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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
1章 大学授業編

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28.本当の支え

 実験室から戻ってきたリディアは、化粧室の洗面台で鏡を見つめた。

 ……ひどい格好だ。

 

 ウィルの怪我は治ったが、彼の血がブラウスについている。

 リディア自身が負ったのは擦り傷や軽い熱傷だが、汚れを拭くと皮膚がピリピリ傷んだ。


 ウィルの貸してくれた薄手のコートを羽織って、ボタンをしっかりとめる。

 生徒から物を借りるのは複雑な思いもあるが、リディアはコートを持っていなかったから、ありがたく借りることにする。


 顔の汚れを拭いて、髪の毛を直す。


 ふと、唇に触れる。


(私、何やってるんだろ)


 放課後。生徒にキスされて。生徒を大怪我させた。


 ――キス。


 どうでもいい。そう、キスなんて――どうでもいいことだ。

 ――生徒に大怪我をさせたことに比べれば。


 リディアは拳をぎゅっと握りしめる。


 (怪我を――させてしまった)


 あの時、不安はあったのに。

 ウィルは以前も魔法が暴走したのに。それを知っていたのに。

 彼は今回のことがトラウマにならないだろうか。どう償えばいいのだろうか。


 リディアは、自分の研究室に戻り、椅子にへたりこんだ。

 部屋には他の教員はいない、帰ってくれていてよかった。


「報告書、書かないと……」


 でも、疲れていて作業用のMPを開く気にもなれない。


 リディアは鞄から個人端末を取り出した。時刻は、二十一時過ぎ。

 学内からのメッセージはいつもどおりに大量だが、外部メッセージは知り合いの名前があった。

 

 ――昔の知り合い、しばらく連絡を断っていた人。

 メッセージは短く、一言だった。


“――防護室? 馬鹿か、やめとけ”


(そうですよね――)


 防護機能が働いていても、いなくても、ディアンほどの魔法が暴走したら関係ない。リディアの読みが甘かった。


(ううん、私も気がついていた)


 ディアンに訊いたのは、不安があったからだ。もしかしたら、特别防護室でも防ぐことはできないかもしれないと、リスクの予測もしたからだ。


 ――なのに決行した。


 (私、全然、駄目だ)


 よぎる不安を無視した。大抵失敗する時はそうだ。わずかな予感があるのに。


 ――着信履歴が、十件もある。同じ人物からだ。

 

 リディアは、息を吸って、それから折返し通話のボタンを押す。

 五コールほどで直ぐに、通話に変わる。

 

 息を止めて備える。


『――この、馬鹿』

「すみません――先輩」


 何を話せば、最初にどう口を開けばいいのか、そう恐れていたのに。相手からの第一声で、すんなりと謝罪が口をついた。


『何があった?』


(ああ、バレてる)


 これまでの経緯、リディアが音信不通になっていたこと。終わった問題よりも、今何が起こっているのか、そう尋ねる性質は、ディアンの団長としてのものだろう。


 そして、何かが起こっていると察知する能力も流石だ。


『じゃなきゃお前は連絡してこない』

「すみません。本当に――今まで」


 その沈黙の向こうで、何を考えていますか?


『実験室で何をやった?』

「暴走させてしまいました、生徒の魔法を」


 疲れていて、口がため息と同じくらいにすんなりと言葉を発してしまった。そして、発したと同時に、小さな息遣い。


『――十分で行く。大学だな』

「――待って!! 待ってください、駄目」


 いやいやいやいや、あなた、今は私のボスじゃないよね?


「先輩、ディアン先輩! 今どこですか? と言うか、任務は?」

『さっき終わった。一ヶ月隣国に潜入して、人質を救出した』


(そんな、重要任務の後に来なくていいです!)


「来なくていいです! 失敗しました、失敗したけど――私の、責任なので」

『――』


「落ち込んでもいますが、反省しなくちゃ。怪我をさせたんです、私は償いと保障をしなくてはいけない。彼と大学への対応を考えなくてはいけない。これは私の責務だから」


 ディアンは、直接は何もしてくれないかもしれない。けど顔を見て、心が緩んでしまったら、慰めの言葉を期待してしまったら、駄目だ。

 慰められるべきじゃない、被害を受けたのは、リディアではない。


 落ち込むことは許されない、反省して対応を考えるのがすべきことだ。


「ここでは、まだ私は全然使えなくて。何もできない。だから今は、まだ――会えません。もっとマシになれたら、先輩と顔を合わすことができるかもしれない」


『怪我を回復させたのか? 魔法を使ったのか?』

「はい、肉体にひどい損傷を負っていたので、蘇生魔法に近いものを」


 端末の向こうで、悪態が聞こえた。本当に、すみません。


『――すぐ行く』

「いやいやいや! ですから、来ちゃ駄目って!」


 リディアは、立ち上がり、部屋中をウロウロした。


「顔を合わせられません。慰めないで!」

(一人で立てなくなる! 甘えたくなる……)


