第58話 レオの決意
夕方と呼ぶにはまだ早い午後。
公園の広場から少し離れた、いつもレオとトレーニングをしていた場所。そこで俺は、今にも泣き出しそうな表情のレオと向き合っていた。
「朔、夜。ううぅ……。朔夜ぁ……」
「どうしたんだレオ!」
瞳に涙をいっぱい溜めるレオの両肩を掴み、少しだけ引き寄せる。久々に会うレオの様子に困惑してしまう。男の俺から見ても格好良かった、いつもの雰囲気はそこには無く、ただただ弱々しさだけが感じられた。
「ごめん、ごめん、朔夜ぁ……ボ、ボクはっ……う、くっ……」
とうとう泣き出してしまうレオ。
俺の前では涙を堪えていたのだろうが、それも限界を迎えたようだ。一度決壊したものは止まらない。ポロポロと地面に落ちる涙。その一滴一滴が渇いた地面を濡らす。
「大丈夫。大丈夫だから。ゆっくり落ち着いて。な?」
丸まったレオの背中を優しくさする。
「折角、君とした訓練も……うぅ……」
「レオ……ほら、ここに座って。落ち着くまで無理に喋らなくていいからさ」
隙を見てボックスから音も無く取り出した敷物を下に、無理矢理レオを座らせ、俺も隣に座る。
ゆっくり手を伸ばし、汗ばんで額に張り付く前髪を横へと撫でる。レオの場合は少し長いので、目に入らないようにだ。
それから、大きい弟を世話する気持ちで、背中をさすり続けた。
数分か数十分して落ち着いたレオが再び口を開こうとする。目は充血しているが、瞳の奥は強い意志の片鱗が見え隠れするほどに回復した。エミリーではなくこんな俺でも少しは彼を慰めるのに役立っているのだと実感でき、それが少しだけ嬉しかった。
少し間を置き、悲しさか悔しさなのか分からない唇の震えを止められないまま、レオは喋りだした。
「君と最後に会った後、ボクは兄に挑んだんだ……」
理由は分からないが、レオは何かと兄に勝てるかどうか気にしていた事を思い出す。確かその兄は騎士団の団長で、とても腕が立つ人物と言っていた。
「それは……何故兄と戦うことになったのか、聞いてもいいか?」
「あっ……それについて話していなかったね。ごめん。……半年くらい前、災厄の魔物の予言があっただろう。その時王城内でもある事件が起きていてね。それは、メイドの一人が帝国の間者の姿を目撃したというものだった」
「帝国……?」
「ああ。王国の隣に接するバルシュ帝国だ。その時は間者はおろか痕跡も見つからず、目立った事件も起きなかったのだけど、ボクはお祖父様に、危ないからと外に出ることを禁止されてね。エミリーやミアちゃんとも暫く会えなかった。数週間経ってようやく開放され、アルトナー家へ行くと、朔夜。君と出会ったんだ。王城に居る間は、調査が芳しくないという噂や、第二騎士団の敗走など話題に事欠かなかったのを覚えているよ」
そういえば初めてレオと会った時に、王城でのゴタゴタがあって会いに来られなかったとエミリーに謝罪していた記憶が蘇る。
「半年前、か」
アルトナー姉妹と出会い良好な関係を築き、それからレオに出会ったんだ。最初はなんて嫌な奴だと思ったっけ。主に整った顔への嫉妬だが。あとミアに馴れ馴れしくする姿やエミリーに抱きついていたのもだ。それから彼の為人を知っていくにつれ、次第に好感を抱いていったんだ。今となっては少し懐かしい。
「それからは不気味すぎるくらい何も起きなかったが……今から一ヶ月前に帝国からの使者が王城内に突如として現れ、宣戦布告をしたためた羊皮紙を突き付けて風の様に消え去った。つまり、これから帝国と……戦争が起きる」
「なんだって!」
「ボクは騎士として戦争に参加すると決めたのだが、それを兄は許さなかった。ただ、ただ一つ。ある条件を満たすことが出来れば参加を許すと兄は語った」
