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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
1章 大学授業編
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47.高鳴る

 ウィルが連れていかれたのは、リディアの研究室の向かいの空き教室だった。

 

 リディアは胸に下げたIDカードに内蔵されている電子キーでドアを解錠して、前方のスクリーンを囲むようにコの字型に並んでいる椅子の一つにウィルを座らせた。


「ちょっと待っていて」と、彼女はウィルに告げて出ていく。


(なんだよ、な)


 なんで、あんな間の悪いときに、リディアは来たのか。


(――かっこ、わりぃ――)


 リディアのことで、挑発されてケヴィンの狙い通りに手を出して。皆の前で醜態晒して、ミユに言われて――リディアに全部見られて、事態を収拾させた。


「かっこわりー」


 口に出してみて、ウィルは呻いて俯いた顔を両腕で抱えた。


(アイツ、間が悪いんだよ)


 何でそういうときに来るんだよ、もっと――そうじゃない、違うときに来ればいいのに。


 ミユのこととか、ケヴィンのこととか知られたくなかったし、ミユにああいうこと言われているところなんて、見られたくなかったし。


(そもそも、アイツがケヴィンに目をつけられるから!!)


 それが元凶じゃないか。


「ちっくしょー。……リディアの、バカ」


 呟いて、ウィルは口を押さえる。


(嘘だよ。――アンタは悪くない)


 そんな事思ってない。悪いのは全部、俺だ。




 静まり返る教室に一人の空間、廊下で聞こえてくるのはリディアと、マーレンの声?


 内容は聞こえてこないが、何か言い争っている?


 ウィルは気になり、立ち上がる。足をそちらに向けて踏み出そうとして、ちょうど入ってきたリディアとぶつかりそうになる


「……あ」

「遅くなってごめんなさい、座って」

「――今の、マーレン?」

「そう。あなたを心配して」

「違うね。ヤツは俺とアンタが二人きりになるのを嫌がった。違う?」


 リディアは、「違います」と断言して、ウィルを先に行くように急かして、そのあとをゆっくりと歩んでくる。

 

 その慎重さに違和感を覚えたウィルは首を傾げながら、椅子に再度腰を下ろした。


 目の前に立つリディアが「手を出して」と言う、ウィルがためらっていると、勝手にリディアは屈んで、ウィルの右手を掴んで、前に出させる。


「あのな!」

「――そのままでいて」


 リディアが鋭くウィルに命じるから、ウィルは右手を掲げたままムスっと口を引き結ぶ。

 それに構わず、リディアはタオルで巻いたアイスノンを手の甲――四指の中手骨を冷やすようにあてて、タオルの両端を手のひら側で結ぼうとする。


「いて」

「あ、ごめん」


 「もう少し緩めるね」とリディアはウィルよりもしゃがんで低い位置に腰を下ろして、手をギュッと握ってくる。


 俯くリディアの頭頂部が揺れる、つむじが見えて、なんだかそこを押したくなる。


「そういうこと……」

「え?」

「そういうこと、するから」


(だからケヴィンに、付け込まれるんだよ……)


 リディアは「そういうこと?」と聞いた後、アイスノンを押さえながらウィルの顔を見上げてくる。緑柱石の瞳が真っすぐに飛び込んできて、ウィルは苛ついて怒っていたのに、胸が勝手に弾んで、顔を顰めた。


(俺もサイテー。なんで、こうやって――)


 意識とは関係なく、鼓動が早くなる。リディアの顔を見たら、それだけで顔が赤らんで緩みそうになる。


「“そういうこと”をあなたが望んでいなくても、私はすべきことをするの」


 リディアは、少し硬い声で早口で告げる。


「人を殴り慣れていないでしょ? 冷やしておかないと明日痛むよ」

「なんでケヴィンのほう、いかねーの」


 普通はそっちに付きそうだろ? 


