34.ウィルとキーファ
キーファは顔を上げた。
国立図書館から出たばかりだった。館内から外の明るさに目がくらんだのか、僅かな目眩に足を止めた。
(……リディア?)
なぜその名前が、その顔が浮かんだのか。
リディアは自分たちの必修科目に関わっており、外部講師の授業の際も準備などを手伝ってくれている。例えばお茶出しや、プロジェクターの準備など、いつも何かしらと顔を覗かせる。
けれど彼女の仕事はそれだけじゃない。ゼミや学会の準備や研究などたくさんの仕事を抱えていて、学生の自分は彼女のスケジュールを把握できていない。
それでもキーファはさり気なく卒業研究の相談をしたい、などと声をかけて、リディアのスケジュールをその都度確認していた。
そして確か、この時期は何も入っていないと聞いていた。
今日のことも「たぶん学内で研究の準備をしているから、何かあったらアポを取って相談にきて」と気軽に言ってくれていた。
胸騒ぎがする。
どうしてなのかわからないが、彼女に何かがあったとしか思えない。
キーファは大学行きのバス停へと足を向けようとして気がついた。
いつの間にか取り込まれていたのは、人通りがなく、無音の世界だった。
「……ニンフィア ノワール」
キーファは、人間離れした美しさを持つ自分の主を見て、名を呟いた。
***
ウィルは裏庭にいた。
先日の業者による草刈りのおかげで、短く整えらえれた枯れ茶色の絨毯をみせる空間。
石畳の間から覗く植物はないが、あと数ヶ月もすれば強靭な生命力持つ雑草は、すぐにここを鬱蒼と生い茂るだろう。
だが、今はそんなことを気にしている余裕はない。
ウィルは下ばえを踏みしめ、噴水の跡地に立つ。
――あの時、ウィルたちを招き入れたのは限定魔法陣。一度限りのものだ。
だが、どんなものでも、魔法の残滓はある。
ウィルはあのときの魔法陣を思い出す。
あれは招聘陣だ。転移陣でも、召喚でもない。自分たちを呼び寄せるもの。呼ばれていない限りは行くのは難しいが、あちらからの招聘なのだ、拒否されることはない。
ウィルは記憶の限り正確に魔法陣を剣先で描き、魔法陣用のインクを垂らす。
あとは、魔法師団の場所さえわかれば。
ウィルは、地面に手をつく。
自分は土属性魔力が高い。そして、実習の際に地中の奥深く潜む存在を感じた。
(探索なんてやったことねーけど)
一度入ったあの要塞――あの特異な存在を感知できれば。
地中に根を張り巡らせるように、自分の魔力の手を伸ばして行く。
以前、熱の伝導をした時と同じだ。ただ今回載せるのは微細な魔力、何もしなくていい。
そう。ただ魔力を探せばいい、ただそれだけだ。小さなものは無視だ、大きなもの、巨大なものがあるはず。
雑多な気配がウィルの魔力の手に触れる、ただ焦燥だけが募る。
(――無理か)
当たり前だ。魔法師団は存在を隠しているのだ、たかが学生の自分があてずっぽうで探しても、当てられるわけがない。
諦めが入る中で、ウィルは何か自分を引き寄せるものを感じていた。どうしても、そこに意識が向いてしまうのだ。
(いやだ――)
離れようとすればするほど、そちらに引き寄せられる。
意識してしまえば、もう無視できない。
ウィルは覚悟を決めてそちらに向かう。地中の奥深くだ、いやこれは地中なのか?
よくわからない。
どこか自分の意識が溶けて行く、惚けていく。
流れ流れて、ウィルはそれを感じた。
(――怒り?)
そうだ、前に実習のときに感じた。これは、怒りだ。
ウィルの背筋を冷や汗が伝う。この存在はやばい。
怒りを湛えている。触れるのは片鱗だ、魔力も怒りもささやかなもの。
本来の存在の指先ほどの魔力だ。強大な力が漏れている。地中に。
ウィルは逃げようとして気がついた。
こいつは、身動きできないのだ。
なん、で。
その力を押しとどめているものがある。その強大な力を貫いて、この地中につないでいるもの。
地中の奥深くに留めているもの。この上に、何かある。それは――。
ウィルは息を止めた。考えが浮かぶ。
そのときだった、地中のものが揺らいだ。
“―Qhuůi?”
ウィルはただ息を飲む。何かに話しかけられた。
まさか、まさか気づかれた。
“――Uoůes ethεs—”
何か言われている。理解できない。答えてはいけない。
いや、応えなきゃいけない。
ウィルは、それを振り切るように意識を上に向かわせる。
その存在をここに繋ぎ止めるもの、そのもとへ急ぐ。
“流れる風 時を運び 肉を 心を 強大なる力のもとへ”
“かの地へと この導べに 我を運べ”
ウィルは歯を食いしばり、移動の誓願詞を唱える。
あらがたいほどの強大な力のある存在から逃れようと、その上へと急ぐ。
この地中の強大なる存在を貫き、そしてここに繋ぎとめているもの。
――これは、巨大な封印だ。
楔なのだ。
この楔こそ
――魔法師団の第一師団本部の要塞だ。




