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リディアの魔法学講座  作者: 高瀬さくら
3章 課外活動編

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46.すれ違う思いやり


 二人を座ったまま見おくり、顔を戻すとキーファの熱を持った眼差しがあった。

 彼の目がリディアの目を捉える。


「キーファ。――何かあった?」


 リディアが問うと、キーファの眼差しが揺れる。だがそれだけだ、リディアの予感は外れたのだろうか。


「――痛みますか?」


 彼の視線はリディアの顔に固定されたまま。リディアは首を振る。鏡を見ていないからどんなふうになっているかはわからない。ただ、検査着から覗く肌は擦過傷になっている。


「辛い思いをしたのでしょう」

「――いいえ。平気よ」


 いつも通りに答えたはずだった。笑えてはいなかったけれど、キーファの目をちゃんと見て言えたはず。なのに、キーファはリディアを強く見つめ返した。


「どうしたの……」


 不意に腕が伸びる、キーファが近くなる。いきなり視界が遮られる、目の前に彼の胸があった。目を瞬いていると彼の手が頭に触れていた。頬に伝わる彼の鼓動が速くて、抱きしめられているのだとわかった。


 今日は抱きしめられたり、触れられる日みたい。

 どうしてだろう。皆に心配されている。

 大したことじゃない、いつものようにトラブルに対処したはずなのに。


「平気とか、大丈夫とか、言わないでください」

「……」

「本当は守りたいです。でも俺は間に合わなかった」


 自嘲気味の声。

 後悔をしている声、彼に“何”が、あったのだろうか。


「……でも来てくれたから」


 ウィルも、ディックも、キーファも来てくれた。たぶんシリルもディアンも心配してくれている。全部自分の未熟さから招いたこと。


 なのに、みんながこうやって気にかけてくれる。それは、とてもありがたいことだ。


 まだ問題は解決していないけれど、みんなに甘えさせてもらっていると思う。自分の未熟さを余計に実感する。


「あなたは頑張りすぎるから、もう何も言わないでいいです」


 強く断定する言い聞かせる声。キーファの声は少し震えているのに、言葉は強い。


「リディア」


 彼の声がリディアの耳をくすぐる。


 思いがこもった声。なぜか、リディアの胸も熱くなる。色々な感情がこみ上げてくる。息が不規則になる、喉がひくっと鳴った。


(――我慢、しなきゃ)


 不意に泣きたくなる。どうしてだろうか、必死で堪える。


「泣いてください」


 リディアは彼の腕の中で、首を振る。ただ不規則に肩を上下させる。堪らえようとしてできない。背を撫でる手が温かい。彼の手は大きい。


 彼に守られる女の子は、きっと幸せだろう。

 

 でもそれは――自分じゃない。


 そう思った途端に、心が冷える。一つ深呼吸をする。冷静になる。

 

 自分を戒める。

 甘えるな、頼るな。荒ぶる感情を抑える。


 大丈夫だ。


 ――自分は、大丈夫。


「あなたが俺の名を呼んで。どれだけ嬉しかったか」


 彼の腕が緊張している。きっと彼も余裕がない。それを意識したとたん、リディアの胸が痛くなる。


(……中途半端だ、私)


「すみません。今だけ、こうさせてください」

「……」


 リディアは下ろしている自分の手のやり場に困る。

 彼の背に回せない。

 ……思いを、返せない。


 どうしよう、どうしたらいいかわからない。


 ウィルにも答えていない。キーファにも答えなきゃいけない。たぶん、期待させてしまうかもしれない。


 断れない自分に気がついて、リディアは背筋を震わせた。

 自分は期待させて、すがりつこうとしている。


(……弱いから)


 リディアが息を吸って、声を発しようとした時、キーファの声が響く。


「――距離を、置かないでください」

「……」

「あなたが俺達を助けようと思うならば、俺達にも守られてください」


 リディアは眉根を寄せる。どう答えればいいのか、ますますわからなくなってくる。 


「じゃないと、ずるいですよ」 


 ずるい? 

 キーファらしくない言葉にリディアの胸に疑問符が宿る。思わず顔をあげると、彼が拘束を緩め、リディを少しだけ離す。

 彼は眼鏡の下の目を細めて優しく笑っていた。


「――今回のような実習のあり方について、生徒の皆の署名を集めて大学に提出しました」

「え?」

「捉えて動けないようにした魔獣を撃たせる方法に疑問を持っている生徒も多かったので。魔法省の父にも大学教育の見直しに圧力をかけてもらうように話をしたので、そのうち動きがあるはずです」


 リディアは今度こそ言葉に詰まる。


「それからゴードン達についても、まともに教育を受けられないと皆が困っていたので対処を訴えました。少なくとも教授会で取り上げてもらえるまでは、話を持っていきました」

「……キーファ」


 大学は一教師を守ってくれない。業績を上げる教授のためだけに存在する。生徒の声も届きにくいが、リディアのような下っ端が騒ぐよりも、まだましだ。


 生徒の声は無視できない。


「ありがとう」


 彼の眼差しが僅かに揺れる。けれど、けして外そうとしない視線に囚われる。


「もしあなたが俺の存在を忘れても。それでも、俺は何度でも守りに来ます。あなたが傷ついた時、支えに来ます。――これだけは覚えていてください」

「……」

「リディア。いいですか?」


 なにか思いつめたような声から一転、穏やかながらも強く言い聞かせる言葉。

 彼の声はとても耳に心地いいのだ。ただ心に浸透してくる。きっと誠実な心が現れているからだろう。


 心が揺れる。――断れない。

 断らなきゃいけないのに。いらないとも言えない。


 リディアは視線を外すことができない。言葉を発することができなかった。


(……何かあったの?)


 そう胸の中で問いかける。

 

 けれどそれはキーファの欲しい返事じゃない。

 リディアはキーファを見つめ返し、ようやく俯いた。


「ありがとう」


 そう震える声で頷くことしかできなかった。


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