Log7.不穏
2111年6月19日 アルファ・ケンタウリ星系外延部付近 小惑星地帯
基地を発ってはや数か月が過ぎた第2航宙水雷戦隊。現在は小惑星帯の中で停止している
無論、一刻を争うこの状況でのんびりと休暇を取っているわけではない―旗艦のタウン級軽航宙巡洋艦、12番艦クリーブランドには横付けしている艦が1隻
ボルティモア級重航宙巡洋艦の2番艦、タイコンデロガがクリーブランドより伸びる各種のケーブルと固定用ロープで繋がれている
…しかし、その様子は単なる補給作業とは言い難い。クリーブランドのすべての砲門はタイコンデロガに向けられ、武装した兵士がタイコンデロガの艦上を見て回っている
まるで敵艦を拿捕して臨検しているかのようだったが、この表現は間違っていない
EGSタイコンデロガは、つい数十分前まで地球政府軍所属ではなかった
この艦はこれまで件のシリウス基地に配属されていた。その後は他のシリウス所属艦と共に音信不通、消息不明の状態だったが、2111年6月19日15:32、第2航宙水雷戦隊の前に姿を現した
航行中の艦隊の前に単艦でレーンアウトしてきたタイコンデロガに対し、水雷戦隊は戦闘態勢を敷くとともにじっと様子をうかがった…
レーンアウト後より10分後、タイコンデロガより入った通信は第2航宙水雷戦隊司令―アレンビー・マクミランを驚かせた
通信によると、タイコンデロガの元艦長はシリウスを制圧した「反政府組織」に忠誠を誓い、本艦をその指揮下に入れようとした
ただ副長を含むほとんどの乗組員は納得しなかった。彼らは隙を窺い、タイコンデロガの補給が終わったタイミングで、艦長室のロックをハッキングし内部から開けないようにした。裏切り者の艦長を中に入れて
「艦長の体調不良」を伝え「完熟訓練の実施」を理由にシリウスを発ったタイコンデロガは数か月の航海の末この地点へ到達。我々と遭遇したのは極めてまれな偶然だと…そういうことだった
彼らがウソをついている可能性はあったが、少なくともマクミランはその可能性は低い、と今は思っている
臨検をおとなしく受け入れ、こちら側の指示にも従順に従う。先ほど艦長室が解放され、茫然自失となっている元艦長が発見されたとの連絡が入った
事情聴取できるかは怪しい、と医療長は言っていたがどうなることやら
「中佐、タイコンデロガの現艦長を連れてきました」
窓の外の巡洋艦を見つめる私に副官が声をかけた
彼の隣には初老のアジア系男性が姿勢正しく直立している
「あなたが副長の…」
「はい、タイコンデロガ副長、宮田重三。階級は中尉です」
彼の敬礼に対し私も礼を返す
「まずはここまでの航海、大変なものだったと思います。お疲れさまでした」
彼は一切姿勢を崩さないでいる。服もシワ一つなく新品のように整えられている。…が、その顔には少し疲れの色が見えた
彼の心労も無理はない。まず上官を監禁の上、艦の指揮権を奪取し独断で行動を続けるなど軍人にはとてもあってはならないことだ
それを犯すストレス、いつどこに敵がいるかわからない緊張感。それがこの経験豊かな中尉をここまで疲れさせたのだろう
「宮田中尉、あなたの行動は軍人として…あまり大きく讃えられるものではありません。しかし、その勇気と国家への忠誠心は、個人的にとても素晴らしいものと思います」
ねぎらいの言葉を掛けられた彼は、少し表情が緩む
「そして中尉、我々には情報が必要です。…知っていることを、すべて話していただけますか」
「無論です」
その言葉を聞いた私は、彼を空いていた近くの椅子に座らせるとともに、端末の音声レコーダーの電源を入れて質問を始めた
2111年6月25日 プロキオン星系内 駆逐艦サミュエル・B・ロバーツ艦内
「艦長、ちょっと懸案事項が…お時間よろしいですか?」
当直の引継ぎ時間で私と副長以外が一時的に居ない艦橋で、副長が傍によって話しかけてきた
「はい、大丈夫ですけど、どうかしたんですか?」
「実は最近…ちょっとカウンセリングを受ける生徒の数が多くなってきた、という報告が寄せられていると医療課から伝達がありまして」
ああ、その件か…と私は頭を抱える
