夏祭り
公共交通機関を乗り継いで数時間。やってきた友人の実家では何やら祭りの準備ということで忙しそうに立ち回っていた。
向かう道すがらうるさく降り注いでいた蝉時雨は、人々の慌ただしい気配と声にその影を薄くしている。
かろかろかろ、と音を立てて玄関の戸を引いた友人は騒がしくて悪いな、と苦笑しながら上がるように促した。
玄関に入ると一転、それまでの夏の焦げ付くような日差しから解放され、中の暗さと外との差に一瞬目が眩んだ。
それにしても忙しそうだ。こんな時にお邪魔してよかったのだろうか、と恐る恐る問いかけると彼はなんでもないように笑いながら手を振った。
「ちょっとうるさいかもしんないけど、準備だけだから」
「準備?」
そう、と友人がうなづく。なんでも今時珍しい地域総出の大掛かりなものらしい。なるほど、と納得していると、
「あらあらあら、いらっしゃい!遠くからで大変だったでしょう!さあ上がって上がって」
左手の暖簾のかかった戸口から、こちらへ気づいた女性がパタパタと小走りにやってきた。
お邪魔します、と慌てて頭を下げる。
女性はあらあら、と笑って白い前掛けで手を拭った。
「よく来たわね、あなたが原君?」
「あ、はい、そうです。いつも久保君にはお世話になっています……あっこれお土産です、お口に合えば…」
女性は笑って相好を崩す。友人と目元がよく似ている、きっと母親だろう。
「まあまあ良かったのに。気を使わせちゃってごめんなさいね。それにしてもしっかりした子ねえ、うちのとは大違いよ」
あはは、と笑うと眉を寄せた友人が声をあげた。
「もう分かったから母さんはあっちに行ってろよ。こっちは大丈夫だから」
「はいはい…ああ、お勝手でスイカを切ったから持って行きなさい」
「はーい」
「返事は伸ばさないの。じゃあゆっくりしていってね。何かあったら私に言ってちょうだい。夜までには片付くと思うわ。それまで悪いんだけど、うちの子の相手をしてやってくれる?」
ありがとうございます、と再度頭を下げる。
だが忙しそうだ。先ほどから彼の親戚であろう老若男女が忙しなく動いている。1週間もお世話になるのに何もしないでタダ飯食らいというのも気が引ける。
「あの、なにか手伝うことってあります?力仕事とかなら…」
彼女はその申し出を笑って断った。
「いいのよ。暑いし、お部屋で休んでてちょうだい。明日のお祭りの準備だから衣装を出したりしたらすぐに終わっちゃうのよ」
お祭り、先ほどから何度も聞く言葉に好奇心が疼いた。普段はクールを気取っているが祭りというのは嫌いではない。
新幹線の中で調べた祭り、確かその名は。
「わくひ祭り、でしたっけ?」
途端。
あははははははははははははーーーと。
周囲で笑い声が弾けた。
にぎやかな足音も、掛け声も消えあたりが笑い声だけに包まれる。
開いたままの戸から刺さる太陽光線が膝の裏を焼く。
なにか、なにかおかしなことを言っただろうか。
友人も、その母親も声をたてて笑い続けている。
その顔に強烈な違和感を覚える。
そう例えば、 目が、笑っていない。雰囲気のみで判断するのなら確実に楽しそうだ。だが、その眼差しは冷え切っている。
あの、と息が漏れた。喉に引っかかり音にならない。冷や汗が背中を滑る。
「ごめんなさいね。」
す、と笑いを収めた友人の母親が何事もなかったかのように続ける。
「わざわざありがとう。でもお部屋でゆっくりしてらっしゃい。外は暑いから」
一瞬前の異常な空間などなかったかのように言葉を紡ぐ。
声が、足音が、蝉の声も戻ってきた。
「ほら、俺の部屋はこっち」
友人が背を向けて階段を登り始める。
ああ、と声を返して靴を揃えて脱ぎ中へ踏み出す。
母親はにこにこと笑ったままだった。
今の出来事について聞き返すのが怖かった。
もう一度あの空気を味わうなど耐えられない。
からりと戸が引かれる音がする。
肩越しに振り返ると、こちらに背を向けた母親がピシャリと玄関を閉ざした。
やはり田舎の家は広い。
逃げるように上がった友人の部屋で畳の上に転がり、下らないことを喋っていると自然と気は紛れあっという間に日が暮れてしまった。