 ホントは行かせたくない、なのに思わず口にしてしまった。

 わざとだ、自分についている理由をリディアに言わせたかったんだ。


「言ったでしょ。――私は必要だと思ったことをするの」


 求める答えじゃないけれど、少しだけケヴィンより優先されていると思い、ウィルの胸は高鳴り、でも情けないところを見せたからだと、今度は地面に沈みたくなる。


 リディアは、まだタオルを結ぶのを苦戦していた。

 生地が分厚いから無理じゃね?


「うまく結べないね。しばらく、押さえているしかないかな」


 リディアはそう言って、アイスノンで冷やすウィルの手を膝に下ろして、自分の手を重ねる。


「……っ」


(な、なんだよ……)


 この……手は、なんだ?


 タオルの端を押さえながら、ウィルの指も包み込んでいるリディアの手。


 自分の膝の上に、なんで……リディアの手があるんだ。

 そういうこと、するなって言ったはずなのに、でも……口に出して言うことはできない。


(嫌じゃねーし、もちろん)


 ああ、もう。

 何の話だったのか、何の目的でリディアがここに連れてきたのか、考えられなくてわからなくなる。


(俺が自分で押さえると言えば、いいんだけど)


 ――別にリディアが押さえている必要はない、ウィルの片手はあいているのだ。


 でも、もちろんウィルはそれをわざわざ言うつもりはなく、リディアの頭を眺めていた。


(ちっちぇ……頭)


 髪の根元のほうが、少し紅色がかかった金髪で、それがだんだん薄くなり全体として、淡い蜂蜜色になっていく。


「――ねえ、ダーリング。……女の子には、怒鳴ってはだめよ」


 思わず頭に触れようとしていたのを見計らったかのように、リディアから声がかけられる。

 ウィルは、見下ろすリディアの頭上に撫でかけた手を止め、そのままの姿勢で固まる。


 自分は何をしようとしていたのか、という動揺と、リディアの放った言葉。


 さっきまでのことが急速に蘇る。


「リディアは、……全部、見ていた?」


 声が掠れる。


 ――俺は、何を知られたくないのか。


 葛藤が、頭をぐるぐる駆け巡る。

 ミユやケヴィンのこと、それよりも知ってほしくないのは――。


「最後のほうだけ。だから何があったのかは、わからない」


 それを聞いて、ウィルはわずかに息を漏らした。

 安堵が胸を占め、何を知られたくなかったのか、気付かされた。


(アンタのこと、ケヴィンが言ったって、知られたくなくて――)


あんなクソ発言、きっと知ったら、アンタは――傷つくから。


「何があったのか、話してくれる?」

「俺が、殴った。それが全てだろ」

「殴る理由があったのでしょう?」


 リディアは、ウィルの手を握ったままだ。その手を握り返したくなる。

 会話に集中しているはずなのに、触れたいとか、抱きしめたいとか、距離を縮めたいとか、おかしい。


「わかんねーよ」

「そうね、気持ちなんて単純じゃないもの。説明できないものかもしれないね」


 リディアはあっさりと追求をやめて、ウィルの手から、アイスノンごとタオルを外す。


「ただ、男の人の大きな声って、怖いのよ。だから女の子に怒鳴ってはだめ」

「……」

「でも、悔しいわよね。よく我慢したわよね。偉いと思う」


 ウィルが黙り込むと、リディアは下からウィルを見上げて、寂しげに微笑む。



「――私ね、魔法師団にいた頃、“救急箱”って呼ばれたことがあったの」

「え?」


 リディアの声は、空間に溶け入るようだ。

 いつもの言い聞かせるような強気な声とは違い、寂しげで何かを滲ませる声だ。


「魔法師団の彼らは戦闘専門。私は、あなたも知っての通り蘇生魔法があったからそこに呼ばれたの。戦闘に使える魔法は彼らには遠く及ばなかった」


 また俯いて、迷うようにウィルの手の甲をいじるリディアの手。リディアの声は、少し苦しそうだ。


 それよりも、指をいじられると……変な気になってくるんだけど?