ついこの間も道端で会った医療長が愚痴をこぼしていた
「頼ってくれる分にはいいんだけど、それだけみんなストレスを抱えてるってことだからねえ。あんまり人が増えるのは複雑な気持ちよ」
そう言った彼女に少しでも気が休まればと思い、持っていたアイスティーを渡した記憶がある
「以前も嘆いていた記憶がありますね、そういえば」
「もうご存じでしたか。詳しくは報告書を回しますのでそちらを」
副長の端末からメールが送られてきて、画面に新規メールのアイコンが出る
それを開くと中身はさっき言っていた通り医療課からの報告書だ
カウンセリング希望者の数は目に見えて増加していて、今月になってからはすでに19人が受診。うち9人は再診が必要と判断されたらしい
「これはちょっと…」と不安を口にした
「艦という密閉空間に缶詰でもう数か月、それに戦闘もありましたからね…」
報告書によれば相談内容は「本当に生きてたどり着けるか不安」「一体いつまで航海しなければいけないのか?」というのが多い
「こういう場合は当直時間の見直しと、船外遊泳の一次許可を出すんだっけな…」
教科書を開いてストレスコントロールについての記述があった所を探していると、航海長が艦橋に戻ってきた
「よーう艦長。今戻ったぜ」
「お疲れ様です、サラ航海長。昼食はどうでした?」
「今日も美味かったぞー…最近パンばっかでマンネリ気味なのを除けば」
そういえば、ここのところは食パンばかり出ている気がするなあ
たしか、最近2週間ぐらいはずっとパンか。米派の私にはちょっと寂しく感じてくるころだった
「交代でーす」
航海長とたわいもない会話をしていると、代わりの当直要員が来たので私たちも昼食を取って一休みすることにした
食堂は多くの生徒たちでにぎわっている
ピークの時間はもう過ぎているが、女子と言うのは話の長い生物なので昼休みギリギリまで話し込む子は多い。さすがに5分前とかになれば出ていくが
「こんにちはー、まだやってます?」
副長がカウンターに近づいて受付の子に話しかけた
「はい、今日のメニューはシチュ―と黒色パン、トウモロコシのサラダです。いつも通りそちらから貰っていってください」
受付の子からトレーを貰ってカウンターを回り、その上に料理をよそってもらう
ひとしきり回ってから副長と一緒に空いた席に着いた
「予想はしてたけど今日もパンかあ」
「前は1週間に1回ほどのペースで出ていたんですけどね、この4週間ほど米粒一つすら見てませんよ」
「…食べさせてもらってる以上文句は言えないけど」
そのパンから手を付けて食べ進める
今日の昼食もおいしい。特にシチューは具だくさんで食べ応えがあるし、サラダは中華風のドレッシングが甘いコーンとよく合っている
ひとしきり食べて満足した後、私は手の空いていた主計課長のアリスさんに話しかけた
「主計課長、今日の料理も美味しかったです。ごちそうさまでした」
「そう言ってくださると、幸いです」
「それでちょっと気になることがあって…最近は白米を料理の中に見かけませんが、また出してくれるとうれしいなーって…それとも何か事情が?」
すると、主計課長が顔を曇らせて何やら考え込み始めた
しばらく黙っていたが、周囲を見渡して人の流れを確認すると主計課長が声を潜めて離し始めた
「実は、ここ最近食料がいつの間にか減っている、という事態が発生しています。在庫の確認は何度も行っているのですが…もう4週間ほど続いていて、誰かが盗んでいるのではとのうわさも。特にコメが重点的に狙われているのです」
それによって最近はコメが出せないのです、と彼女は説明した
思いもよらなかった理由に驚く。この艦で食料の泥棒、もしそれが本当だと考えると、信じていた乗組員に裏切られたような気がして血の気が引いた
「で、でも、まだ実際に起こっていると決まったわけではないですよね?」
「はい。なので今日から食糧庫に監視カメラを設置して様子を見るつもりですが、それについて艦長の許可を頂きたく」
しっかり者のアリスさんだけあって、対処行動は素早い
「監視カメラについては構いません。何かあったら知らせてください」
