【番外編2】 何度も告げて2
「迎えにきてくれてありがとう」
店を出たところで、リディアが言うとディアンは短く「あぁ」と答えるだけ。でも、その手はそのまま腰を支えてくれているし、歩く速度もリディアを先にいかせて合わせてくれている。
それに気づいているから、リディアは頬を緩めて眼差しを落とす。それは安堵のような、こみ上げてくる幸福感のようなもの。
「ずっとお酒やめてるよね。気晴らしできないよ?」
「別に、飲む必要はない」
リディアが妊娠してから、彼はアルコールを摂るのをやめた。彼が妊娠したわけでもないのに、と不思議に思っていたらシリルに言われた。
「いざという時のためだろ」と。
何か合ったときに少しでもアルコールが入っていたら万全な状態で戦えない、守れないからだと。
お酒が入っていても、すぐに臨戦態勢が取れる人なのに。
勿論、戦いの気配が濃厚な時はお酒を入れない人だけど、“常に”、というのは、いままでになかった。
「それだけボスにとっては大事なことなんだろ」と。シリルから、それをきいたことをリディアは思い出して、唇を引き結ぶ。
言いようのない感情がこみ上げてくる。申し訳無さとか、すまないとかじゃなくて。
彼が自分たちとの間の存在を大事にしてくれている、共有してくれている。
それは、いい表しようがないほど嬉しい。
「――パパが来たから、嬉しいのかな。よく動いてる」
そして、お臍より更に下、重みを増した腹部をそっと撫でる。だいぶ大きくなって、足元は見えづらくなったし、歩くバランスも取りにくくなった。
でも、帰り道の公園の階段ではディアンが手を取ってくれた。
隣にある存在は、すぐに距離を縮めて支えてくれる。伝わる熱はわずかでも、そのぬくもりはいつも隣にいて、絶え間なく守ってくれていると感じることができる。
「そいつ、男だろ」
「そうだけど、嬉しがってるよ」
「……すげえ、俺が近づくと魔力で威圧してくる」
「嬉しがってるよ」
リディアが再度繰り返すと、ディアンはわずかに黙ってしまう。
「ほら、触って」
リディアがディアンの手をって自分の下腹部に持っていくと、彼は黙って手を当ててくれる。
「……この硬いのは何だ?」
「足で蹴ってるね」
臍の横、ちょうど足の部分が激しく動き出して、複雑そうな顔のディアンにリディアはつい笑ってしまう。
「パパのこと好きだから、大丈夫」
「それ」
ディアンがこれまでとは違って、少し咎めるように言う。というか、いままでの拗ねた様子が更に言い難そうになる。
「――また、俺は名前で呼ばれないのか」
ぼそっと小さくつぶやかれた言葉。その顔は逸らされていて、リディアは小首を傾げて、それから微笑んだ。
先輩からパパかよ、と。
その不満の滲む口調は、少し拗ねているようで。こちらを見ないけれど、リディアのお腹から下ろされた手は、今は握っていてくれる。
足を止めたリディアは、ディアンをしっかり見上げる。
何事か、と。ディアンも立ち止まりリディアを見下ろす。その目は、鋭くもなく、ただリディアを見下ろしていた。
感情は見えないけれど、少し眼差しが揺れている。
昨晩のことは聞かない。彼は絶対に守ってくれる。
彼は恐れている、でもリディアや子どもを守れないことじゃない。強すぎる思いと、強くなっていく自分の姿に、きっとまだついていけていないだけ。
彼の背後には満月があった。その光に照らされた彼の姿。その満月を、こういう夜を、自分は忘れないだろうと、思った。
「――ディアン。好きだよ」
リディアがはっきりと言うと、驚いた様に見張った目。その顔を見て、急に恥ずかしくなった。
リディアのほうが目を逸して下を見て、握られた手を引っ張るように歩き出す。
先輩から、パパに変わった呼び方。
ディアンという呼び名もパパも全然慣れていなくて、慣れていないからこそ、両方ともに照れてしまう。
「――リディア」
逃げるように歩き出した手を引っ張られて、立ち止まる。振り返ると真摯な眼差しのディアンがいた。
「――愛してる」
不意をつかれたのは、今度はリディアの方だった。
その眼差しはからかいでもなく、本気で、本心なのだと思った。
黒い瞳は揺るぎない。多分、この言葉には、彼の一生の思いが、覚悟が込められている。
「私も」
迷うことなくそう言って、リディアは区切る。それだけじゃ足りない。
この思いはどうしたら届くのだろう。
言葉だけじゃ、心を占め尽くすこの思いは表せない。リディアは少し顔を伏せて、それから彼を見上げる。
それでも、言葉で、声で、顔で、そして行動で伝えるしかない。
「私も愛してる。――ディアン」
そして踵を持ち上げて、背伸びして彼の首へと手を伸ばすと、それより先に彼の片手がリディアの腰を持ち上げる。
見下ろす顔、彼もリディアを愛しいと言っているよう。空いた手がリディアの顎を捉えて、近づいた顔が口づける。
最初はリディアの唇を食むように軽く何度も重ねて。軽く下唇を噛んだあと、余韻を残すように顔を一度離して、リディアの眼差しを捉えて、見つめてくる。
二人が同時に目を閉じた時、今度は離さないというように彼は強く唇を重ねた。
リディアの腰を支える手が引き寄せる。その腕はいつも以上に熱を伝え、強く抱きしめ、そして絶対に揺るがなかった。




