tell me your eternal love
「次の休日、空けておけ」
そうディアンに言われたのは、付き合いはじめて半年の頃だった。
付き合うといっても変わったことは、行為を持つようになったこと。近い距離が許されるようになったこと。
でもそれは私的空間のことだけ。仕事中は概ねふたりとも感じさせなかった。
彼は団長だし、リディアは部下だ。意見を言うことも、言われることもこれまでと同じ。
同じ声に同じ目線。
プライベートで会うのは、ほぼ彼――ディアンの部屋だった。
リディアの部屋でもよかったが、ディアンのほうが呼び出しは圧倒的に多い。すぐに師団の本部に行ける距離で、呼び出されてもリディアが待っている事ができる場所。
なによりセキュリティは彼の部屋のほうが断然上。
彼はグレイスランドにとっては、なくてはならない存在。手榴弾でも投げ込まれたらなすすべもないリディアの部屋に、彼を入れることはためらう。
何度も引っ越しを促され、ある程度のセキュリティをつけることで折衷案としたが、まだそれに関しては決着がついていない。
そのため、彼の部屋で過ごすこと以外は、ほぼなかった。
そんな彼に、誰かが言ったのだろうか。どこかへ連れてけと。
それくらい唐突な誘い、もとい命令だった。
***
待ち合わせは、セントラル駅。
十分前についたリディアの姿を認めて、ディアンは寄りかかっていた駅のホームの壁から身を起こした。
――珍しい。いつも直前なのに。
同じ場所に長く留まるようなリスクのあることは、しないのに。
首を傾げてる間もなく、彼は『行くぞ』と言って、そのまま郊外に向かう長距離列車の指定席券を渡して、先に歩いた。
平日の下り列車は空席が目立つどころか、誰もいなかった。まるで貸し切りみたいに。
ボックス席で、間仕切り代わりの肘掛けもない二人がけ席の窓側にリディアは座り、彼は通路側に座った。
これは通常。
すぐに動ける場所にディアンが座り目端を聞かせる。リディアは窓の外を見張る。
彼は行き先は言わない。リディアも訊かない。
言われなければ訊かない、その関係は変わらず。
でも座った途端に彼は目を閉じて、眠りはじめてしまった。
付き合いはじめていくつか知ったことがある。
そのひとつが、彼はよく眠るということ。
作戦中の休息で目を閉じていても、けして意識をなくすことなく警戒をしている彼だったから、意外だった。
部屋で二人きりの時も、飲食と行為以外は寝ている。
リディアは、ディアンの閉じた眼差しを伺う。最初は本当に眠っているのか恐る恐る触れてみたこともあったけど、今はそんなことしない。
本当に眠っている、と思う。
もちろん、異変の気配には敏感だから、即座に何かあれば反応できるとは知っているけれど。
自分が気を許されているのから? それってすごく責任重大だ。
最初はすごく緊張していた。じっと気を張って彼を見て起きていたら、呆れたように頭を引き寄せられて「なんでお前が眠んないんだよ」と言われた。
そんな事言われても。
そもそも彼のそばにいるだけで、緊張なのかわからない動悸に襲われるのに。
今も、いきなりの気が許されているような二人の空間に、彼の顔を見ていたら緊張してきた。
(ねている、よね?)
