27.バルディアの内情
リディアは、肌寒さに目を覚ます。
周囲は暗い、ここはどこだと訝しく思う。
過去と現実の区別がつく前に、かけられた声に意識をすぐにこちらに戻す。
「――目が覚めたか」
「マーレン……殿下」
「それやめろ」
敬称をつけるのを止めろと言われても。
とはいえ、確かに言い慣れていないため不自然さは否めない。できるだけ気をつけようと思いながらも身体を動かす。
どうやら横にされていたらしい。
リディアは身を起こし、胸元からずり落ちた布を引き上げる。リディアの身体から落ちたそれは、マーレンの長衣の礼服。金の組紐に肩章と、色々ついていて、重い。
その下は……。
リディアは呆然とした。下腹部に脱がされたドレスがかけられている。
叫ぼうか問いかけようか、マーレンを見返したが、彼のほうが口を開くのが早い。
「つーかっ!!! おまえ、死ぬ気か!? それともそういう趣味なのか? それなら死なない範囲で安全な相手とやれ!」
一度怒った後、不意に顔を赤くして背ける。
「その、本気でお前の趣味なら……協力してやるが」
なんかモジモジしているマーレンの発言は無視することにして、一応問いかける。
「――これ、どうしたの」
半身を起こして確かめると、内側のコルセットが落ちそうになって押さえる。
「息ができてねぇから、切った」
彼が指を閃かせる。彼得意の金属系と風系魔法の組み合わせによる切断行為だろう。
リディアは色々失礼な言動を受けていることに気がついていたが、まずは状況確認をすべく自分の衣服を改めた。
背中に手を回すとどうやらドレスはボタンが外されただけで、ボディを寄せて上げるコルセットだけ、切断したらしい。
マーレンは怒鳴ってから、ドレスを押さえたまま気まずそうな顔で長椅子に半身を起こしたリディアを見て口をつぐむ。
代わりに、ずり落ちた彼の上着を肩にかけなおしてくれる。
「切ったの、ね……」
「肌には傷一つねえよ、俺はつけてない!」
いいえ、あのね。
「その……あの硬い拷問服はなんだ? やりすぎだろ、青あざになってたぞ。赤黒く、内出血してた」
「シルビス特有のコルセット。竜の髭でできているのだけど」
リディアは、あちこち痛む脇腹に納得した。肋骨を折ると脅されたが、すでに圧迫骨折していてもおかしくない。
「な、竜の髭!? まあシルビスなら、ありか……」
「馬鹿らしいけどね」
そうなのだ。
竜の髭は高価だ。竜の心臓、竜の目玉、竜の鱗まではいかなくても、高値がつく。
一枚板ならぬ、一本髭のまま加工したコルセット。おそらくこれ一枚で数百万エンはするだろう。
また兄に弱みを作ってしまった。またチクチク言われる。
ただ普通の剣では切断できない竜の髭を、肌に傷つけることなくそれだけを切断するなんてすごい。妙技とも言える風と金属魔法の合体技。
――すごいとは思うけど、えーとね。
「だが、あそこまで締め付ける必要ないだろ。そんなの、見たことねぇぞ」
(……他のコルセット見たことあるの……?)
いや、脱がしたことがあるのだろうか?
(それは、彼の自由だけど……)
そもそも痣を指摘されたということは……肌を見られたわけで。リディアの向ける視線に気づいて、マーレンは必死に言いつのる。
「ば……。他の女のことは知らない!! そして、言っておくが確かに脱がした。お前の身体も見た、それははっきりと告げておく。でも邪なことはしてない!! 妖精の女王と正義の司、トール神に誓う!」
最初、吐こうとした暴言を飲み込んだ彼は、今度は真っ赤になって。それから情けなさそうな顔をして。最後はキリッとした表情で、胸に手を当てて宣言す
る。
感情表出が忙しい。だがそんな表情の変化が、彼らしくてホッとする。
身体を見られたというのに、思わず微笑んでしまった。
(――救命処置だし。こんなコルセット、色気のかけらもないし)
そう、不服なのがこの色気のなさ。
ランジェリー愛好家としては、この無骨なコルセットは自分の趣味じゃないと叫びたいが、マーレンに宣言する必要はない。
「それはいいの。助けてくれてありがとう。――あの場からも、この処置も」
正殿から離れた別棟の一室だろうか。舞踏会の喧騒は聞こえてこず、明かりは壁にかけられた燭台に灯された炎だけ。この部屋は静かで落ち着く。
「ちょうど別の騒ぎがあったからな、お前はさほど目立たずに連れ出せた」
国王入場の先触れが最後の記憶だ。
たまに倒れるご婦人(わざとの場合か、コルセットによる酸欠のせいか)がいるのが貴族の集まりだ。リディアも、その中の一部として処理してくれたのだろうか。
それとも舞踏会を抜け出して密会をする恋人たちもいるから、そういう目でみられたのか。いずれにしても、その方法はどうでもいい。
「ねえ――バルディス国王――ザハリアーシュ陛下はご健在なの?」
マーレンはわずかに目をすがめる。知らない者が見れば、目の縁の赤い入れ墨とともに、彼自身を恐れるような目付きの悪さ。
だが、リディアは彼の性格も知っていて、彼が怖くない。
様子を伺いただ待っていると、彼はさり気なく指先だけでルーンを切る。Rの風のルーンだ。声漏れを防いだのだろう。
『俺の言うことがわかるか?』
戸惑ったが、リディアは頷いた。そしてマーレンも頷く。
『お前はルーンが概ね理解できている。だから俺たちの言葉も理解できると思った』
ルーン言語なのだろうか? 発音できるものなのか。
『いいや、エルフ語だ。グロワールからの派生語。俺らは古エルフじゃないから、それはもう使えない』
グロワールとはなんのこと?