ほどなく茶の間に呼ばれ、彼の親戚たちも含めた大所帯での夕食が始まった。郷土料理に舌鼓を打ち、談笑するあいだに先ほど目にした光景のことなどすっかり忘れてしまっていた。
翌朝、友人の話によると彼も今日の祭りに参加するようだった。
内容としては衣装に着替えて海に入り声を出さずに15秒数えて上がるだけだという。
祭りと聞いて昨日の出来事を思い返しはしたが、一晩経つと落ち着いて別に違和感などなかったようにも思われる。
お前もどうだ、と聞かれたのでせっかくだから参加してみることにした。
衣装というのはよく坊さん等がそれを来ているのを目にするような白装束であった。それを身につけ足袋を履き、ハチマキを締めるとなんだかテンションが上がった。
天気は快晴、昨日と変わらない日差しが照りつけてくる。今は午前中であるからまだやわらかいが、これが午後になるとなかなかキツいものだろう。
宥尉宥尉浜というらしい、海岸には同じくらいの年代の若者から腹のつき出た中年やかくしゃくとした老人まで多くの男たちが集まっていた。
なんだかむさ苦しい、そう小声で話しかけると友人はニヤッと笑い我慢しろ、とでも言うように小突いてきた。
海水の温度は少し低めだがこの気温では心地がいい。神主と思しき男の指示でドヤドヤと海に入る。
友人の話によると、最後に上がった者は神の使いの案内役として今回の祭りの飲み食いはタダになるそうだ。
縁日の代金くらい大した出費ではないがどうせならタダ酒を飲みたい。そんな気持ちで殊更にゆっくりと、それはもうゆっくりと15秒数えたが残念ながら更なる猛者がいたらしい。浜へ向かいながら後ろを振り向くとまだまだ海に入っているやつらが大勢いた。
1人サッサと上がっていた友人はこちらの意図を知ってか知らずかニヤニヤとしてくる。なんだか腹が立ったので足を踏んでおいた。
案内役に選ばれたのは30代くらいの男だった。なんの変哲もないように感じるが、15秒を5分以上に引き延ばすことに成功したあたり、なかなかのやり手に思われる。
ホラ行こうぜ、と友人に声をかけられる。
「最後まで見ていかないのか?」
「この後は使いと案内役が海に向かって祝詞上げるだけだぜ。見てもつまんねえし、第一見ちゃいけないらしい」
興味はあるがそういうことなら仕方がない。加えて濡れて張り付いた着物もベタベタと煩わしかったのでおとなしく彼の指示に従った。
一度家に帰りシャワーを借りて海水を流す。 その後早速出店へ向かおうとしたが、再び彼に止められた。一日中やってる縁日に昼日中から出かけていくなんて小学生か、との言だ。気に障る言い様だったがそれもそうだ、と思い直し夕暮れになってから行くことになった。
まだ日は落ちてはいないが、提灯には早くも光が灯され煌々と輝いている。片手に冷えて汗をかいたビールを持ち、意気揚々と足を踏み出した。
田舎と言えどなかなか侮れない。ぎゅうぎゅうと人混みに揉まれながら友人と店を冷やかしそぞろに歩くと、数メートル先の店のあたりで笑い声がさざめいているのがこちらまで聞こえて来た。
好奇心に釣られ歩みを進める。何故だかあまり気の進まなそうな友人は後から来るだろうと置いていった。
近づき全体がよく見えた時、足が硬直した。
中心にいるのは惹きつけられるような赤をした腕輪をはめた男。
そこから2mほど空けて取り囲んでいる全員が声を上げて笑っていた。
異様な空間。
昨日の玄関でのやり取りが脳裏にフラッシュバックする。あれと同じ目で笑っている。男も、女も、老人も、子供も、客も、屋台の売り子も、全員が、雰囲気だけは嬉しそうに、楽しそうに体をくねらせて笑い転げている。
音が遠くなるのを感じた。背中にドッと嫌な汗が浮かび、膝の力が抜ける。理解できないものを前にすると立っていることもままならなくなるのだと思った。
ーーと、人混みを潜り抜けるようにして子供が数人、こちらに走ってきた。一番最初の子が前をよく見ずに、駆けてきた勢いそのままに腕輪の男にぶつかった。
男の腕からカランと軽い音を立てて赤い腕輪が落ちる。