起こしたらと身動ぎしにくくて、でもじっと見ていたら、物言わぬ顔に苦笑が浮かんだ。
――たぶん、今回のことは部下の誰かに言われたのだろう。ディックか、シリルか。
デートしろと、連れ出せと。
文句らしきものを漏らしたことはないし、自分もこれでいいと思っていた。
――最期に、一緒に過ごしたのはいつだっただろう。
職場で、たまに二人になれる時もあった。
廊下で少しだけ会話をする時もあったけど、それはほんのわずか。
でも仕方ない。
このままの関係でいい。
そう思っていると、不意に自分の手を包む感触に心臓を跳ねさせた。
ディアンの目は相変わらず閉じている。
でも降ろされた右手が、リディアの手を握っている。
リディアは固まって、繋がれた手を動かさないように、少しでも起こさないように気をつける。
どうやら起きる様子はない。
そう思ったリディアは、眼差しを緩めた。まだ手を揺らがさぬように注意を払って。
少し彼の方に身体を寄せて、その肩に頭を載せた。
***
降りたのは、屋根のないプラットフォームの田舎駅。
改札をくぐる時も誰もいない。
少し歩くぞ、と彼がいい、リディアもうなずく。
もう手は繋いでいない。
「知ってる場所?」
「前に来た……任務で」
詳しいことは、外部では話せない。でも少しだけ説明を加えてくれる。
(もしかしなくても……さっきの列車って、車両だけじゃなくて)
列車一本、貸し切りにしたのだろう。
だから警戒を緩めていたのか。そう思ったリディアは、理解が遅かった自分に小さく苦笑した。
人影がない田舎道を進んでいくと、突然黄色が飛び込んできた。
「わあ」
そこは、一面の菜の花畑だった。
終りが見えないほどの黄色が敷き詰められた場所。
「……ここって、私有地じゃないよね」
「ああ、前にたまたまここを突っ切らせてもらって……今の時期なら咲いてると思った」
事前調査する暇がなかった、とディアンがバツが悪そうに呟く。
リディアを先に行かせて、彼がついてくる。その彼を後ろに意識しながらリディアは思い切って尋ねる。
「私に見せたいって思ったから?」
真正面からなんて尋ねられない。前を向いたままだ。
少しの間なんてなかった。
不意に後ろ手を引き寄せられて、たたらを踏んだけれどそれを支える手は揺るぎなかった。彼が屈み、同時にリディアを引き上げて、合わさった唇。
彼の閉じた眼差しに、リディアも自然と同じように目を閉ざす。
キスの時、目を閉じてしまうのはどうしてだろう。
リディアから不自然に拗じられた形の右手を外して、彼の手に絡むように繋ぎあわせる。
付き合ってからもう一つ知ったこと。
――彼は、結構不意打ちなキスをする。
任務直前、いきなりリディアを強く引き寄せて、逃げないように性急なキスを。
時には軽く唇を掠めるようなキスを。
そして、驚いて言葉を失っているリディアの背を、早く行けと押し出す。
合わせる唇が離れるのを惜しむように、ディアンがリディアの下唇を軽く噛むから、甘い疼きが下腹に響いた。
身体を重ねて、そんな感覚も知ってしまった。
リディアの請うような瞳をディアンは笑って見た後、不意に両手で腰を持ち上げて、下から見上げてくる。
「――子ども、作るか?」
突然の言葉にリディアは息を飲んだ。
――初めての時、彼は避妊をしなかった。
後で彼はリディアがピルを飲んでいないと言ったら、目を剥いて驚いた。たしかに、師団では必須だ。どうしても任務に支障があるからコントロールが必要だし、乱暴されて妊娠の可能性もある。
でも、大学に勤めてから内服はやめていた。感応系魔法師だから薬は苦手だし、師団にいた時から、ピルの副作用が辛かったのだ。
それを言うと彼はバツが悪そうな顔をして、悪かったといった。避妊する、と。
でも、早急にすることもあったし、結局はリディアがピルを再開した。
――ディアンに最初に驚かれ、避妊すると言われた時、彼は子どもが要らないのだと思った。
自分は、できてもいいと思っていた。欲しいとさえ思っていた。
――前に彼の子が欲しいと告白したことは本音で、でも返事はない。
だから、彼はいらないのだと思っていたのに。
顔が赤くなって返事ができないままでいると、彼は苦笑してリディアを下ろす。
そして、そのまま手を繋いで先に歩きだす。
(返事……は……)
返事を求められているのか、どうなのか。でも頭が混乱して、まだ声がでない。
ただ握られた手が熱かった。
***
手を繋いだままディアンに先導されて進んだ先は、道の途切れた断崖だった。
崖下に見えるのは深い木々。後ろの雑木林の先は先程の菜の花畑。
