第54話 ディアミア
風呂を済ませ、夕食を食べ終えた俺達は、リビングのソファに座って談笑していた――――のだが、話すのはもっぱら俺とミアだけで、エミリーはまるで熱に浮かされたような表情でまばらに相槌打っているだけだった。
カフェ以降この調子だ。一瞬何かの病気にかかったのかと心配したのだが、ぽけーとしているだけで反応はするし、遅れてだが返事も返す。推測だが、夢について質問して以降おかしくなったので、これはあれだ。超美形のレオとの新婚生活を想像しているのだ。脳内では子供を三人作って、思春期になるまで育てたところまでシュミレーションしている、みたいな。
時々ニヤッとした笑みを見せるエミリー。そんな幸せそうな表情を見せられる俺の気持ちにもなって欲しい。泣きたくなるというか、死にたくなる。他の男との幸せな家庭を想像しているのだろうと伝わるのだ。他の男と言っても相手は顔良し性格良しのレオだが、辛いものは辛いのだ。顔見知りな分余計に。
「サクヤー、お姉ちゃんおかしくなっちゃったし早く寝かせようよ」
ソファで俺の横に座るミアに袖を引っ張られ、意識が現実に戻される。
試験終わりのミアを拾って帰ってきた俺達。特に苦労したことも無かったらしいミアは、会場となった魔法学校から鼻歌を唄って出てきた。
「そうだな。あ、試験の内容ってどんなだったの?」
今更だが、エミリーからは大雑把な概要だけしか聞いていなかったので、ミアに聞くことにした。
「うーん、筆記試験とー、実技だね! 魔法学全般の知識のテストだったり、実技は魔法バーンって撃ったり! よゆーだった!」
笑顔でダブルピースするミアと、暖炉の火を眺め、ニヤリとするエミリー。そんなエミリーはというと、向かいのソファに一人で座っている。俺達の会話など、もはや耳に入っていない様子だ。
「そうかそうか。ミアは偉いなー頑張ったなー」
「えへへ……」
頭を撫でると喜ぶミア。猫のように目を細めている。
ミアの小さい両手で腕を掴まれ、ガジガジと噛まれながら後ろ脚で蹴られたいと思った。本物の猫のように。
「じゃあミアはお姉ちゃんを寝かせてくるね!」
ソファから勢いよく立ち上がり、エミリーの元まで移動するミア。
「行くよ! お姉ちゃん!」
「はい~」
エミリーはミアに手を引かれ、リビングからいなくなった。気の抜けた返事だけが室内にこだました。
しばらくして、ミアが戻ってくる。
「あははっ、お姉ちゃんをベッドに座らせたらね、一瞬で寝ちゃったの! あははは」
「そうか。エミリーも疲れてたんだなぁ。ミアも試験で疲れただろうし、もう寝るか」
ソファから立ち上がり、すぐ横の暖炉の火を消すためにしゃがむと、ミアが近づいてきた。そして、丁度火を消した後、俺の背中にピタリとミアの柔らかい身体が張り付く。
「サクヤ、試験前に『何でも言うことを聞く』って約束したよね。あれ、今使うね」
耳元で囁く声に、首筋がゾクリとした。
「今日はね、ミアと一緒に――――寝よ?」
「――――なッ!?」
俺は驚いて振り返る。
それに合わせたように背中から離れるミア。
「早く、サクヤ! ミアね、眠いの」
「いや、でも、一緒に……寝るのは、どうかと……ミアも女の子なんだし……」
「サクヤ、何でも言うことを聞いてくれるって言ったよね。お部屋に早く、行こ?」
「……ぅう」
確かに、そうは言ったが、ご褒美として何か高い商品でもねだられると思っていた。まさか、行動で示せとは……。男に二言はないとはいうが、誰が見ても美少女というそんなミアと同衾は……。エミリーにも悪いし……。
色々と悩んでいる間に、ミアに腕を取られて俺の部屋まで移動させられる。
だが、部屋へと入る前、俺はミアに声を掛ける。断るためだ。
「あのな、ミア。やっぱりこういうのはいけないと思うんだよ。だから、ご褒美二つにしていいから別々に……」
「サクヤ、ミアに嘘つくの?」
俺の右手をぎゅっと握り、潤んだ目で見つめるミア。
「いや、その……」
「ただね、ただ寝るだけなんだよ? それなのに嫌って言われるのはミア、悲しいな。もしかして、嫌いになっちゃったの? ミアのこと」
「いや! そんなことは断じて無いよ! うん! ミアすき!」
「じゃあオッケーだね! はやくこっち!」
