第55話 ガブリエラ・フェルベルラ
小鳥のさえずりと窓から射し込む日差しで、私は夢から目が覚める。
「ふわあぁ〜、朝か……」
バルシュ帝国首都ガルヴィルス。堅固な城壁でぐるりと囲まれた城郭都市で、中心には大きな噴水のある広場と、初代皇帝ヴォルフガング・フェルベルラの像が建てられてあるのが印象的な都市だ。
そんな帝都ガルヴィルスの北西にある白亜の城の一室で私は起床する。
三階に位置し、城内の庭園を見渡すことが出来る部屋は広い。内装は至ってシンプルで、壁には生前の母の肖像画、それ以外は特に目立つものも無い。つい二、三年前は父である皇帝から贈られた高価な調度品などで溢れていたが、十歳の時に起こったある出来事をきっかけにそういった物は全て片付けたのだ。
寝ぼけ眼を擦り、天蓋付きの豪華なベッドからゆっくり降りて背伸びをすると、やさしくドアをノックする音が聞こえ、間を置かずに扉の向こうから女性の声が聞こえてきた。
「おはようございますガブリエラ皇女殿下。そろそろ起床の……」
「大丈夫、もう起きてるわ。おはようディアナ」
彼女が喋り終わる前にドアを開けると、メイド服姿の女性が驚いたように目を見開く。それから一秒も経たず気を取り直し、いつものような冷静な表情へと戻った。
「おはようございます。今日はお早いのですね。朝食のご用意が出来ております。お着替えはまだのようですが、手伝いましょうか?」
「いえ、それくらい一人で大丈夫よ。少ししたら着替えて向かうので、貴方は先に戻っててちょうだい」
分かりましたと一言発したのちに一礼をし、宴会を催すことも出来るであろう広さの食堂へと向かう女性。そんな彼女の背を見送ってから、自室の扉を閉めた。それから化粧台へと移動し、櫛で髪を整える。
ディアナ。私がこの国の皇女として生を受けて以来、気兼ねなく話せる唯一の同年代の存在であり、優秀な世話係で侍女である。生まれは貴族の三女で、私の幼馴染だ。今は昔と違って立場を弁え、メイドとして角の立たない振舞いをしている。二人でいる時はもう少し砕けた態度でも構わないと常日頃から言っているのに、どこで誰が見ているか分かりませんからと、譲ろうとしない。そのたびに、幼少期に無邪気に遊んでいた頃を思い出すのだ。
白いネグリジェからドレスへと着替える。それからしばらく髪を梳かしながら、だらしのない顔で鏡をぼーっと見つめていたが、自分の立場を思い出し、キリッとした表情へ。あの頃と違って今はこの国の第一皇女なのだ。
「それにしても……やっぱり今の私、可愛いわ」
まだ幼さを残す整った顔に、金髪碧眼に透き通るような白い肌。ややつり目がちだが、それは知的な印象を相手に抱かせ、童顔にアクセントを加えてより大人に見せるようなプラスに働いている。
鏡に向けて笑顔を作ってみせ、自己満足する。
「なんて、こんなことやっている場合じゃない。私には時間が無いから……」
皇族としての英才教育。帝国各領地、帝都学院から選りすぐられた家庭教師が待っているのだ。その授業内容も多岐に渡る。
「今日も頑張らないと」
ノブレスオブリージュを胸に、人の上に立つ身として恥じぬような振る舞いを意識して部屋から出たのだった。
午後。
昼食を終え、再び授業だというところで、侍女のディアナから声をかけられる。
「ガブリエラ皇女殿下」
「どうしたの?」
「カルニアーテ伯爵が謁見を申し出ておりまして……」
一瞬誰だか分からず困り顔を作るが、先日クリューデル将軍に紹介して貰った人物だと思い出す。
「ああ、いいわ。すぐにでも会えるかしら?」
「はい。応接間にてお待ちになられております。それと、ブロカ男爵と名乗る人物も一緒です」
「ブロカ男爵……どちら様? 会う前にどういった方か知りたいわね。ディアナ、貴方は何か知ってる?」
「使用人達の噂を耳にした程度ですが。ブロカ男爵は北外れの街の領主で、爵位は男爵です。領地経営は家令に任せっきりで帝都へと単身商売をしに来ているようです」
「流石、帝国内の情報は些細なことでも記憶しているディアナね。頼りになるわ」
そう言うと、少し誇らしげな表情を見せるディアナ。普段彼女と顔を合わせない人が見たら、いつもの冷たそうな表情との違いは分からなそうだが。
