孤児院
商人の馬車の中で目の中に黒いガラス片を入れることで人間に変装する。
シャルがほんの少し不満そうな表情を浮かべるが、まぁ仕方ないだろう。
俺も出来ることなら変なものを入れた状態ではなくシャルのことを見つめたい。
……シャルのことばかり気にしていたが、いざとなってくると俺も緊張してくる。
……シャルとの結婚を院長に反対されたら……だとか、シャルの両親が見つかってシャルが両親と暮らしたがってしまったら……。あるいは孤児院の子供たちがシャルと離れるのを嫌がってシャルが説得されてしまったら……。
多くの不安が襲ってくる。何があろうとも無理矢理にでもシャルを連れて帰るつもりではあるが、実際に無理矢理連れて帰れば少なくとも関係性は変化してしまうことだろう。
……だが、不安な顔はしていられない。シャルも不安なのだから、俺がしっかりとドンと深く構えていなければ支えられないだろう。
いつのまにか伸びてきていた髪を、シャルがくれた髪留めで括る。
「よし、行くか」
気合も入った。シャルは俺の妻だし、俺はシャルの夫だ。隣にいるのは当然のことで、堂々と振る舞うべきだ。
商人の馬車が街中に進む。
商人は久々に戻った自分の街の様子を見て微かに胸を撫で下ろした。
「あまり変わった様子はありませんね」
「悪いな。もう少し早く来るべきだったか」
「いえいえ、旦那も忙しかったでしょうし、女性を口説くのに」
「突然嫌味を言うな。……孤児院の院長に心労をかけたくないから、変なことは言うなよ?」
商人は街の方を見ながら俺に言葉を返す。
「変なこと……と言うのは、旦那の普段の行いの話で?」
「いや……まぁ……うん、そうだよ」
「妻の親のような人に対して普段の行いを隠すというのは誠実でしょうか?」
やめろ。突然正論を吐くな。
正論がいつも正しいと思うな。どう考えても「あと三人女性がいます」とか正直に言ったら、シャルのことで心配させるだけだろう。
あまり褒められた考えではないが……院長の歳やそれに至るまでの苦労を考えると、これから長い時間を生きるということはないだろうし、隠し通すのはさほど難しいことではない。
騙す言い訳のようではあるが……素直に話すのも、それは俺の気分を良くするだけだろう。
「まぁ、良くないのは分かっているが、結局は何らかは隠すことになるからな」
「そうですか。アタシがどうこう言うことでもないですからいいですが……あ、着きましたよ」
「着いた? まだ入ってすぐの大通りだろ。大通りに商人の店があるわけないだろ。もっと小さな胡散臭い路地裏の片隅にあるような……」
「いや、これが事実ですよ」
商人はそう言いながら、一際大きく立派な建物に目を向ける。
「……いや、それは……なんというか、違うだろ。お前はそういう奴じゃないだろ。もっと小さな胡散臭い店で、たまに迷って入ってきた人に気持ち悪がられて出ていかれるような、そんな店を構えているべきだろう」
「……べきだろう、とは」
「いや、イメージ的にな」
「アタシのイメージ? まぁ確かにそうですね。こういうお店ではなくお花屋さんやケーキ屋さんをしてそうなイメージですよね」
それはない。
花は花でも何かしらの幻覚作用がある花とかを売っていそうだ。
改めて店を見直すと立派な建物だ。客足も多く、不思議なことに肉や野菜や魚と、色々な品物が大量に並べられている。
「……これは何屋なんだ?」
「だいたい日々の生活で必要なものは売ってますよ。まぁ手に入らないことも多いので、いつでもというわけにはいきませんが」
無茶苦茶だな。と思っていると馬車は店を過ぎていく。
「あれ? ここじゃないのか?」
「流石に店の中に孤児院があるわけでもないので、すぐ近くですよ」
「……もしかして自慢するためだけに立ち寄ったのか?」
「そうですよ? あ、ここです」
……少しは隠せよ。
商人のせいで緊張が保っていられず、ため息を吐きながら馬車から降りて、シャルが降りやすいように手を握ってゆっくりと降ろしてやると、シャルが「あっ」と口を開く。
「シャル……? わ、わわっ!? おかえり! 行ったっきり帰ってこなかったからみんな心配してたんだよ?」
「す、すみません。色々とありまして……あっ、えっと……ただいま、です」
前に孤児院に来たときも会ったシャルと同い歳ぐらいの少しおませなところのある少女がシャルを見て慌てたようにパタパタと話す。
シャルも久しぶりに会えて嬉しいのか、珍しく子供っぽい表情を彼女に向けていた。
あまり邪魔をするのも悪いかと思って少し離れようとすると、少女の顔がこちらに向く。
「あれ……もしかしてランドさん? 目、治ったんだ」
「ああ、久しぶり」
「……ふむ、ふむふむ……おふたりさん、だいぶ距離が近いですなぁ」
少女は意地悪そうな目でシャルを見て、シャルは照れたようにもじもじとしながら俺の方に目を向ける。
「そ、その……えっと、帰ってこなかったのもそういう理由があるというか……えっと、その……ら、ランドロスさんと結婚をしまして……」
「へ……け、結婚したの!?」
「は、はい。その……相談もなしにというのは申し訳ないなかったです」
「い、いや、それはいいんだけど……」
シャルの結婚がよほど衝撃的だったのか、少女は根掘り葉掘りと聞いていく。
シャルはなかなか帰ってこなかった負い目があるからか質問に丁寧に答えていき、羞恥に顔を赤らめていた。
一通り満足するまで聞いたのか、少女はシャルと俺を見比べるようにしてから微かに笑う。
「そっかぁ。おとなしい子が案外すぐに嫁に行くってお姉さん達が話してたけど……本当だったね」
「ん、んぅ……いえ、ランドロスさんを好きになっただけなので、たまたま早く結婚しただけかと……あ、院長先生は元気ですか?」
少女の顔が一瞬だけくもり、すぐに取り繕うように明るくなる。
「今日は、体調もいいみたいだよ」
「今日は……ですか?」
「……ちょっと……最近は疲れが出てるみたいで、あっ、でも、たぶんシャルが顔を見せたら元気になると思うよ」
やはり、年齢が年齢だけに……何かの病気などにはかかりやすくなっているのだろう。
少し不安に思いながらも少女に連れられて院長の元に向かった。