『馬鹿か。慰めに? んなわけあるか――』

「――はい」


 口が悪くても、それでも、私はこの人を知っている。

 自分の部下じゃないのに、違う職場でも、大変な任務後でも駆けつけようとしてくれる人だ。


「呪詛は進行していません。近いうちに受診して見てもらいます」


 思案するような僅かな沈黙の後に、声が響いてくる。

 

『リディア、――お前はミジンコなみの度胸だけどな』


 はい、ビビリです。いつも怖くて仕方がない。いつも『ミジンコ』呼ばわりされていた。


『気づいているか? お前がやるって決めたことを、やめさせることは、誰にも不可能だった』


 彼は上に立てる人だ。部下をちゃんと見て、叱咤して、立てるようにしてくれる。


『お前はいつも、やり遂げてたよ』


 ああもう、何でこの人、こんなふうに時々優しくなるのだろ。

 ううん、厳しくする時と、そうじゃない時と使い分けることができるんだろ。


『だからお前は、やり遂げられる。――どこでも、いつでも』

「はい――」


 自分も見習いたい。そうなれるように、なりたい。


『お前は俺たちのところに来た。離れても、仲間だ。俺たちは、仲間を見捨てない』


 ――ソードに入った時は、この仲間意識が嫌だった。突っ張って抵抗して、けれどいつの間にか受け入れていた。いつも、彼らは最後までリディアを見捨てなかったから。


『お前が、身体を張って俺たちを助けたように、お前が求めるなら、いつでも俺たちは助ける。――いいな』


「わかります。――ありがとう」


 いつもの教えだ。この精神がある限り、ソードは最強なのだろう。




『ところで。お前が――音信不通だった件だが――』

(――っ!)


『――いきなり病院から消えて、辞職出して国元に逃げて。で、いきなり大学に勤めて?』


「――」


『その間、相談どころか、一切連絡もなくて?』

「は、はい。その節はどうも――後始末もしていただいて」


 怖い、声が怖い。色々怖い。はん、と鼻先であしらわれる気配。

 そうですよね、そのことじゃないですよね。


『確か――来週、来るんだったよなあ。うちに、ガキどもを連れて』

「――そうで、ございます」


『楽しみだよなあ』


 やばい。『楽しみ』なんて言葉、この人から聞いたことない。「この人、生きてて楽しいの?」って思ったことならある。


「えっと。――よろしくおねがいします」

『俺だけじゃねぇぜ?』

「は?」


『うちの奴らも――楽しみにしてるそうだ』

「ええと、先輩が、他人のこと話題にするの、珍しいですね」


 あの、団員のみなさんがですね。

 喧嘩っ早いソードのみなさんがですね。喧嘩以外に楽しみがない、皆さんが、楽しみにしてくださるんですね。


『――先輩、お願いがあるんです!』

「はあ?」


 突然、遮ってみる。


「ウチで気になる生徒がいるんです。ウィル・ダーリング、今日魔法が暴走しちゃった生徒ですけど、火属性が二五〇〇もあるの。ちょっと気にかけて欲しい」

『……ふーん』


 沈黙が長い、ちょっと興味が惹かれたみたい。


『そいつだけか?』

「あと、キーファ・コリンズ。全て五百超えするのに、魔法が発現しない。あと、マーレン・ハーイェク・バルディア、バルディア王国の王子。攻撃魔法だけにやたらに特化していて、戦闘中の闘争心が異常なんです」


 一気に言えば今度は不自然な沈黙。

 多すぎだろうか?


『ソイツらが、気になる、ねぇ?』

「具体的には、まだ何かはわからない。けど――」


『まあいい。お前が“気になる”、なら、なんかあるんだろ。わかった』

「――ありがとうございます」


 こういう、認められている感、に心が落ち着く。これが今の職場で得られないものだ。


 それでも、自分は今この職場を選んだのだから、やり遂げるしかない。


『うまい言い訳考えとけよ。アイツラも、俺も――楽しませるようなものをな』


 プツリ、と通話は唐突に切れた。


「え、切れたの? え!?」

(私、言い訳に楽しさ求められてる?)


 その、期待値上げられても困るんですけど!

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

楽しんで頂けたら嬉しいです。

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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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