「ですが、その噂というのもあまり良いものではなく……北の貧しい地域から出てきたにもかかわらず、とても羽振りが良いとかで……なにやら裏であくどい事をしているとの声も聞こえております」
城内に仕える使用人の多くは中央、地方貴族の若い娘だ。そして、そこから入っていくる噂話というのは、普段外出を許されない私にとって貴重な情報源でもある。
「正直、そのような人物と面会なされるのは少々不安で……」
「そんなの今更よ。それにその方が……」
計画完了時に簡単に切り捨てられる。
心の中でそう呟いた。
それからディアナの案内のもと応接間へ。衛兵に扉を開けて貰うと、中では二人の男性がソファの前で直立していた。中へ入ると、私達の姿を確認してすぐ、頭を下げる。
カルニアーテは中年といって差し支えない年齢の男性で、隣の男はそれより少し若く見られた。カルニアーテは私の計画に必要な人物だ。だからできるだけ彼の要望には答え、彼もまた見返りを要求する。それに、計画が成功した暁には相応の地位を約束している。
「この度は急な謁見の申し出を快諾して下さり……」
「挨拶はよい、カルニアーテ。例の件だな」
「はっ。こちらはその件で必要なブロカ男爵でございます」
「ニ、ニルス・ブロカと申します。このような身分でありながら皇女殿下へお力添え出来ること、誠に光栄でございます!」
本来下級貴族である男爵という身分では目通りは許されないが、伯爵の紹介、それも帝国騎士将軍の口添えがある人物からの紹介だ。誰とて無下にはできない。それに水面下で動くことを良しとする私にはおあつらえ向きの人選だ。
ブロカ男爵。中央貴族であるカルニアーテ伯爵とどのような繋がりがあったのか。潜在的に良からぬ事で関係を持っているのかと考えた。だが、極論どちらでもいいのだ。全てを飲み込み、利用するだけなのだから。
手を前で組んで後ろで控えるディアナをチラリと見てから、目の前の二人へ微笑みかける。
「働きに期待するぞ、ブロカ。さて、邪教を信仰してしまった憐れなエーベルハルト王国民。そんな憐れな民を私達は改宗、改心させてあげなければ。それと鉱山などの資源の独占と、不法な帝国領土侵食。それについて意見を聞かせて貰おうか」
そう。これは戦争のための会談。大昔、エーベルハルト王国が帝国の領土だったなど、この時代に生きる私にはどうでもいい。たとえ大嘘だとしても。それと同じく宗教もだ。無神論者の私にとって教会など、目障りでしかない。必要なのは攻め入る口実なのだ。
数年前、いかなる犠牲も払う覚悟を決めた。
これは、私が皇帝へ即位するための第一歩だ。
あくまで冷静な表情のカルニアーテ。反対に、欲望を隠すこともせず、ニタリと下衆な笑みを浮かべるブロカ。男爵のままでは終わらない、そんな表情だ。
皇帝になった時に相応のポジションを約束しているカルニアーテは簡単に御することが出来るが、この野心が見え見えの小物はどう扱うのが正しいのか。それが悩みどころだ。
もしブロカが無能だと判明したら、殺す。ことが終わっても、口封じのために殺す。結局は利用するだけ利用してから捨てる。そんな存在に変わり無い。考えるだけ無駄なのだ。
会談を終え、応接間から出ると、目の前をある人物が通りかかった。その人物は私の前で立ち止まり、軽く頭を下げる。
ギルディス・シャロン宰相だ。髪をオールバックにし、一目で知恵者と分かる鋭い目をこちらに向けてくる。
「これはこれは皇女殿下。何やら遊びにかまけているようですが……あまり勉学を疎かにしてはいけませぬぞ」
「遊び……ではない。そう言う宰相も、せねばならぬことが多いのではなくて。ここで油を売っている暇があったら西の辺境伯と大公との小さな争いでも止めてきたらどうかしら。内紛にでもなったらどう対処するおつもりで?」
会う度に小言を言ってくる宰相。私が苦手な人物だ。そんな宰相に嫌味を返すと、小さく笑うのだ。まるで子供を小馬鹿にするような態度で。
それが私には気に食わない。私の計画全てを見透かしているような表情なのに、表向きには対立しない。だが、何を考えているのか分からない不気味な人物だ。彼の政治手腕はこの国にとって欠かせないが、同時に危険でもある。悪事の尻尾を見せたが最後、処刑台へ送ってやると心に決めている。