「じゃあそれが……」
「ああ。兄に実力を示し、納得させることだ。つまり、模擬戦で勝てばいい」
だからか。
そのためにレオは――――あれ、おかしい。帝国の使者が現れて宣戦布告をする、それより前から熱心に訓練をしていたはずだ。半年前には信憑性の薄い情報だけだったのに、早くから鍛えようと思い至った動機が分からない。
「その使者が宣戦布告する前からお前は俺とトレーニングしてたよな? 兄と戦うことを想定して。何故戦争が起こると知る前からそう見越していたんだ?」
「今は冷戦状態という事実を朔夜は知らないんだね。数年に一度、名目上は帝国との戦争をしているんだ。それも帝国と接しているオスヴァルト伯爵領の端で両軍が睨み合うだけの、名前だけの戦争を。ボクはそれにも参加したかったんだ。だから遅かれ早かれ、ボクを戦場に行かせたくないと考えている兄とはぶつかる運命だった。そして今年は本当の戦争だ。帝国は本気で侵略してくる。こっちは災厄の魔物に第二騎士団の大半がやられているというのに。いや、多分それを知ったからこそ攻めてくるのかもしれないな……」
冷戦状態なのは前に何処かで耳にしていたが、馴染みがなさすぎてさっぱり忘れていた。一応レオには旅人だと誤魔化しているから、俺が帝国との現状を知らずともこの世界の住人ではないと疑われないだろう。万が一でもその発想自体、思い浮かぶはずがない。まず異世界というものがあることを普通の人なら信じない。
それと、災厄の魔物のせいで王国軍の数が減ったのを好機と捉えて攻めてくるのか。俺がもっと早くに洞窟から飛び出せば、第二騎士団が無事だったのかもと考えてしまう。結局は後の祭りなのに。だが、その事象がいなければエミリーとミアとも出会う事はなく、今頃ここにはいなかったかもしれない。今の悪い状況で言うのもなんだが、彼女達との出会いは、俺に必要なことだったのだ。だから、悔やむのは見当違いというものだと自分を納得させる。
「で、でも、今年も睨み合うだけで、ぶつからないという可能性もあるかも?」
「……ない。帝国は本気だ。朔夜、強いキミでも不安に思うんだね」
レオは俺を買い被りすぎだ。
たまたまゲームと同じステータスを持っていただけの、元学生に過ぎない。もちろん戦争を止めることが出来る能力なんて無い。あるのは殺戮破壊に特化した最強装甲だけ。その装甲も魔物以外には使いたくない。
それに、正直人が殺し合うところなんて見たくないんだ。海外の映画やドラマなどのフィクションでは見慣れていたが、実際に巻き込まれるとなると恐怖でしかない。まして、自分の手で人なんか殺せる訳がない。兵として参戦など俺には無理だろう。でもレオは国のために自ら志願している。平和ボケした俺とは根本的に考えが違うと痛感させられた。
「……本当に戦争に行きたいのか、レオ?」
「ああ。ボクは守られてばかりじゃ嫌なんだ。変わりたいんだ。シュヴァルツ家、ひいてはこの国のために命を賭ける覚悟を決めた。二度と戦争を吹っ掛けようだなんて思わなくなるほど帝国軍を徹底的に叩き潰す必要がある。王国民をいつまでも不安にさせたくないんだ」
「そうか……強いな……」
さっきまで涙を流していたとは思えないレオの意志の強さに、俺は眩しさや羨望の念が湧き上がった。元から、転んでも起き上がる強さを持っている人なのだ。人々が争って流す血なんて見たくはない、そんな臆病な俺でも、微力ながら彼の力になりたいと。そう思った。
俺では戦争に参加は出来ない。だが、彼の兄と戦って認めさせ、レオが望むように背中を押すことくらいは出来るのではないか。