「ありがとうございます。この件は主計課総力を挙げて解決いたします」
最後におよそ厨房担当課らしからぬ発言を残して主計課長はキッチンへと戻る
「ギンバイってこの時代にもあるんですねえ…」
「ギンバイ?」
聞かない単語を言った副長に問いかける
「艦の食料を盗んで食べる行為のことです。この呼び方は昔の日本で使われていたとか」
その副長の言葉で思い出したが、昔から食糧の盗難というのはよくあることだ。という話を吉川教官長が前にしていたのが記憶にある
「食料の盗難というのは主に2つの原因によって発生します。それは狭い艦内生活のストレスと、不十分な食事による空腹です。これを防ぐには乗員のストレスコントロール、補給課と連携しての徹底した糧食管理が求められます
…とはいえ、3大欲求の1つ、食欲には非常に弱いのが人間です。1度の間違いを犯した乗組員は罰するものの厳罰にはせず、むしろ艦長にとっての教訓とするべきでしょう。何度も盗難をするようであれば罰則の強化も必要ですが」
3か月ほど前の授業でたしかそう言っていた
もし盗んでいる子を見つけたら、この言葉に従って罰則は慎重に決めるべきか
考え込む艦長との間に無言の時間が流れる中、副長は楽観的な意見で励まそうとした
「そもそもまだ盗難と決まったわけじゃないですよ、補給課のミスや、小動物が紛れ込んでいたって可能性もあります」
「…それもそうですね。ここは結論を急がず待つべきですか」
「ええ。主計課からの続報を待ちましょう」
副長の意見で少しだが余裕の持てた私は、その後30分ほど副長と話してから食堂を後にし、その時行った相談で決めた通り各部長に「食料盗難の可能性あり」とのメールを機密扱いで送っておいた
2時間後、前に補給長のアンナさんから貰っていたパズルをしていると、部屋のベルを鳴らす人がいた
「艦長、情報長のヤン・メイリン。電機長のメリー・カニンガム。機関長のシャルロ・ダルラン。参りました。食料盗難の件について少々お話が」
散らかっていた机の上をあわてて軽くまとめた後にドアを開いた
メリーさんとメイリンさんはいつも通りだが、機関長のシャルロさんはシャワーを浴びたのか心なしかホカホカしている
「失礼かもですが、この3人というのは珍しいですね」
メリーさんとメイリンさんはよく一緒にいるのを見かけるが、そこにシャルロさんがいるというのはあまりないので聞いてみる
「シャルちゃんは暇してたらしいんで今からアタシら艦長室行くけど一緒にどうよって聞いたらOKもらったんで同行です」
気楽な電機長が答えると同時に懐からアソートパックの菓子を取り出した
「あの…艦長、さっきも言いましたけど、食料盗難の件…実はそれにちょっと関係するかもなことがあるんですっ」
電機長が菓子の袋をひっくり返すと袋分けされたチョコレートが机に広がるが
機関長の言葉に興味を惹かれた私は意に介さず、機関長へ話を続けるよう求めた
「聞かせてください」と言うと電機長は怯えた様子で話し始めた
以前、整備の為に機関室近くの配線室で整備を行うために扉を開けた時、彼女は一瞬だけ人影を見たという。
同行していた数人も見かけたために配線室を捜索するが見つからず、何かの見間違いかと思って本題の配線整備に移ろうとしたところ
電気ケーブルの一部が損傷してるのを見つけた。それは明らかに人為的なものであったそうだ
機関長はそのときのことを思い返すと怖くなるようで、語る様子はまるで怪談話でもしているようだった
思ったより怯えていたのか情報長が頭をなでて落ち着かせてやる
「情報課の子もたまに言ってます。艦内で見知らぬ人影を目にすると…なにか食料盗難と関係があるんじゃないかと思い伺った次第です」
情報長はその謎の人影が食料盗難犯ではないか?と疑っているようだ
では今度は「その人影は何なのか」という疑問が生じる
心当たりは何かないか?と3人に聞いてみたところ電機長だけが答えた
「…艦長、前に先輩から聞いたんすけど、この艦には幽霊が出るらしいっすよ…なんと、ラインハルト宇宙軍総司令官の霊が!」
「はあ」
