29.引きずられる心
――すべての魔法が消えて、静寂が訪れる。
それを消し去ったのは、清々しいほど圧倒的で純粋なディックの魔力。
振るうことさえ容易ではない重く巨大な大剣を軽々と扱う腕力に技量。
それ以上に緻密で壮大な魔法を大剣に刻む魔法師としての技能の高さ。そして、それらを制御できる有り余るほどの魔力と精神力。
マーレンの暴力的な風魔法は、ディックの剣の一振りで飛ばされ、粉砕され、最後は溶けて消えた。
圧倒的な力に対しては、ただ感動しか覚えない。
すごい、叶わない。どうしたらそんなことができるのか。
いつも自分との格の違いを思い知る。
だが天才達の中でも、彼は潰されずに彼自身の個性に秀でた能力を開花させ努力し続けた姿も知っているから、羨みも妬みもない。
発展し続ける彼には尊敬を抱いている。
頼もしげな笑みと指を立てて合図を見せるディックに、リディアも感謝の笑みを見せ、それから抱きしめた存在を見下ろす。
魔法は消えた、だがマーレンはまだ正気を取り戻していない。
リディアに対して身体を突っ張り、ブルブルと震えている。
「ハーイェク?」
彼を呼ぶが返答はない。
胸に抱きしめたマーレンから強い感情が流れ込んでくる。
魔力を同調すると、感情が流れてくることがあるが、それにしても激しい。
“――ちくしょう!ちくしょう!”
リディアの胸の中にいるマーレンは、唸っていた。
リディアの胸をめちゃくちゃに叩いて暴れる。
明らかに感情にすべてが支配されている、魔力がまた高まり暴走しようとしている。
「“マーレン”しっかりしなさい」
彼の名を呼ぶ。
“どうせ!! どうせ!! 俺を――利用したいだけだろっ。上手くできなきゃ、――俺を、すてるんだろ”
歯を食いしばり、目を閉じていながら、彼の心は叫んでいた。
“俺を見ろよ、俺を!! 俺はやってる、やってるんだ! 精一杯、なのに――”
(やっぱり、怒りを溜め込んでいて――もう耐えられなくなっている)
我慢し続けていたのだろう。
彼の心の怒りの閾値が低いのはそのせい。それが魔法の暴発に直結している。
(ただ、殺意にまで発展するのは――不可解だけど)
リディアは息を吸って、吐く。
触れる彼の鼓動を感じて、自分の鼓動も感じる。
彼の魔力が見える、荒れ狂う海じゃない、燃え盛る炎だ。
なだめようとしてもなだめられない。炎を消そうとしても消せない。
“アンタは、いつまでも俺を見ない、俺を認めない――俺を認めろっ――俺は、俺は”
怒りの感情が強い。我慢し続けて抑え続けて、彼の感情は限界なのだ。
“母上、母上っっ――どこまで俺はやればいいんだ。誰も、誰も、俺を見ない――俺は”
(感情が強すぎて、――引きずられる)
リディアも歯を食いしばる、頭がくらくらする。
『お願い――私を見て。誰か――私に気づいて。私、頑張るから――捨てないで』
……駄目。
リディア自身の抑え込んだ感情が――むき出しに――。
(――それは、駄目)
それはもう、過去のこと。もう――終わったのだ。
「マーレン。正気に戻りなさい」
リディアは、マーレンの額に自分の額を当てる。
キスができるくらい近い距離だが、彼の眉間は苦しげに顰められ、目はぎゅっと閉じられてリディアを見ない。
彼の銀の髪がリディアの額に触れる。
リディアは自分から魔力を引き出し、そして彼の魔力派と同調し、魔力を流し込む。
衝撃を与えるのではなく、彼の魔力の流れに自分の魔力を流し込むように。
穏やかで落ち着いた自分の感情を、彼の怒りにコーテイングするように。
それは、自分の感情を宥めるのと同じくらい大変で、けれどできると信じるしかない。
徐々に怒りが消えていく。
――やがて、吹き荒れていた暴風が収まる。
ふっとマーレンの身体から力が抜けて、リディアは彼を支える。
ズルリと崩れる身体、胸に頭を引き寄せて、ふうっとリディア自身も片手を地面につく。
宥めるように、その背をポンポンと叩く。
銀の髪に埋もれた、エルフ特有の長い耳がピクッと動く。合わせて耳飾りも揺れた。
「あ……」
(――起きた?)
彼がもぞり、と動く。
「マーレン? 大丈夫?」
「このまま…………押し倒してぇ」
顔がもぞもぞと胸に押し付けられる。そのまますりすりと顔が擦り付けられる、胸に。
リディアはその耳飾りをぐいーっと耳がちぎれるまで引っ張った。




