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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
3章 課外活動編

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69.命より大事なもの

 ウィルと二人で、バーナビーに肩を貸して、何とか不可視の壁の前まで移動する。そこから魔法陣の中の蠍は観察できる。五メートルくらい向こうだ。


「言っておくけど、念動力は魔力切れとは関係ないよ」

「ええ、知ってる。でも無茶したわね。でも――助かったわ、ありがとう」

「本当に?」

「私の魔法陣は、丁度よく虫の下に滑り込んだから。最初に投げていたら、弾かれていた可能性もあるもの」


 バーナビーは気だるげに微笑む。

 その症状は多汗、頻呼吸、低体温、悪寒。リディアは彼の脈を取りながら、彼の冷たい汗で湿った皮膚に触れる。

 低魔力症――命に関る症状だ。


「バーナビー。最後に薬を内服したのは何時? 緊急注射薬は?」

「――朝だよ。昼間の分は、家に忘れて来たんだ」


 リディアは険しい顔で口を引き結ぶ。幼少時、いやもしかしたら出生時から投与してきた命に関る薬を、忘れるものだろか? 

 思春期ならば、薬を厭うこともあるかもしれないが、彼はその年齢じゃない。


「バーナビー。忘れたわけじゃないのでしょ。この間の実習のときも、なくしたわけじゃない――いつから?」


 バーナビーは、目を閉じて降参と呟いた。


「実習のときが初めて、だよ。それから二回ほど。……今回は上着のポケットに入れておいたんだけど」

「緊急注射薬は?」


 それもバーナビーは微妙な顔をした。


「一度、それもなくなったから、大学には持ってきてない」

「なあ、その話ってまさか誰かが盗んだって、こと?」


 ウィルが驚きと怒りを混ぜて声を放つ。


「いやな話だけど」


 人の命に関る薬だ、嫌がらせどころじゃない。けれど、注射薬まで盗むなんて。

 緊急注射薬は、言葉通り緊急時に注射できるようなペンシル型の薬だ。服用と違い即効果が現れるので、こういう症状の時に使用するもの。ただ濃度も濃く、高価だ。一度それさえも盗られたのであれば、持ってこなくなる気持ちも分かる。


 医師の処方がなければそれを手に入れることができない。嫌がらせじゃなければ、使うか、または売るか。いずれにしても今は動機を考えている場合じゃない。


 リディアは、見えない壁に触れる。おそらくあの蠍の空間に閉じ込められたのだろう。蠍を倒せば解放されるかもしれないが、出た先も落ちてきた穴の下。

 