彼女の言うラインハルトとは、前の宇宙軍総司令官のことだ
「無人艦隊構想」の下にレーベレヒト級の建造を推し進め(私たちのサミュエルはその10番艦)、いずれは宇宙軍のほとんどを無人艦艇で構成するつもりだったらしい
しかし2104年に交通事故で死去。その後は現在の宇宙軍総司令官であるフランチェスコ・ミクローシュ元帥が後任となった
「レーベレヒト級はラインハルト総司令官の考案した無人艦隊構想、その第一陣を務める肝いりの艦だった…けれども自身の唱えた無人艦隊構想は廃案となり、レーベレヒト級も微妙な評価となってしまったその無念は強く、それが形となって今でもレーベレヒト級の中を漂っているのだ…」
たまにテレビでやってるようなホラー話番組みたいな語りを繰り広げる電機長に、シャルロさんはすっかり怯えている
その一方で私と情報長は冷ややかであった
「つまりその、艦内の不審人物は幽霊であると」
「…いくらなんでも突飛が過ぎます、それにラインハルト前総司令官が死去したのは地球。この艦は今まで地球に入港したことはありませんし…その話を聞いた先輩って誰ですよ、サミュエルを使うのは私たちの世代が初めてなんですよ」
「先輩がネットで拾ってきたから気を付けろって出発の前DMに送られてきた」
「うわ最悪のソース元…」
SNSに転がっている与太話レベルで信用のない情報を報告するためにやってきたのか…と思うと少々あきれる
私もそろそろ眠くなってくるころなので寝たいのだが
「そのラインハルトさんって男の人じゃないですか?私が見たのは女の人っぽかったです」
未だにやいのやいの言い続ける電機長と情報長の間にシャルロさんが割って入る
2人は「そういえばそうっすね」「ラインハルト前司令官は背も高いし女の人っぽくはないですしねえ」とその意見でひと段落就いた
その時。あれ、待てよと何かが引っかかる感覚がした
引っ掛かりの原因はすぐに見つけ出すと、それをもとに流しそうだった先ほどの発言を拾い上げてもう一度質問してみる
「シャルロさん、今女の人って言いました?」
「え、あ、はい。どうも女の人っぽい感じがして…そんなに大きくなかったし、髪も長かったし」
女の人。あやうくスルーしかけそうだったが重要なキーワードを拾った気がする
この艦は女生徒だけしか乗ってないので女の人だらけと言われればそれはそうだが、見えない犯人に一歩近づいたのは確かだ
しっかりと端末のメモ帳機能を開いて記録しておく
それでその艦長への報告…とやらは電機長が菓子類を持ち込んでいたこともあって途中から女子会となった
「一番紅茶に合うのはハチミツなんですよ」
そう言った情報長が持ち込んだ、紅茶にハチミツを入れたものを何杯か飲ませてもらったり(これはかなり美味しかったので今度やってみる)
この艦の設備について色々と電機長に愚痴を言われたりしていたが、しばらくして疲れたのか眠り込んでしまったシャルロさんを機関課の子に迎えに来てもらった辺りで
お開きすることにした
「交流できたのはよかったけど睡眠時間削っちゃったなあ…」
去っていく2人を見送ったあたりで眠気はピークに達していた
とりあえず夕飯まで仮眠を取るか、と持ち込んだ目覚まし時計の針を7時頃に設定し、私はベットに入った
部屋の電話の音で起こされたのは午後8:32のことであった
入れていたはずのタイマーはすべて深い睡眠の前に無視されたようで、これが当直の日ならば大遅刻間違いなしだ
鳴り響く電話を取って応じる
電話口の近くに備え付けられた電子画面には副長からの電話と表示されている
「…もしもし、こちら艦長の杉菜です…」
「艦長、主計課長がお呼びです。重要事項とのことで直ちに食堂横の主計課室へお願いします」
その声色からただ事ではない雰囲気を感じた私は、すぐに身なりを整えて向かった
主計課室へ到着すると、中には主計課の全員と副長が集結していた
1台のスタンドに立てられたタブレットを囲むように座っている皆の表情は固く、室内は重苦しい空気が漂っている
「艦長、許可を貰ってすぐに設置した監視カメラですが、消えました」
「消えた?」
