35.よその授業
「それでは今日の火系統魔法演習三では、火炎魔法の応用、火球の発現を習得します」
サイーダのよく通る声の明瞭な説明から、授業は始まった。
教室の前方には、教授、准教授、演習用に雇われた臨時補助員の先生方も並んでいる。この領域では、演習を大事にしていて、教員全員が一緒に参加しているとのこと。
自分のところとは大違いだ……。
リディアは、何とも複雑な思いでしみじみと実感する。
――リディアは、火系魔法領域の教授とサイーダに授業に入らせて欲しいと頼み、実技演習に参加していた。四年生の魔法のレベルを知るためと、他の教員の授業に参加して自分の授業の参考にするためだ。
もちろん、ただの見学者ではない。教員としての参加だ。
「一応、リディアには伝えておくわね。三年次までに、六系統魔法の発現までは授業でやっているの。今回の火球発現は応用だから初めて習うわ。火球発現のための誓願詞と魔法術式は前回の講義で教えてあるから」
サイーダが、どこまで学生が教示されているか説明をしてくれる。
魔法の発現には、ファーストステップである自分の“魔力を放出”すること、セカンドステップである自然界における魔力属性へ働きかける“誓願詞を詠唱”すること、そしてラストステップである“魔法術式を展開”させることが必要なのだ。
この誓願詞というのは、魔法を発現させるための自然界の魔力属性に対する命令に近い文言だ。要素を押さえていれば、文言の簡略化もできるし、装飾化した格式張った言い回しにもアレンジができる。
しかし、学生にはそこまでは許していない。彼らには、教科書の定型誓願詞を覚えさせている。理由は国試に出るから。
「魔法効果の調節は教えていますか?」
「調節の魔法術式は授業で説明だけよ。応用だから、試験にもでないし」
「わかりました」
この“魔法術式”というのは、少々難しい。
”請願詞”は、自然界の魔力属性へ”何をするか”と命令を述べるだけ、細かい指示は含んでいない。
魔法としての性質を形作る詳細な設計図が、魔法術式だ。
この魔法術式には、“魔力量の加減乗除”、魔法の発現の方向性を示す“指向”、発現させる形を示す“形態”、そして発現時間や程度を示す“効果”が組み込まなくてはいけない。
そして、この式を“展開”すれば、魔法の発現となる。
これもオリジナルの術式を作成することは可能だが、学生は魔法省が認証している定型の魔法術式を覚える。理由は、誓願詞と同じく国試にでるからだ。記述式ではなく正しい解答を選ぶマークシート方式なのだから、自分で作ることより覚えさせることを重視している。
「全員火属性の魔力が高い生徒達だから、魔法の発現はさほど苦労はしないだろうけど。制御は苦手だから、そこを注意してみてあげて」
「はい、わかりました」
「じゃあ、ハーネスト先生は、三班を見てね」
「はい」
なんてわかりやすい説明だろう。自分の所属からは、一切なかった丁寧さだ。
(サイーダの教え方からも学ばせてもらおう)
自分の教員としての説明の仕方も、向上させていかなくてはいけない。
無駄なく整理されている火系統魔法演習室は昨年度、改修工事がなされたらしい。老朽化した建物に合わせて、演習室の改修工事の申請を五年前から毎年出していたとのこと。
ちなみに、リディアの境界型魔法領域の使用する演習室は、大学創立時から一回も直されたことがない。教員の誰もが無関心だったからだ。
(うちも申請しよう……)
そう思いながら壁のパネルを操作するサイーダを見ていたら、突如として広大な平野に演習室が変化した。
はるか遠方に見える山の稜線、足の下は青々とした緑の芝生、何一つ邪魔をするものがない空間だ。
だが驚いた様子を見せたのは、リディアだけだった。学生は平然としている、当然の演習環境なのだろう。
――魔法により、作られた平野空間。これほどの広さならば、学生間で十分な距離を保って魔法が使える。擬似風景だが、屋外で魔法を放てるという、爽快感もある。
(うらやましい!! すごい性能! うちなんて広くするだけなのに!!)
お金のかけ方が違う、ずるい……。
さらに今回の実技演習では、内部教員以外に補助員も配置されている。予算を組めば潤沢な人材の使い方もできるのだ。
――リディアのところは、もちろん教授が認めないだろう。
同額の教育費が配分されているのに、教員全員で考えて計画的に運営しているところと、ボスだけが好きなように費用を搾取しているところの差が、明確に表れている。
色々な思いが渦を巻いて、腹が立ちそうになるが、そんな場合ではない。
(うらやましがるために、来たんじゃない……しっかりしなきゃ!)
