脅迫
まだ夕方になっていないが、扉が開いた音が聞こえて、シャルがパッと俺から離れて身嗜みを整える。
そうしているうちにカルアが部屋にやってきて俺達を見る。
「あ、起きてたんですね」
「は、早いですね。どうかしたんですか?」
「夕方からだったらご飯を今のうちに食べたら、一緒に食べても大丈夫だと思いまして」
「あ、そ、そうですね」
シャルの慌てた様子にカルアは察したような表情を浮かべる。
じとりとした視線に気がつかないフリをしながらベッドから出て、二人と一緒にギルドの方に向かう。
珍しく空いていたギルドの真ん中にある果物の木の下の辺りに座って、ちょっとした軽食を注文する。
「シャル、写本とかもしてるんだよな。作業はしんどくないか?」
「んぅ……家事をしている時間以外は結構暇ですから、特に辛いということは……。勉強にもなりますしね」
「それならいいんだが……」
「ランドロスさんランドロスさん、私の心配はないんですか?」
「……いや、カルアは言っても聞かないだろ」
「何を言うんです。こんなに素直で可愛いカルアさんに」
カルアに手を伸ばされてわしゃわしゃと撫でられる。
素直……。可愛いのは間違いないが、素直……?
軽く食事をしていると仕事を終えたらしいマスターがやってきてぽすぽすと俺の頭を撫でてから隣の席に座り、二人に触られて乱れた髪をシャルが梳くように撫でて直していく。
……俺の頭を撫でるのが流行でもしているのだろうか。
「お疲れ、マスター」
「もうほとんど仕事がなかったから、あまり疲れてもないけどね。やっとひと段落って感じかなぁ」
「……この前から時々来ているギルド加入希望者は?」
「んー、基本的には他のギルドの紹介をするかな。ほら、依頼書を見せたらだいたい現実を見てくれるから。どうしても他に入るところがないようならもちろん受け入れるけど」
ああ、そんな解決策があったのか。まぁ現実的に、他のギルドに比べると金は稼ぎにくいよな。
「どうしようもなかったら迷宮鼠二号館みたいなのを作ろうという計画もあったんだけど。みんなでトンカンして」
マスターはトンカチを叩くジェスチャーをしてから小さくほっと息を吐き出す。
「まぁ、そんなものが必要になるほど加入希望者はいないと」
「寮費もここでの食事も他のギルドに比べたらかなり割高だし……他のギルドに一度行ってから決めるように言ったら待遇の差で基本的に他のギルドに行っちゃってね。……迷宮鼠、施設とか色々揃ってて初心者向けの講習まである剣刃の洞よりも寮費も食事代も高いからね。正直なところ質でも負けてるし」
マスターはぐったりと項垂れる。
来られても困るが、来られないのは来られないで悲しいということか。
まぁ……仕方ない。
「加入希望者とは私が直接話をするわけじゃないんだけどね。なんとなく落ち込むよね」
「まぁ、魔物の素材とかもギルド内で売るのより、外の適当な店で売る方がだいぶ高く売れるしな」
「……し、しないよね?」
「するわけないだろ。ギルドがなくなって困るのは俺もだし。儲けの大部分はギルドメンバーの子供とかに使ってるだろ」
迷宮鼠の中のものが高かったり、素材の買取が安いのは、他のギルドではあり得ないほど沢山の子供がいるからだ。
その子供や子供のお世話で働けないギルドの仲間を支えるのに使われているのだから、多少損をしようとも別の場所に移る気にはなれない。
「よかったぁ……。と、思うんだけど……。あの、ランドロス、その……ランドロスって、多分、今なら他のギルドに幾らでも入れると思うし……なんなら独立した方が金銭的に……あれだけど」
「するつもりはない」
俺の答えを聞いてもマスターは不安そうな顔をやめない。いや、それを前提として他に本題があるようだった。
「……そ、それは、その……私が迷宮鼠にいるから?」
あぁ恋人であるマスターがギルドマスターをしている義理があるから離れないのではないかと危惧をしているのだろう。
そんなことはないと言って不安を取り除こうと考えたが、一瞬だけ悪い考えが頭をよぎる。
これ、マスターのため迷宮鼠に在籍していると答えたら……ギルドの金銭的な状況を人質に取ることになって、マスターが俺のことをフれなくなるのではないだろうか。
俺は自分で言うのもあれだが、ギルドの稼ぎ頭だ。
俺がいなくなれば……俺が来る前の元に戻るだけとは言えど、金銭的に厳しくなるだろう。
そうなれば、マスターは俺を引き留める必要が出来て、もしマスターに嫌われても別れを切り出されることがなくなるのではないだろうか。
……いや、それは良くない。とても良くない。
いくら将来的にフラれる可能性を考えると怖くて仕方ないとは言えど、そういう脅しにもなるようなことをして繋ぎ止めるのは最低である。
「……まぁ、そうだな。好きな人がいるところを辞めたくないよな」
……恐怖に負けて脅しみたいなことをしてしまった。いや、だって、どうしてもフラれるのは怖い。
罪悪感を覚えていると、クルルにジッと見つめられる。
「……あれ? なんでランドロスが申し訳なさそうにしてるの?」
「……いや、別に。うん…….」
「ここは私がランドロスに損をさせていることを気にして、ランドロスが慰めるところじゃないのかな。なんでランドロスが申し訳なさそうに」
マスターが首を傾げていると、カルアがわしゃわしゃと俺の頭を撫で回しながら口を開く。
「ランドロスさん、そういうのはよくないですよ」
「……いや、だって……」
「だって、じゃないです。まったくもう……」
俺の意図を察したカルアは、仕方ないといった風にため息を吐いてからマスターに説明をする。
「ランドロスさん、マスターを繋ぎ止めるために金銭で脅しをしようとしてました。最低です。まったく」
「……え、ええ……どういうこと?」
「ランドロスさんがいなくなったら収入が大きく減るので、マスターと不仲になってギルドから出ていかれるとギルドが困るじゃないですか。だから、マスターはランドロスさんと別れるわけにいかなくなる……というのを利用しようとしてました」
カルアにジトリと睨まれて、目を逸らしながら小さく「ごめんなさい」と言うと、カルアは「まったく……」と怒ったように俺を見る。
「あ……な、なるほど。……私がランドロスを嫌いになることはないから大丈夫だよ」
「……ああ、ごめん」
「いや、たまたまそういう状況になったってだけなんだから、謝らないといけない状況じゃないよ。悪いことはしてないしね」
……いや、まぁ俺が言ったのは「好きな人がいるところからは辞めたくない」とだけで悪いことはしてないが……良くはなかったな。
それが脅しになると分かりながら言ったわけだし。
「……もし、嫌われようとも、俺は愛したままだろうから、気にしなくてもいい」
「えへへ、そっか。よかった。……でもごめんね、その縛りつけるみたいなことをして」
「……いやまぁ……元々、俺は人見知りだしな。他のところに移籍するのは無理だ。他にも大切な仲間はたくさんいるしな」
マスターは当然として、メレクやミエナやネネやイユリや他の仲間達から離れるのは辛すぎて無理だ。
今生の別れではないにしても辛すぎる。
そんな話をしているとギルドの扉の方から大量の荷物を持ったミエナが入ってくる。
よく見てみると全て菓子などらしい。……朝、シャルがお菓子とかにしろと言っていたが……多分そういうことではないのは、常識に欠ける俺でも分かった。
そもそも、愛が重いとか以前に……。その大量の菓子が腐るまでに全部は食えないだろう、あの魔族の少女は。