主計課長の言葉に耳を疑った私は思わず聞き返した
消えた、というのはつまり何者かによって持ち去られたということだ
それを示す証拠として、この1件を受けて強化していた食料庫室の電子ロックデータには2時間前に不正なアクセスがあったという記録を、副長がタブレットに表示する
当然食料も無くなっていた
「カメラに気づいた犯人が持って行った可能性大、ですね…」
副長も追跡を試みたが、艦内に監視カメラ等はなく、しかけていたカメラもすぐに電源を切られたために追跡はほぼ不可能とのことであった
「艦長、これは明らかに人為的な犯行です。すぐに対応策を打たねば、今後の食料計画そのものに影響を及ぼしかねません」
地球軍では旧アメリカ軍から引き継いだ強固な補給、兵站体制を構築している
それはこの学生用の艦でも同様であり、不測の事態に備えて余裕を持った物資を搭載していると補給課長が以前語っていた
とは言っても、18歳女性1人が1日に消費する平均カロリー量半分の食料を毎日持っていかれていいというわけではない
特に今は戦闘も起こりかねない不測の事態真っただ中であり、明日には食糧庫が被弾で吹き飛びましたとかもあり得るのだ
たった一人の行いは、主計課長の言う通り食糧計画に影響を及ぼして艦全体を揺るがしかねないものになる
事態を重く見た艦長は、翌日各部長を集めての臨時会議を行った
会議室に集まった全員にことの次第を報告し、対応策の意見を仰ぐ
「やはりここは、食糧庫に人員を置いての監視だな」
真っ先に意見を出したのは航海長であった
彼女の意見には副長と情報長が賛同するが、整備課長が待ったをかける
「もしその食料泥棒が武器を持っていたらどうするんだい?」
彼女の懸念ももっともである
この艦には銃火器等は載っていないが、人間とは手に持てる物はあらかた武器に出来る生物なので、そこらにおいてある非常用の消火器や整備に使うレンチ等々
武器になりそうなものは艦内に十分そろっている
「そこは配置人数を2人以上にしつつ、近接格闘術を履修済みの生徒から選抜するというのでどうでしょう」
情報長の妥協策に整備課長もある程度納得したところで会議を進める
この会議はおよそ40分程度にて終わった
結果として決まったのは、食糧庫に日人員を2人配置。そのうち1人は近接格闘術を履修済みの生徒を入れる
この条件を満たす人員をおおよそ6人ほど選抜し、1日4時間交代で警備に当たってもらう。選出された生徒は、警備任務に従事する間所属科の任務は免除され、
警備を行っているということには箝口令が敷かれる。誤解を招かないようその生徒の所属する科には「艦内戦闘の訓練」のために選出されたとの情報を流しておく
ここまで情報管理にこだわるのは、現在の状況からして乗組員に不安を拡大させるのはよくないとの各部長の一致した意見からだった
先日の医療課からの報告も合わせ、乗組員にはストレスが溜まっていることがあきらかである。その状況下で食料泥棒が始まったと知れれば、万が一の場合乗組員同士での疑い合いが始まりかねない
それだけは何としても避けなければならない
食糧庫の警備は、早速翌日から実施されることになった
情報長がほとんど徹夜して行った人選は時間の割によく練られたもので、彼女の超人的な努力がうかがえる
警備活動の1日目は、私自ら担当の生徒に改めての状況説明と任務内容の通達を行った
4時間後、艦橋でデスクワークをしていると、最初の定期報告メールが届く
両名の名前と開始時間、終了時刻の後に、すべての□にチェックの入ったチェックリスト。一番下の備考欄には
「特に異常なく、報告すべきことなし。今日の朝食はパンにジャムがついてないのでコーンポタージュに付けて食べると美味しいです」とある
なぜ朝食のレビューまでついてきたのかはわからなかったが特に問題はなかったようだ
引き継ぎも済ませたようですでに次の担当2名が入っている
そのまた4時間後、4時間後…と報告を受け取っていると、当直終了の時間が来たのでメールチェックを砲雷長に引き継いで艦橋を後にした
1日目はそれで終了。1日を通して問題はなし
