろう。

 シャルの言っていることが正しいのかもしれない。


 ……けれど、院長は……本当にシャルのことを愛していたように、俺は思った。客観性も論理も何もない。

 俺は、そう見えた。だから……俺は今、こうして走っているんだ。


「……シャル、院長はシャルに会いたがっている」

「そんなこと……ないんです。分かってます。……院長先生が本当に会いたいのは、娘さんです」

「……未婚じゃなかったのか」

「早くに、旦那さんを亡くされたそうです。娘と会いたいって……昔、ボソリと言っていて……僕じゃないです」

「……だとしても、会うべきだ」

「……僕は、違います」

「違ったとしてもだ! 違ったとしても、一方的に慕っていたとしても! 会って、愛していたと。会って、ありがとうと。言うべきだ。死ぬときは寒くて怖くて寂しい。ひとりでも多く、誰でもいいから……近くにいてほしいんだよっ!」


 そう叫んでから、自分が初めてシャルに怒鳴ったことに気がつく。

 シャルが俺の背中で震えて、怖がらせてしまったかと思っていると、シャルは言う。


「……会いたいです。最後に……最後に……僕を育ててくれた、誰よりも尊敬している。綺麗で、かっこよくて、優しいあの人に……」

「ああ……揺れるだろうし、寒いだろうが、しっかり捕まっていてくれ」


 間に合え、間に合ってくれ。

 だってシャルはこんなにも優しく美しい。そんな風にシャルを導いた人は、少しでも、ほんの少しでも……報われるべきだ。報われなければならない。報われてほしい。


 ワガママだ。ただの、俺の勝手な願望だ。

 だけど……だから、走れ。俺。

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