「その意志を、自身が果たすべきことを自覚しているんだなレオ。俺はそんなお前を尊敬するし、全力で支援したいと思った。兄と戦う条件を詳しく教えてくれないか。少しでもお前の力になりたいんだ。いや、ならせてくれ」
「朔夜……。あ、ありがとう」
そう呟いて俺へ一瞬視線を向けた後、体育座りになり、膝に額を押し付けるように顔を隠すレオ。
「いきなりどうした? 具合でも悪いのか?」
「い、いや! 何でも無い! き、気にしないでくれ」
そうは言うが、勢いよく顔を上げたレオの頬と両耳は赤くなっていて、熱でも出したのかと心配になるほどだ。
それからレオは数回深呼吸をした後に真剣な表情に変わった。
「朔夜。君との訓練のおかげでボクは強くなった。並の騎士では相手にならないほどだ。だから驕りもあったのだろう。一人で兄に挑んだ。でも実は以前兄は、ボクにこう言っていたんだ。背中を預けられる仲間を見つけ、共に俺にかかって来い、それくらいのハンデがないと俺に傷一つ付けられないと。兄は知っていたんだ。ボクには頼れる仲間なんていないということを。小さい頃は兄の後ろばかりついていって、引っ込み思案で、友達と呼べる存在もいなかった。大きくなっても貴族繋がりの知り合いくらいで、上辺だけの交友関係ばかりだったんだ。そんな、自分のことすらままならないボクが王国一武勇に優れた兄に勝つことなんて、最初から不可能だと踏んでいたんだ。でもボクは自分優位で、ただ認めて欲しかったから、無謀にも一人で挑んでしまった。兄の言葉すら受け入れたくない、駄々をこねる子供みたいに」
口を一の字に締め、力強い瞳で俺を見つめるレオ。
「兄に負け、君に相談することで理解できたよ。こんなボクでも、今は素敵な仲間と呼べる人達に巡り合う事ができたんだと。だから頼ろうと思う。朔夜。ボクと一緒に、兄へと挑んではくれないだろうか」
今まで見てきたどれとも違う、だが、より彼らしい表情のレオ。その真剣な雰囲気に、同性でありながらも、少し見惚れてしまった。
俺は今、彼に頼られて心の底から嬉しいと感じている。高貴で清廉潔白、誠実なレオにここまで口説かれているという事実に、心臓が高鳴ったのだ。
「俺で良ければ、いや、元々は俺から力になりたいと言ったはずだ。一緒に挑もうかレオ」
「ありがとう朔夜。君と出会えたこと、光栄に思う」
「それは、言い過ぎ……ちょっと照れる……」
「あはっは、あははははっ」
「おいレオ! ったく……あははっ」
暫くレオと笑いあった。
最初の思いつめて泣いていた彼の姿はどこにもない。
レオだけではない。今までの自信を無てなかった俺にも、彼の高貴な誇りと誰よりも熱い思いが伝播したのだ。そしてそれが、今後の俺の背中をも押してくれるだろう。そんな予感がした。
それから少しして、レオの兄へと挑む日付が決まった。明後日の午前だ。王城へ行き、レオと合流してから第一騎士団訓練場へ向かう。そこで二対一の勝負を行う。レオが言うには、兄はとてつもなく強いらしい。その底が見えない強さは、俺でも勝てるかどうかというレベルなのだと。この異常なまでにステータスの高い俺でも敵わない可能性に、不安と期待が生まれた。不安の方は言わずもがな、負けてしまってレオの想いに応えられないことへの恐怖だ。でもそれほどの人物なら、レオを守り、戦場でも勝利を掴めるだろうという期待も、同時に大きく膨らんだのだ。
打ち合わせが終わり、レオと別れた後。
俺はアルトナー家に戻り、二、三日留守にすることを告げた。理由を適当に誤魔化したことでミアには反対され、エミリーには心配されたが、無理を言って家を出た。
そして今、俺はダンジョンの一階層にいた。右手に手作りの木刀を携えて。