 リディアはバーナビーを壁にもたれかけさせて、胸の第二ボタンまでを外す。半目を開けて、浅い呼吸を繰り返す彼はかなり危うい状態だ。


「バーナビーしっかりして。まだ話せる?」

「……そう、だね」


 返答に時間がかかる。意識が低迷している。昏睡状態になったら死んでしまう。

 今は誰が何のために盗ったかなんていうことはどうでもいい。考えるのは目前の彼の命を救うこと。


 実習中、バーナビーから薬がないと申告されたことで、リディアは彼の症状について文献を読んで調べた。

 リディアは、自分の案を検討する。どうなるか、まったく読めないけれど。


「バーナビー。あなた達の一族は魔力欠乏症を多く輩出してきたのよね。魔力補充薬がでるまでに、魔力を補っていた方法。私は聞いたことがあるのだけど、あれは有効なの?」


 バーナビーが赤い目を細めて笑う。


「俺は試したことはないけれど、ご先祖様はそうしていたらしいね」


 リディアはそれを聞いた後、振り返り魔法陣を見る。まだ大丈夫だ。けれど、長くは持たない、今しかない。


「じゃあ、そうしましょう。私の魔力をとって」


 リディアは袖をめくり、右腕を差し出す。呪いの痣は左腕なので、右腕は綺麗だ。


「ちょっと待てよ!」


 予想通り流れを止めたのはウィルだ。


「どういう話? 魔力を? リディアの? まさか。ちょっと待てよ。詳しく方法話せよ」


 ウィルがリディアの肩をつかむ。険しい顔、強い力でリディアを掴んでいて説明するまでは譲らないという気迫を感じる。


「――世間でいう吸血鬼ヴァンパイアというのは僕らのご先祖さまがモデルなんだ」


 バーナビーが唐突に口を開く。リディアが言いかけると、バーナビーの手が制止する。


「僕らは、魔力欠乏症の遺伝子を持つものが多く……彼らは、他者から魔力を得ていたんだ」

「――魔力は――魔力の元となる魔力素は血液中にも存在するといわれているでしょ。バーナビーの一族は、他者の血液から魔力を得ていたというの、過去には」

「っ、な! て、リディアの血液を吸わせるってこと!?」

「問題ないわ。入職時の健康診断でも、私は感染症がないって証明されているから」

「そういう問題じゃない! アンタの血を吸わせるんだぞ、血が取られるんだ!!」

「――言っておくけど、血じゃないよ。……魔力素だけを吸うんだ」

「同じようなもん!」


 ウィルは怒鳴って、そして袖を捲り上げた。


「バーナビー、俺のをやる!」


 そして何かを言いかけたリディアを睨む。


「リディア、アンタはもうろくなことを考えんなよ! ほらバーナビー」


 ガンっと背後で音がした。ひっくり返ったままの蠍のハサミが魔法陣の見えない壁に当たって跳ね返っている、微妙な自己主張がこわい。


 バーナビーは寂しげに首を振る。


「ごめん、ウィル。異性からしか、取れない」

「なんで!?」

「吸魔行動は、性的欲求と結びついているから。俺はストレートなんだ、君には欲情しないし、その相手の魔力は吸えない」


 リディアは顔を赤くし、ウィルは一瞬詰まった後、声を荒げた。


「血吸えば勃つっーことかよ!」

「反対だよ、欲情した相手の魔力を吸うんだ」


(……聞かなきゃよかった)


リディアは顔を覆った。


「元気だよ、リディア、こいつ充分元気だから!」


 リディアは頭をふり、ウィルをどかすことができないから、反対側にまわる。


「バーナビー。もう時間がない、吸って」

「リディア!!」

「ウィル。心配してくれてありがとう。でも――人命以上に大事なものはない」


 バーナビーが意識を失ってしまったら、手立てがない。


「リディア。俺は……いや、だ」


 ウィルは、子どものように顔を痛そうにゆがめて、それからバーナビーを見て「ごめん」と謝った。


「俺も、いや、だよ」


 バーナビーはそう言って目を閉じる。

 リディアはバーナビーの顔を覗き込む。


「いやでもあなたはそうしなきゃいけないの。じゃないと死んでしまう、わかるわね、ここを無事に出るためには、いまそうして。予言でも全員助かるって出たんでしょ?」


 バーナビーは乾いた唇を開ける。


「吸うのは予知していない」


 リディアは腕を差し出す。血管がよくみえる肘正中皮静脈を見せる。よく採血で使われる肘の内側の血管だ。


「ごめん。……頸動脈からじゃないと」

 

 リディアの動揺した表情を見てか、バーナビーは「でもいらないよ」と続ける。


「いや、そのね。頸動脈って、大きい動脈だしね、止血が大変だし」


 頸動脈は首の動脈だ。

 首!!

 首を吸わせるとか! 意識して心臓が大きく跳ねた、いきなり顔が熱くなってくる。


「リディア、顔が赤い」

「まさか」

「頬も熱い。意識してるとか、うそだろ!」


 ウィルが低く呻いて頬に触れてくる。人命がかかっているの!

「動脈は止血が大変だし、感染したら命に関わるから消毒しないといけないしね」


 リディアはもごもごいう。一応、魔法師団で救護師の資格もとった、医療知識もある。


「一応伝えておくけど、もらうのは血液じゃないよ、その中の魔力をもらうんだ。血は吸わない」

「そ、そう」

「感染もしないし血管も傷つけない。相手に疾患を移すこともない……」


 そういって、バーナビーは目を閉じる、後半はかなり口調が重たげで、辛そうだった。

 リディアはシャツのボタンを上から二番目まで外し、ぐいっと右肩を露出する。


 頸動脈は、首を捻った時に露出する胸鎖乳突筋の上にある拍動する血管だ。


「いいわ、さあどうぞ! 思いきって吸っちゃって」


 バーナビーの前に首を傾げてさらす。バーナビーはトロンとした眼差しで見つめ返してくるだけ。


「……俺は、嫌だ!」

 

 ウィルは叫んで、リディアの肩を掴んで後ろに下がらせようとする


「なんだよそれ! なんでそんなの見せつけようとするわけ!? そんなの――」

 

 確かに、流血沙汰は男の人は苦手だろうし。見なくていいよ、なんて言うのは傷つけてしまうだろうか。


「ウィル、人命が一番。ましてやバーナビーは友達でしょ。友達の命ほど大事なものはない」

「けど、見たくない! 見たくねーんだよ!!」


 リディアは、ウィルの手を握る、そしてぎゅっと握りしめる。


「……お願いがあるの」


 彼の顔がこわばる。リディアは笑いかける。


「蠍を見張ってて。そして結界が破られそうになったら、迷わず炎の魔法で攻撃して」


 黙るウィルに言葉を重ねる。


「あなたにしかできない。あなたはもう炎を制御できる。信じてるから」

「――でも」

「私は私にできることをする。ウィル、あなたもそうして」


 人から人への魔力提供はできない。それこそバーナビーたちの種族のように、魔力を吸うという特殊能力がなければ。助ける手段があるのだ。


 そう言えば、ウィルは歪めていた顔を背けて、そしてリディアの手をぎゅっと握り締めた。



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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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