「それもそうですな。まぁ、あちらの喧嘩は今に始まった事ではありませぬが……。では、私めは皇帝陛下に呼ばれていますので。それでは」
反対方向へ歩き出す宰相を一睨みしてから、私も自室へと向かう。
「ほんともう、ムカつく……そう思わない? ディアナ」
「確かにガブリエラ様への態度は……いえ、失礼しました……」
「ふふ、ごめんね。意地悪だったわね」
貴族の出といっても、所詮侍女の身。政の中枢に身を置く宰相への陰口は憚れるのだろう。
「もう、ガブリエラ様ったら」
「ふふ、昔の口調に戻ってるわよ。ずっとそれでいいと言っているのに」
「コホン、失礼しました。ですが、今はもう昔とは違うのです。ご自身の身分も考えて下さい」
「はいはい。あれは……エドガー!」
自室の前で佇む鎧を着た青年の姿を発見し、ディアナを置いて駆け寄る。彼を見た瞬間、宰相と遭遇したことで生まれた苛ついた感情も何処かへ吹き飛んでしまった。
「ガブリエラ様! 訓練が終わり此方に寄ったところ、ガブリエラ様が留守だと分かったので、勝手ながら部屋の前で待たせていただきました」
「それはごめんねエドガー。ちょっと用事があって席を外していたの。もしこの後暇なら一緒にお茶しない?」
「いえ、私のような者が皇女殿下と同じ席へは……」
「毎回そう畏まっちゃって……いいからお茶するの! 私の近衛でしょ!」
強引に困り顔のエドガーの腕を取ろうと、近寄る。だが、腐っても軍人。素早い身のこなしで躱される。
そこへディアナが遅れてやってきた。
「ガブリエラ様、エドガーさんも困っています。それにこの後は歴史学の授業がございます」
「わ、私も訓練は終わりましたが、ダンジョンへと出向き、アレを引き連れて来ねばならないので……それと、ワイバーンの指揮も」
「そっか。アレはもう手中にあるんだものね。王国での騒動も成功と言っていいし。色々と動き出したわね……はぁ、しょうがない。今回は諦めるわ」
明らかにホッとした表情を浮かべるエドガーとディアナ。
「そういえば妹さんは元気なの? エドガー」
「はい、お陰様で兄妹二人元気に暮らしております。平民出の私達が人並みの生活を送れるのも、ガブリエラ皇女殿下のご厚意のため。妹も毎日ガブリエラ皇女殿下へ感謝の祈りを捧げております」
「ふふ、元気なら良かったわ。久しぶりに会いたいわね」
「はい、いずれ必ず。では私はこれで。失礼します」
「期待しているわエドガー。怪我をしないように気を付けてね」
頭を深く下げてからエドガーは去っていった。
「私も家庭教師を呼んでまいりますので、一旦失礼します」
「ええ。部屋で待っているわ」
ドアを開けて自室に入ると、そのまま窓へと移動し外を眺め、一人呟く。
「エドガーは忠義も厚いし強い。そして何より、イケメンだわ。私にはこの人しかいない」
エドガーは元々親を無くした孤児だった。幼い頃に街へ視察へと赴いた際、シングルマザーだった母親を病気で亡くしてすぐのエドガーを発見した。
妹を養うために盗みを働こうとしていたが、善良な彼は葛藤を抱え、躊躇していた。そこへ息が詰まって護衛から抜け出した私と偶然出会い、二人で色々な話をし、彼の近況を聞いたのだ。後日、私は居ても立ってもいられなくなって、周囲の反対を押し切って彼を近衛へ据えた。ほとんど初めてと言ってもいい私のわがままに父は折れたのだ。
そして現在。エドガーは私の期待に応えるように実力を伸ばし、次皇帝計画の要となって、日々尽力してくれている。私の特別な力で能力を開花させた彼は、王国への巨大魔物襲撃や災厄の魔物襲来にも一役買っている。
将来、帝国の皇女である私は、他国の王族か帝国内貴族に嫁ぐことが決められている。だから、この計画を是が非でも成功させねばならない。次代皇帝は腹違いの弟には渡さない。妹など持ってのほかだ。
「私は絶対になるのよ、女帝に。……そして、報われなかった前世の分まで幸せにね」
通学中に合った事故で亡くなった時のことを思い出し、自然と拳を強く握るのだった。




