20.大きなお胸はお好きですか?
華やかな王室主催の舞踏会。
着飾ったたくさんのバルディア貴族が笑いさざめいている。それは外の混乱とは別世界だった。
国外の騒ぎを貴族たちは一切知らないのか、どこが情報を操作しているのか。まるであの喧騒が嘘のようだ。
国王が銃撃されたというのは嘘なのか。
混乱するリディアだが、それを推測する余裕はない。
コルセットで身体を締め上げ、胸は谷間をつくり高く盛り上げ、さあご覧下さいとばかりに見せつけている。
シルビスの未婚女性の伝統的なスタイルのドレスを着せられて、リディアは息をするのもやっとだった。
白い肌と綺麗な胸の谷間、シルビスでは男性が注目するのはまずそこだ。
それから細い腰、そして顔、控えめな笑み、従順な態度。
リディアは兄の腕に手をかけ、俯き加減で顔を隠しながら、長い階段を下りる。
周囲が兄の美貌に見とれ、ため息を漏らす。そのようなことには慣れている。
その隣にいる自分の存在がまるでごみのように感じられて、リディアは口と目に力を入れる、潤む目を見られたくなくて、扇子で顔を隠す。
「これはこれは――ハーネスト卿。いいや殿下とお呼びすべきか。このたびのご婚約おめでとうございます」
たくさんの声がかけられる。
「お連れのご令嬢は、噂の妹君か。これはこれは――なんとも――」
「不肖の妹ですよ。リディア、挨拶をしなさい」
リディアは控えめに笑みを浮かべて、礼を取る。
シルビスでは舞踏会デビューは十四歳頃からだ。その頃から結婚相手を探すために、いや見初めてもらうために、本人やその父親たちなど、たくさんの男性に引き合わされる。大抵は年上が多い。
そして、十六歳頃にはすでに輿入れが決まっている。十八歳だと遅い方だ。二十歳ではもう手遅れだ。
だから今更こんな未婚女性のドレスを着せられるとは思わなかったし、恥をさらしているようだったが、どうやらバルディア――というよりも、他国では違うらしい。
目の前の男性は興味津々で、リディアの胸元と顔を見比べている。あからさまな視線を愉快とは思えなかったが、彼が向ける視線にリディアに対する侮蔑はない。
(……お兄様は、いったい何を考えているの?)
バルディアとシルビスが国交を結んでいるなど、知らなかった。仲が悪かったわけではない。ただバルディアは国内が常に不安定で、シルビスは内向的な国だ。
兄がかの国にここまで急接近し、バルディアでもここまで優遇されているとは、リディアが所属当時の師団の情報網にあがっていなかった。
「これはこれは、美しい妹君だ。ぜひ最初に私と踊る機会を与えてはくれないかね」
近づいてきたのは、堂々たる態度の男性だった。衣装や恰幅の良さからそれなりの身分――というか、リディアは目を見開き驚いた。
確か――。
「名はなんという?」
「リディアと申します。イェーツ殿下」
マーレンより五歳上の、バルディアの第一王子だ。
だがこの国では王太子が定められていない。彼の耳は人間と同じようで、外見を見ると、エルフなど妖精の血は入っていなさそうだ。
母親が違うからだろう、マーレンとは似ていない。むしろ似ているのは――。
「リディア。行きなさい」
「はい、光栄に存じます、殿下」
兄に命じられて、リディアはマーレンの兄であるイェーツに手を取られて、踊りの輪へと加わる。締め付けるコルセットに、窮屈な靴、それは一人で歩けず男性に頼るためだけに設計されているかのよう。
それでも、師団の訓練に比べたらマシだとリディアは吐き気をこらえるが、首にかけられた宝石の魔力吸収作用によるめまいに、体力や気力が奪われる。
(……もっと辛い訓練もあったんだから、耐えられるはず)
精一杯笑顔を浮かべて、相手と向かい合う。
幸いというか、彼の目はリディアの胸元に釘付けで、リディアの顔色の悪さに気づかない。
このようなあからさまなデザインは、今はシルビスだけではないだろうか。
しかし、王族ともあろう人物からここまで不躾な視線を向けられるとは思わなかった。ダンスの間中、彼はずっとリディアの胸ばかり見ていた。
靴もコルセットも全てが根性だ。根性で耐えるしかない。
ようやく一曲終えて解放かと思いきや、さらにと相手が手を取り、リディアがひきつりそうな笑顔で反応する前に、腰を別の手が攫った。
「兄上。彼女はすでに私との先約があるので、失礼」
「――マーレン、殿下」
驚きつつなんとか敬称をつけたリディアに、マーレンは目で語るのを制止する。リディアは笑みを浮かべてイェーツに断りを入れて、マーレンの手を取る。
(なぜ来た……!)
唇の動きだけで訪ねてくるマーレンに、リディアは答えようとして逡巡する。
アレを送ってきたのはマーレンだ。
だが彼の緊迫した表情から、バルディアの内情が不安定なのが推測できる。
――だが、あの小包。それ自体やその内容も、マーレンが送ったものだろうか。
彼はリディアの呪いのことを知っている、直接明かしたことはないが調査はしているだろう。
けれど誘いはあからさまだった。この時期にリディアの興味をひく内容を送りつけてきた、おびき出された、そう考えるのが自然だ。
とはいえ、今ここで尋ねるしかない。今回の目的だし、今だけ機会がない。
「――アレは、あなたからの招待ではないの?」
そう問いかけると、なぜかマーレンは顔を赤らめた。
「ばっ、お前。そんな直接的に聞くなよ」
……なぜ照れている。
「読めばわかるだろ。俺の気持ちなんて、いちいち聞くな」
えーと。まさか、そっちのほう?
「もしかして。……あの怪文書。あなたが書いたの?」
「な。怪文書言うな! 一日悩みぬいて、書き上げたんだぞ!!」
一日もかかったの!?
内容はアレだけど、文字の美しさは見事だし。
素直に何がいいたいのか書いたほうがいいような。
どう答えようか悩んでいるうちに、こらえていた吐き気が抑えられなくなる。
目の前に星が散る。酸欠だ。
「お前を此処に呼んだんじゃない。ただ溢れてきた思いをとめられなくてだな、その……」
見知った顔に安心して気が緩んだせいか。
視界が暗く染まる、もうマーレンの声は聞こえない。
「それよりお前、その恰好―――って、おい!?」
ざわめきが響く。それはリディアに向けられてのものではない。
『――陛下の御成りにございます』
ザハリアーシュ国王は存命なのか? だが崩御したのであれば、このように浮かれ騒いでいる場合ではない。
容体はどうなのか、ただのデマなのか。
それを確かめたくても、もう目があかない。
マーレンの腕を掴んだのはリディアだったか、反対につかまれたのか。目の前が真っ暗になる。
意識を失ったのは初めてだった。