正直なところかなり楽な任務…部屋内で見張るのは廊下との出入口と主計課厨房の2つだけで、誰かが入ってくればすぐにわかる
長時間の警戒ということである程度の私物持ち込みは許可されていて、食事時間には主計課からちょっと多めに配膳された食事も運ばれてくる
担当の子たちはほとんど楽だったと口にし、報告書にも「異常なし」の日が続いた
警備活動開始から1週間が経過した
各部長の全員は犯人確保、もしくは少しでも情報が得られることに期待したが…
結論から言えば、犯人に関する情報は一切得られなかった
そもそも廊下側の出入り口が使われた記録すら一切なく、操作パッドには軽く埃が積もっている
この1週間倉庫に出入りしたのは警備と主計課の生徒だけ
とりあえず食料盗難を阻止する、という名目では成功を収めていると言えるが…犯人は未だこの艦内を闊歩している
いつまでも通常配置から一部とはいえ人員を外しておくわけにはいかず、長期の任務が続けば担当生徒の関係者も不思議に思うだろう
つまり我々は犯人確保のための新たな手段を講じなくてはならなくなったのだ
その手段は、またしても情報長よりもたらされた
3日前、急に休暇を貰いたいと言った彼女にその翌日から休暇を与え、彼女の休暇終了日に私が艦橋に詰めている時のことだった
艦橋エレベーターの開く音がして時計を見るとちょうど当直交代の時間だった、たしか情報課の交代か
一体誰が来るだろう?と思い当直配置表を開くとこの時間は休暇明けの情報長
左の方から情報長の交代に来たとの声が聞こえて情報担当の席を担当の子が立つ
…その子が左の通路を通る時、何かを見て驚いたような声を上げたのは私の気のせいではないはずだ
「艦長…」
かなりやつれた声が左耳から入ってくるのに驚いて小さな悲鳴を出してしまう
振り向くとそこには情報長がいる…のだが目の下にはクマができているし背筋も曲がっていて疲れているようだった。それもかなり
「やっと…完成したんですよ…数分前まで作ってて…」
あっけにとられる私をよそに、机へパソコンのコアキーボードを置いて電源を入れ、キーボードから投射されるスクリーンの画面を操作する情報長
目当てのものが見つかったようで彼女は画面をこちらへ向ける
そこには文字がズラッと書き込まれたテキストソフト。そのすべては英語…の単語がよくわからない形で書き込まれている
「ああすみません、これじゃわかんないですよね…これはプログラムですよ。私の作った」
情報長の説明によれば、これは行方をくらませている食料盗難の犯人を確保するために作った"最強の"プログラム
理論上ではまず間違いなく発見できるという…
詳しい動作などを説明してもらったがその情報量に私の頭では理解しきれず、ここはまあ彼女を信頼することにして、
それよりも話している最中もずっとフラフラしていつ倒れるかわからない異常なテンションの情報長を一旦帰らせることにした
プログラムを実行するのは本日午後7:30から。それまで情報長を休ませるとともに実行時には艦橋要員の部長は全員集合、とのメールを一斉送信する
指定時刻が近づくにつれ徐々に緊張が高まり、予定時刻30分前の7時丁度より艦長席に座り込む
若干早めに取った夕食の味はほとんど覚えていなかった
時間が近づくにつれて各部長も艦橋へ集結。一番最初は砲雷長で最後は電機長
全員が集合したところで情報長が切り出した
「わざわざお集まりいただき感謝します。さーて、それでは早速始めましょうか…」
にやにやしながら時折こぼれだしたような笑い声をあげる情報長は若干不気味の域に足を踏み入れているがそこは誰も指摘しないのがこの艦の良さか
彼女が艦内コンピュータにしばらく何かを打ち込んだ後、上部モニターが一瞬消えて再起動する
これで何かが変わったのだろうか。今一状況を理解しきれていないところに情報長が解説を始めた
「これでOK、現在艦内には私の作ったプログラムが走ってます」
「メリーちゃん、そのプログラムってどういうモンなのさ?」
電機長が質問した