今日の授業を参考にして、自分の授業に活かさないといけない。リディアは気持ちを切り替えて、雑談の輪を作る生徒達を見渡す。
演習は各班、生徒五名の編成で、リディアは、三班の受け持ちだ。
班ごとに、五メートル四方ぐらいに広くエリアが取られている。
各エリアには、直径一メートル弱の白線で描かれた円陣が一つあり、そこで術者は誓願詞の詠唱をして、魔法術式を展開させる。そして、前方十メートル先の的に向かい魔法を発現させるのだ。
実演は一人ずつ順番に行い、他の学生は自分の番になるまで待機だ。
「班の中ですでに順番は決めてあるわね。それでは、一人ずつ始めて」
リディアは、最初に進んできた女子を名簿と照らし合わせながら見る。
ミユ・ギルモアという名前だ。ボブの毛先が緩くウェーブしていて、少女と女性の中間のような見た目の可愛らしい雰囲気を持つ生徒だった。
的を見つめる彼女の視線は真剣だ。けれど足先を内に向けた、不自然なほどの内股姿勢にリディアは軽く眉をひそめる。
(――姿勢が悪いな)
両足は開いたほうがいい。不自然な姿勢を取ると、強い威力を放つ魔法のときには、反動で転ぶこともあるのだ。
たしか、姿勢は一年次に習っているはずなのだけれど……。
けれど訝しげな表情のリディアに構わず彼女はその姿勢のままで、ロッドを両手で掴んで胸にギュッと抱きしめる。
ロッドの先端を尖らせた唇に当てて、軽く首を傾げながら詠唱をし始めるという、リディアから見たら、妙なポーズをしている。
(う……ん、これってどうしたらいいの?)
しかも口から洩れるのは、かなりたどたどしく間違いだらけの詠唱だった。
(――誓願詞、覚えてこなかったな)
「ギルモア。資料を見ながら詠唱してもいいわよ」
まずは生徒の力量を見るために、口出しをしない予定だったが、ここまで間違えていると続けても意味はない。リディアは、彼女の横に立って見下ろして言う。
ミユは、リディアよりも若干背が低かった。リディアも連盟国の女性の平均身長百七十センチには及ばないから、彼女はさらに背の低い部類に入るだろう。
そのため、気になるのは、彼女の格好だった。
ミユは胸元を大きく開いたブラウスシャツを着ていて、ロッドを持つために両腕を寄せるから谷間がより深く見えてしまうのだ。
見せてはいけないというわけではないけれど、リディアよりも背の高い男子は、目のやり場に困るのじゃないかなと思う。
(でも、それを指摘したらいけないのかな……)
演習時の服装の指示は、動きやすい格好ということだけ。彼女は違反をしているわけではないし、リディアも領域担当ではないから指摘がしにくい。
(……まあ、いいかな)
それよりも、リディアの声かけに彼女が見せた無反応のほうが気になった。
誓願詞のたどたどしい詠唱をぴたりと止めた彼女は、リディアを見ずに唇を尖らせた。そして無言で踵を返して、平野空間から教室に戻ってしまった。
突然の彼女の行動に、他の生徒達は突つきあったり、笑ったりしている。何故か一人の青年だけが、からかわれているようだ。
「ええと……次の生徒に、いきましょうか?」
リディアが言うと、みんなが顔を見合わせるけれど、誰も手をあげない。
――遠慮の譲り合いだ。
リディアが口を開いて次の生徒を指名しかけたとき、先ほどのミユが資料を手に戻ってきた。
「ギルモア。ちょっと待って。まずは誓願詞の詠唱だけをしてみて」
ロッドを持たせずに、今度こそ不満顔を隠そうとしない彼女に詠唱させる。
“たいきに、ただよう……焔の糧、このす……しるべに”
(やっぱり、つっかえる)
そもそも誓願詞が読めないのかもしれない。
魔法学域においては、誓願詞だけではなく、魔法術式や魔法陣、魔法薬学、魔法歴、魔法理論、すべてにおいて使用されるのがリュミナス古語というものだ。
これは、神の血を引く最初の人間と呼ばれるリュミエール人が使っていたとされる言語だ。
彼らの文化、生活様式などの全貌解明は進んでおらず、リュミナス古語の発音さえも、本来のものはわからない。
研究者は、当時の発音で誓願詞を唱えたら、遥かに強大な威力の魔法が発現されるのではないかとさえ述べている。
とはいえ現在のところは、魔法省が推奨している発音方式通りに読むしかない。そして、リュミナス古語は、少しでも発音を間違えると魔法の効果が弱くなる。難しい発音の言語であり、流れるように歌うように詠唱をするのはとても難しい。
勉強不足と練習不足が、詠唱でばれてしまうのだ。
「あなたは、資料を見ながら誓願詞をスラスラ読めるまで練習して。読めるようになったらやりましょう」
ミユは、むっとして睨んできたけど、仕方がないじゃない?
リディアは、ミユの睨みつける痛いほどの視線を意識しながらも、次の生徒を呼んだ。