25.恋愛経験
前話24を修正しています。(R1.5.12 12:00頃)少し終わり方が違っております。
リディアは、手の先が冷たくなっていくのを感じていた。指先がレイノー症じゃないかと思う、最近は黄色いどころか、つめ先も白い。
教授に訴えたのは、新しい人体人形の購入申請。領域の設置基準として三体が必要で、いま準備室にあるのはゴムが溶けた人体人形、木の傀儡人形(この間チャスが眠らせた)が各一体、パーツだけのものが五体。
領域予算は五十マン。一体十万だが、絶対買える。ほかには魔力計測器を買うが、それも二十万、大きな買い物はほかにない。
自分が予算案を組むのだが、最終許可は教授。ここはなんとしても説得しないといけない。
「ハーネストさん。人体人形なんて、今は使わないでしょ」
「ですが、設置基準にありますし、うちにあるものは三十年前のもので、もう使えません」
「ハーネストさん。だったら、ダンボールで作らせなさい」
「は?」
「学生に作らせればいいじゃない。その方が、愛着がわくでしょう」
作る?
ダンボールで? 人体模型を?
――愛着?
「作らせなくても、予算はあります」
「そのほうが覚えるわよ。マジックで血管を塗ればいいじゃない」
なんだそりゃ!!!!
マジックとダンボールで、人体にかけた魔法の効果がわかるのか!?
リディアは焦る。なんでか、とんでもない方向に話が進んでいる。
「ですが、私は作り方も知りませんし、制作過程を学ばせる必要は無いと思います」
「そんな十万なんて。もったいない」
で、ダンボール? ダンボールでどうやって作るの? 授業するの?
あなたのお金じゃないよね。揃えておかなきゃいけないんだけど?
「何度も言わせないで頂戴」
これもう決定なの?
私が授業で教えるの?
リディアの口は更に勝手に動いていた。
「ですが」
「ハーネストさん」
やばい、自分が教えるハメになる。ダンボールの人体模型の作り方を。
「私は、人体に及ぼす作用を教えたいんです。血管の走行を覚えさせたいわけじゃありません。どうしても作り方を授業に組み込みたいのならば、先生の授業でご教示されたらいいんじゃないですか!」
その瞬間、教授の顔が真っ白になった。
***
やっちゃった、またやっちゃった。
ずーんと落ち込みながら、リディアは過去の卒業研究の論文集を見ていた。
もうすぐ学生の卒研指導が始まる。自分の領域だけではなく、他の領域の学生指導も割り振られるのだ。
論文規定も確認しておかなくてはいけないのに、頭に入らない。
教授は言い返されるのに慣れていない。
――明らかに、後で報復がくる。
過去の学生の研究を見ながら、リディアはふと目を留めた。
本格的なものもあるが、大抵は後輩へのアンケート調査が多い。解答が集まりやすく、楽だからだろう。
学部生の研究は、研究の練習の意味合いが大きい。本格的な研究は大学院で行うもの。
「今の学生って、恋愛経験者九割なんですね」
この大学の四年生が後輩にとったアンケート調査の結果を見て思わず漏らす。そこには「異性と付き合った経験がある」の学生が九割だった。
えーと、二年生に実施したアンケートだから、十九歳または二十才。
……自分と同い年。
「そう? 私達のときだってそうだったじゃない?」
サイーダが、自分のMPを打ちながら相槌を打つ。
「そうなんですか?」
「ていうか、あなた学生と同年代でしょ? あなたの周り見れば?」
「……同年代の女友達が乏しくて」
「女より、男が多いほうがいいじゃない。魔法師団いっぱいいたんでしょ?」
「……私より年上だったので」
彼らは参考にならない。
というか、彼らのあれは恋愛なの? ただの性欲処理にも見えた。体格もいいし、本人たちもギラギラしてるし、結構モテるし、あちこちで女を作る。
娼館のお得意様だし、お気に入りの女性を持つ団員もいた。
ただ『問題を起こすな。未成年者に手を出すな』は団の鉄則として徹底していた。現地の未婚の娘を妊娠させると(人妻もそれなりのリスクだけど)彼らの活動に多大な支障がでるからだ。
「ここにいても、彼なんてできないわよ」
「――ですよね」
「BBQのときの先生はどう? アドレス交換したんでしょ?」
「――付き合うなんて、まさかまさか。そんなの考えるの失礼ですよ」
「ってことは、そうしてもいいってこと!?」
突然サイーダが食いついた。リディアは首をふるふるとふる。
大学のメッセージでやり取りをたまにしているだけだ。
リディアの端末が震える。
メッセージを聞いてリディアは顔をしかめる、それどころじゃない。
シリルは恨まない、そもそもいつかは誰かが何かを言ってくるかもと思っていた。
ディアンの謎の言葉から、何かおかしいと予感はあった。
立ち上がり部屋を出て、迷った末にサンダルのままで中庭に出た。周囲に誰もいないのを確認して、受信ボタンを押す。
『――おまえ! キャンプなら俺が連れてってやるって! ――温泉ってなんだ?』
「ディックとキャンプは行かない」
キャンプなんて望んでません。ディックは、リディアを妹のようにかまってくれるが訓練は別だ。彼のシゴキは鬼だ。あのトラウマは二度と忘れない。本気で憎しみを覚えた。
『だいたい――あの水着何だよ。なんで胸、寄せてんだよ! 紐パンとかふざけんな』
「寄せてませんっ、そういうデザインなの!」
低いドスのきいた声に、リディアは頬を膨らせる。
『布地がすくねーんだよ! ていうか、水着を着るな、野郎に見せるな』
失礼な。“見せた”わけじゃない。
「人が何着ようが、ディックには関係ないでしょ」
『関係あるんだよ!』
「ディック、そういうの好きでしょ!」
『俺が好きでもお前には関係ない。お前が着る必要はねーの!!』
なんなの、この俺様。そういうタイプじゃないよね!!
時々ディックはひどくわからずやになる。普段は、めっちゃ頼りにしているけど。
「――知らないよっ!」
リディアは、ブチッと端末を切って電源もオフした。それどころじゃない。なんとしてもダンボール人形作りから免れなきゃいけないのだ。