「艦内のありとあらゆる情報システムへの接続…そのすべてを1秒、いえはるかに細かい単位秒でリアルタイムに監視、不正なアクセスがあれば即座にここに表示されるプログラムです!」
意気揚々と答えたかと思うと、次に彼女はこれがいかに大変であったかを語る
犯人が艦内の情報システムに侵入しているのは独自の調査で明らか、しかし足跡は残っていても通常のセキュリティでは探知できないのでそこを工夫する必要があったらしい
そこから先の話は正直よくわからない…200以上ある全アナログ接続部を1つ1つチェックするとかとにかく大変そうなのは伝わったが
「ともあれこれで犯人は恐らく探知できるはず。今すぐにとは限りませんがしばらく走らせていれば―」
まとめに入ろうとした情報長の声を遮るように、艦橋内にアラート音が鳴り響いた
上部モニターを見ると、被弾個所を表示するシステムに似た感じで艦内のあるブロックが赤く表示されている
情報長はすでに端末に向き直って解析を始めていた
「さっそくかかったようです!2秒ほどですが艦内接続システムに不明なアクセス、IPは乗組員すべての端末と一致せず!」
「場所は!」
通信長に艦内通信のマイクを手に取りながら尋ねる
「機関室近く、第8番ハッチ前!」
「わかった、食糧庫警備の人員を向かわせます!」
艦内名簿の「警備担当」ページを開き、そこに載っている全員の端末へ音声連絡を入れる
警備担当は全6人、1人相手なら十分すぎる人数だ
「副長、犯人を確保した際には柔軟な対応が求められると考えられます。私も向かうのでその間の指揮を頼めますか?」
「了解しました。艦長帰還まで、業務を引き継ぎます」
艦長席を離れ、帽子を外して副長に預ける
「艦長1人では不安だ、俺が同行してもいいだろうか」
「私も行きます!もし誤作動だったらこの目で見て修正しないと…」
同行を希望するのは航海長に情報長。2名程度なら問題ないと判断した私は副長の了承のもと動向を許可した
エレベーターを下ると、航海科と情報課の子がさっそく引き継ぎに来ている
2人に挨拶を返してすぐに向かう。位置はここより2階層下、艦橋エレベーターは今使っているので艦中央のエレベーターを使用して下る
ついに犯人と対面か、そう考えると再び緊張してくると同時に恐怖が沸いてきた
その子の顔を見るのが怖い…正しくはその子が艦を裏切ったと知るのが怖い
複雑な思いが心の中で渦巻くが、それでも足を止めるわけにはいかず現場へ向かう
現場付近に到着すると、警備担当の子たちがすでに集まっていた
しかし何か様子が変だ。犯人を確保したという雰囲気ではなくまるで身を隠して壁向こうの様子をうかがっているような
「艦長、お待ちしていました」
警備担当で主計課所属の長身の子が私に話しかける
その表情は険しく、ただならぬ事態が起きているのは明白
「この向こうに犯人が?」
彼女は静かにうなづいた
「ちょっと様子を―」
自分の目で確かめてみようと身を乗り出し、通路をのぞき込んだ瞬間
私の眼前を何か目に見えないほどの速さの物体がかすめる
その正体は何となくだがわかる。銃弾だ
驚きと混乱で固まったまま動けない私を長身の子が慌てて引っ張り壁向こうに引き戻す
「気を付けて艦長!どこから持ち込んだか知れないがあの子は銃を持ってるんです!」
警備担当の全員が動くに動けなかったのはそれが原因か
食料盗難、不正アクセスに続き銃の持ち込み。一体どこまで罪を重ねれば気が済むのだろうか?
強いショックと共にそれで恐れが吹き飛ばされたのか、少し怒りがわき始めてきた
「何なんですか本当にもう…」
「艦長、それだけじゃないんです。もっと厄介なことになってて…」
整備課の子がタブレットを差し出しながら近づく
タブレットの画面には画像が表示されている
銃を持った生徒が、別の生徒に銃を突きつけながらこちらを見ている画像。おそらくタブレットで撮影したもの
そしてその状況はどう見ても人質を取っているとしか思えない
安易に手が出せない理由はもう一つ、ここにあった
さらに問題はその人質にある
ショートな金色の髪。機関科所属であることを表す灰色の作業服。今時珍しい黒縁の眼鏡…
まぎれもなく、機関長のシャルロ・ダルランだ