次の瞬間、周囲は水を打ったように静まり返った。耳に刺さるような甲高い笑い声は一瞬で消え、蝉の声や遠くの店の鉄板の焼ける音が白々しく響き、大気に漂う甘い綿菓子の匂いが鼻腔にまとわりつく。
ヒュッとその子供が息を飲み、体を激しく痙攣させた。びたんびたんとエビのように地面を打つ。
先ほどの笑顔を引っ込めた大人達は動かず、黙ったまま能面のような顔で子供を見つめている。
腕輪の男も足元でひくつく子供をつまらなさそうに見やるだけだ。
助けを呼ぶべきだと思うのに体がうごかない。喉が乾く。なんで、と空気の塊を吐き出す。何故助けない。一体何が起こっている、分からない。何もかもが自分の理解の範疇を超えている。
ーーホラ行くぞ、と先ほども聞いたような言い回しと共に腕を引っ張られ、たたらを踏んだ。なんで、と今度こそ口にする。
「しょうがないだろ、腕輪に触っちまったんだから。」
なんでもない顔をして答える友人がまるで知らない男に見え、思わず語気を強めた。
「なんで助けを呼ばない?!」
「腕輪に触ったからどうにもできないって。」
はぁ?!と声が裏返り高く響く。興奮し泡を飛ばす勢いの自分に対して、
「お前こそさっきから何を言ってるんだ?」 普段とそう変わらない、若干呆れたような態度の中に、この土地に来るまで隠されていた狂気が垣間見えた気がして背筋が冷えた。
言い争ううちに、人混みをかき分けやって来た神主らしい格好をした男が数人、未だ痙攣の解けない子供を抱え運んでいった。
呆然と連れていかれた子供を立ち尽くし見送っていると、視線を感じ思わずバッと振り返るーーと視線がかち合う。
いつの間に拾ったのか、その腕に赤い装飾を取り戻した男がこちらを見つめていた。
そして男を取り囲む十数人の能面のような感情のない視線も突き刺さる。
オイもう行くぞって、と再度強く腕を引かれよろめくように後ずさる。そのまま引きずられるようにその場を後にしたが、人混みに紛れてもなお張り付くような視線を背後に感じ続けた。
この騒動を忘れたかのように祭りを満喫する友人は押し黙ったままの自分にどうしたんだよ、と不思議そうに声をかけてくる。
あの光景を見てそんな態度を取れる理由がわからない。今すぐこの場で問い詰めたい気持ちはあったが、友人のこれ以上知らない面を見たくなくて聞くことができなかった。
しつこくこちらを気にする友人になんでもない、と応える。しかし最早周囲に弾ける笑い声は全て虚ろに聞こえ、そしてどこでまたあの男に出くわすかと怯えたままで夜店を楽しむなんてことはできるはずもなかった。
そんな自分を気遣ってか早めに帰ろうと言い出した彼の言葉に甘え、虫の声の響く暗い夜道を歩く。喧騒から離れたおかげで気分が少しだけ浮上するとどうにも堪えきれず、あれは一体なんだったのか説明を求める。
なんのことだ、と不思議そうな顔をする友人に怯んだが、それを堪え再び問う。
「あの腕輪はなんなんだ」
あー、と言いながら友人は赤い腕輪は神の腕輪であり、常人が触ると気が触れるというようなことを若干呂律の回らない口調で述べた。
「じゃああの子はどうなるんだ」
「ずっとあのまんまじゃないか?でもしょうがないだろ、腕輪に触っちまったんだから」 それまで酔っ払いのヘラヘラと締まりのない顔をしていた友人のそう呟く横顔は無表情で、腕輪の男を囲んでいた者達の能面のような視線をいやでも思い起こさせた。
そのまま互いに無言になり人気のない夜道を黙々と歩いた。家までたどり着き汗を流すと布団に潜り込む。目の当たりにした出来事にひどく疲弊していた為か夢も見ず眠ってしまった。
衝撃的な場面に立ち会ったことに加え、翌朝目覚めた時から何故だかあの張り付くような視線を思い出し始終背中が気になった。こんなことが起こっているこの土地や友人自体にもうす気味の悪いものを感じ、1週間滞在するつもりだったところをなんだかんだ用事をつけ3日ほどで帰ってきてしまった。
以降夏休みが明けるまで彼に会うこともなく、始業後もあの祭りでのことが思い出され話もしづらく、意図的に避けているうちに疎遠になってしまった。