そもそもなぜリディアが、エルフの言葉を理解できているのか、自分でもわからない。
しかもリディアは彼の言葉が理解できても、返事ができていない。ただ表情とわずかな動作だけで、彼は悟ってくれるらしい。
『お前の返事は、妖精が教えてくれる。言葉にしなくていい』
バルディアは自然が豊かな森と湖の国。その自然には六属性と親和性のある存在の妖精がいる。妖精に属するエルフの血を引く彼には、この国においては人間とは違う別の伝達手段で、心を交わせる術があるのかもしれない。
『話を戻す。陛下にお変わりはない。が、そのことが今回の件を招いている。お前が言うのは国境封鎖の件だろう。外部からの入国禁止というよりも、内部の封じ込めだ。俺たち内殿のものは、自由に行動ができない。身の潔白を証明するため、舞踏会に参列だ』
軍を出動させたのは、王命だというのか。
――このバルディアでは、立太子がなされていない。
各王子たちの母親の背後にいる実家の権力の争いが大きいと思っていた。だがバルディア国王は、王子たちのデスゲームの勝利者を立太子すると宣言したという噂もある。
バルディア国王――ザハリアーシュは御年七十歳。彼が王位についたのは、四十歳。
彼が王位につくまえも王座争いが盛んで、有力候補が潰しあった挙句、身体が弱く寝たきりで最も大穴であった彼のもとに、王座が転がり込んできたと聞いたことがある。
とはいえ、在位は一時期のことと思われていたのであろう。さほど地位が高くない貴族の娘が試しにと嫁ぎ、その一ヵ月後あまりに、あっけなく子を身ごもった。それどころか、彼の周囲の侍女も同時期に懐妊した。
その直後、状況は一変した。有力貴族の一族は、彼のもとにこぞって娘を送り、ザハリアーシュはそれまでの独り身の寂しさを紛らわせるかのように、女性に耽溺し、次々と子を儲ける。
(確か、嫡子と認められていたのは十七人で、それもここ最近不幸が続いていた)
『確認されているだけでも、本来俺の兄弟は、四十はくだらない』
リディアはぎょっとしてマーレンを見た。
お元気だ。四十歳から四十人も結果を実らせたとは。
『本復されたからか、きっかけがそうだったからかわからんが、結果は上々だろう。在位直後から魔術師や祈祷師、薬師が出入りしていて、何が効いたやら不明だ。陛下御自身もわかっておられぬだろう』
変な薬で性欲旺盛になったのか、薬で体が元気になったからお盛んになったのかはわからないが、ということだろう。卵が先か、鶏が先かみたいな。両方じゃないの?
とはいえ、国王自身も味わった王座争いは次世代に移ったはずだった。だが最近、国王自身の王位への執着が顕著になってきているという。
健康になったのは、一時期のものであったのか。それとも薬のせいか、それとも薬の効果が切れたのか。
まだ十分に若いというのに、余命いくばくもないと耳にしている。
師団からの情報によると、王子たちの骨肉の争いも、治世もそっちのけで、永遠の命や若返りの薬を求めて、益々奇行を繰り返しているようだ。
『すでに幾人か兄弟は行方不明だ。陛下は、ご自身が狙われたと噂をまき国境を封鎖し、舞踏会を主催する。そこで怪しい動きをしたものは、即捕えられる』
声を潜めて苦い顔をするマーレン。
それは非常に危うい。グレイスランドに亡命した方がいいのではないか、たとえ王座が遠くなったとしても。
リディアは、何とか彼の話す言語を使おうとしたが、うまく言葉にならず諦めて小声で尋ねた。
「一つ聞かせて。クーチャンスは――ヤン・クーチャンスはあなたの血縁?」
「――俺の腹違いの兄だ」
隠す必要がない話題と判断したのか。彼はやや声を潜めながらも共通語で返事をする。
「とはいえ、嫡子ではない」と彼は呟く。
――リディアは嘆息とともに、瞑目した。
最初にダンスを誘ってきたのはマーレンの兄だった。第一王子の彼は、マーレンよりもヤンに似ていた。マーレンはエルフの特徴が顕著だからだろう、それにばかり目が行く。
対してヤンは人間にしか見えない。
――兄弟だなんて思いもしなかった。おそらくヤンの母親は、王位継承争いに参加できるほどの家柄ではないのだろう。
弟の従者になるということ。ヤンはどんな気持ちで――マーレンに尽くしてきたのだろうか。
「ヤンはどうしているの?」
「ここ最近は血縁同士の接近が禁止されている。たとえ従者であっても」
リディアは、自分に送られてきた写真の意図を聞こうとして口を噤んだ。今のマーレンの立場では、彼を狙うために仕組まれた罠である可能性もある。はっきりしない以上、巻き込むべきではない。
「――私、行かなきゃ」
「戻るな」
背を向けたリディアの肩に、彼の手がかかる。
リディアはそのまま固まった、振り払うことが、できなかった。