「だけどね、反対に治癒魔法が使える魔法師が見事にいなくてね。だからいつも彼らの任務には同行していたのだけど、戦闘専門の彼らからは、あまり尊重してもらえなくてね」


 リディアの手の動きから意識を逸したくて、会話に参加する。


 実際内容は、結構興味がある。リディアの過去だ、彼女がどんな思いで、どんな体験をしてきたのか。一言だって聞き漏らしたくない。


 でも、その無意識なのか意識している動作なのかわからないけど、どうにかして欲しい。

 

 やめさせたくはないけど、やめてくれないと、気が散ってどうしていいかわからなくなる。


(しっかりしろ! 大事な話の最中だ)


「それで、――そう呼ばれたの?」


 救急箱、あまりにも失礼で、ウィルはその表現をぼかした。リディアはそれに気づいたのか、苦笑を返す。


「私は、その頃、戦闘能力が劣る自分に常に劣等感を抱いていた。怪我を治す便利屋扱いの団員には、過剰反応していた。どうして腹を立てて苛立っていたのか、今ならわかる。自分の弱点だから、聞き流すことができなかった。余裕で『だから何?』、と流すことができなかったの」

 

 リディアの話は、先程のミユたちとの揉め事にも通じるのだろう。ウィルは黙ることで続きを促す。


「だから『救急箱』って呼んだやつにも、言わなくていいこと言っちゃって」

「殴りかかった?」

「まさか。でも今思えば、言い過ぎた、恥ずかしい。……人ってね、言われたくないことを言われると過剰反応しちゃうの」


 リディアは顔を上げて、今度はウィルを見据えて、言葉を伝えようとしている。


「悔しいのはね、的をつかれたからよ。言われたくないことを言われた時、人は人一倍拒絶反応を返すの。――あなたも、認めたくないかもしれないけど、認めないとね」


「俺は――」


 魔法が使えないことを言われたのは、腹が立った。


 去年、ミユはウィルに別れを言い出した時、理由は告げなかった。けれど、ウィルが魔法禁止になったことが面白くなかったらしい。「大学教授の息子で、将来安泰だと思ったのに」と、はっきり言っていたから、予想は当たっているだろう。


 でも「そんなんだから魔法が使えない」との先ほどのミユの攻撃は、さほど胸に堪えていないことにウィルは今更ながらに気がついた。


「ミユに言われたことは……理由はともかく、事実だし」


 多分、リディアは、ウィルを慰めようとしている。ウィルがミユからの言葉でさほど傷ついていないのは、わかっていない。


 ただ――それって、多分、リディアのおかげだ。


 リディアがついていてくれて、補習をしてくれて希望が見えた。何よりも、今は自分の魔法云々よりも、リディアにまつわることが一番気になっている。


 他の男がリディアに関心を向けているって、そのことのほうが気になるんだ。


「あのね、痛いところを突かれた時、口や暴力で返しちゃうとばれちゃうからね、弱点だって。だから平然としていたほうがいいの」


(あー、確かに……ケヴィンにはばれた)


 リディアのことを言われて、カッとなって我を忘れた。

 あの時、ケヴィンは薄ら笑いを浮かべていた。ウィルがリディアに好意がある、本気だと知ってケヴィンは益々興味を持った。

 

 ――リディアは、ウィルの魔法が使えないことを気遣っていたが、ウィルはそれよりも他の男がリディアに絡んでくるのが、気になって仕方がない。


 二人の会話が噛み合っていないことにウィルは気がついていたが、そのまま話を続ける。


 この空間に、もっと二人でいたいから。

 

「だからね。行動で見返してやらないと」

 

 リディアはウィルの顔を見上げて、優しく微笑んだ。はじめて見せる、穏やかな笑み。


「ウィル、感情制御覚えようね。絶対に魔法、使えるようになるから」 


 リディアは、確かに名前を呼んだ、”ウィル”と。


 そんな笑みを見せられたら、そんな風に名前を呼ばれたら。

 

 ――何より、その握りしめてくる手。


 リディアは、無意識なのか意識した上でのことなのか、わからない。

 

 けれど、もう歯止めがきかなくなるだろ。 

 気持ちが抑えられなくなる。


(ほんともう、煽られてばかりで……)


 ウィルは、リディアを見下ろして。

 

 握られてない、もう片方の手を伸ばした。



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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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