なんでこんなところに、と疑問に思うことはなかった。
目の前には大きな夕日がまだ丸い形を描いて、地面に沈むところだった。
オレンジ色のとろける黄身のような夕日。
「――先輩、これを見せるために?」
真横にいた彼を振り仰ぐと、彼は不満をにじませる顔をしていた。
「ディアンだよ。お前いつまでも」
「……先輩は先輩だよ。どんな呼び方でも、中身が変わるわけじゃない」
「じゃあ、関係が変わったら?」
不意に彼が真顔で言うから、リディアは声をつまらせる。
そして、彼がリディアの手をとったまま跪く。
斜陽が二人を照らす。
ディアンの目は、真剣で、でも任務とは違う請うような眼差しを帯びていた。
「リディア。俺と、結婚してくれ」
リディアは期待とともに、震える身を抑えた。
「――病める時も健やかなる時も、お前と共にあることを俺は誓う。どんな時もお前を守り抜く。だから、俺と、一緒になってくれ」
握られてる手の感覚がなくなっていく。時間が、空間が感じられない。
ただ、彼の瞳だけ、声だけしかわからない。
互いに無宗教だ。神の存在は知っていても、仰ぐ存在ではない。神前でも、人前でも式をする気はなかった。
「立会人もいらない。ただお前だけがいればいい。お前だけに誓えればいい。お前が頷いてくれたら、ずっと側にいる。――それを、許してくれ、リディア」
リディアは震える手を離せないまま、小さく頷いた。
何も言えない。声が出ない、ただ涙だけが溢れてくる。
それを見て、ディアンはリディアの左手に銀色のリングを通した。
サイズを聞かれたことも店に見に行ったこともない。
でもシリルやディックに聞けばわかるだろう。いや、彼自身が調べたのかもしれない。
これは婚約指輪じゃない。
そんな期間は持たない、結婚指輪だった。
「これで、私、先輩のもの?」
「だから――」
彼は先輩呼びをするリディアを注意しようとして、やめた。
「お前は誰のものでもない。お前自身のものだ。けど――」
それは前からディアンが言っていたこと。
「お前が欲しい。お前はお前のものだ、――けど俺のものだ。俺以外にはやらない。お前の時間も、お前の心も、身体も。全部俺のものにしたい」
その答えを聞く前に、リディアは堰をきったように言葉を被せる。
「――私は、ディアン先輩のものでいい。先輩にあげる。私なんていらない。でも先輩は先輩のものでいい。でも少しだけ、今だけ、私に頂戴」
彼は団長だ。皆のもので、彼自身は彼のもの。リディアが独占できるわけじゃない。
息せき切って告げるリディアを、彼は落ち着かせるように抱きしめる。
「俺もお前にやる。別に師団に捧げちゃいない。あいつらにやるつもりもない」
そして、彼はリディアを離した。
「お前の手で、はめてくれ」
差し出された手には、銀色の揃いの指輪が載っていた。
リディアは震える手でそれを掴んだ。もう日は沈み残照もわずかだ。
その明かりにすがりながら、リディアは彼の手に指輪を通した。
――帰り道は、日もくれて灰色の闇だった。
そうだ、と言って彼がポケットから出したものをリディアの掌に落とす。鎖がついたそれは、リディアの翠玉のタリスマンだった。
リディアがディアンを逃がすために彼に渡したもの。
特注品だったらしく、彼に直すのに時間がかかると言われていた。
石をカバーするように金属でつぼみの形になっているそれは、ディアンの掌の熱で温かくなっていた。
リディアの手に触れると、不意に浮かんだ文字。
それは、懐かしいリディアの識別番号。ただ彫られた名前だけが違う。
『リディア・マクウェル 1-5-0000897250』
立ち止まり、泣きそうになっているリディアを振り返り、彼は腕を伸ばして頭を引き寄せた。
――その腕の中でリディアは思う。きっとこれからも、彼は抱きしめてくれる。
闇の中でも、彼は腕を離さないでくれる。
左手で涙を拭おうとすると、ディアンはその手を掴んでリディアの指輪ごとキスをして。
それから瞼を閉じたリディアの眦に唇を触れさせる。
そして、リディアに深く唇を重ねた。
tell me your eternal love
(永遠の愛を誓って)
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ヒロインは、仕事では出していないと思っていますが、ディアンはしっかり主張しています。
牽制、丸出しです。
そして、これはおまけで、あくまでも一つのルートにすぎません。
乙女ゲームと同じように他の相手のゴールもあるはず。
ここまで読んでくださった皆様に感謝を!
長い間、本当にありがとうございました!