ミアの素早い切り替えに驚く間もなく、強引に手を引かれ、ベッドの前に立たされる。さっきの悲しそうな顔は演技で、俺に大きな隙を作ったのだ。そして、笑顔のミアに両手で押され、ベッドに倒れ込むと、上から毛布を掛けられた。ミアもその毛布の中に潜り込む。
部屋の前にいたと思ったら、流れるように誘導されてもうベッドだ。ミアは意識の外から攻撃してくる特殊能力者なのか……。
もうしょうがない。ミア自身が望んでいるのだ。俺は、期待に応えるだけ。
そう、妹。
ミアは実妹。そう思い込むんだ。間違いもなにも、起こるはずが無い関係だ。いつもみたいにすればいいだけ。さっきから時折見せる艶やかな表情、仕草に、女を意識してはいけない。例えそれが、日本にいた時には絶対に関わることが無かったであろう可憐な美少女でも。
俺の気も知らず、右腕にぎゅっとしがみついてくるミア。昼間は暖かかったとはいえ、今は夜だ。冬場なので寒い。低い気温に、湯たんぽのようなミア。身体と心まで温まるようで、心地よい。
「えへへ。あったかい!」
ミアも同じように感じているみたいだ。それに、はじける笑顔が可愛い。右腕にスリスリと額を擦りつけてくるのもだ。
思わず頭へと手が伸びてしまう。
「はぁ……よしよし。試験、お疲れ様。ミア」
「えへへ、ありがと……サクヤ、ううん。……おにぃちゃん……」
「うっ……」
抱きついてくる攻撃と、耳元で囁く攻撃に、完全にノックアウトされてしまう。
もうどうにでもなってしまえ。
うだうだと悩んでいてもしょうがない。全てのしがらみを捨て、目の前のミアを喜ばせることに全力を尽くすのだ。
いっぱい、彼女が満足するまで甘やかせてあげよう。妹だから、女の子だからじゃない。甘えたくて、俺を頼りにしているただ一人の人間として見るんだ。それがミアの望みなんだから。
「ミアは……可愛いなぁ! ここもフニフニで柔らかい」
「もう、ふふ、くすぐったいよぉ、サクヤぁ」
お餅のように白く柔らかいミアの頬を優しくつまみ、撫でる。そんな行動も、ミアは笑顔で受け入れ、更に、撫でる俺の左手に自らの手を重ねる。そして、壊れ物でも扱うかのように、俺の手を擦る。ミアの手の小ささに、異常なまでの保護欲が掻き立てられた。
「ミ、ミア。お、お兄ちゃん、って呼ぶんだろ?」
お兄ちゃんと呼ばれるたびに、脳内モルヒネが分泌されるのか、背筋がゾクリとする快感が襲ってくる。普段の自分は恥ずかしくて絶対に言わないが、キャストオフした今の状態は無敵だから、何でも許される。今夜はミアだけじゃない。俺も自分に正直になるのだ。
「あっ、いつもどおりサクヤって呼んじゃった。ごめんね。今はミアの、『おにぃちゃん』だもんね」
「うッ!」
お兄ちゃんと耳元で囁くと同時に、より密着してくるミア。右腕にくっつくミアの上半身の形が手に取るように分かった。粘土さえあれば、99%で再現可能なレベルだ。
俺の二の腕には、エミリーと違って小ぶりだが、柔らかさの中に若干のかたさを感じさせる成長期真っ只中の胸と、薄っすらとした肋骨の感触。肘から前腕にはぷにぷにとしたお腹の感触、掌は女の子特有の柔らかさの内腿に挟まれている。
これは自分の物だと主張せんばかりに、俺の右腕はミアに占領されてしまっていた。
「ふふふ、おにぃちゃん。サクヤおにぃちゃん」
またもや耳元に顔を近づけ、囁くミア。そのたびに良い匂いがするのだ。一回目、二回目は我慢出来たが、もう限界だ。近づいてきたミアの後頭部を軽く押さえて、顔を寄せる。そして、ふわふわと外に跳ねる毛先をそっと撫で付けてから、髪に顔を埋めた。
「……スー」
ミアの頭頂部に鼻をあて、深呼吸する。
鼻孔をくすぐるのは、シャンプーとミア自身の匂いが混ざりあった香り。子猫のような優しい匂いに、身体に力が入らなくなった。極度のリラックス状態だ。俺にとってミアの香りは、天然のアロマリラクゼーションのようで、強制的な癒しを引き起こすとんでもないものだった。
「サ、サクヤおにぃちゃん!? くしゅぐったいよぉ……」
ついでと言わんばかりに後頭部へと手を伸ばす際、小さく柔らかいミアの耳たぶを触ると、この反応だ。
「ミア……可愛い」
「っもう……おにぃちゃん……ダメ、だよぉ。ミア、恥ずかしいのに、嬉しい……」
ミアの後頭部を押さえていた手を離すと、顔を上げ、潤んだ瞳を俺に向けてくる。白いほっぺたは真っ赤に染まり、元気溌剌とした普段のミアとは百八十度違う表情だ。あまり見たことがない照れたミアはまさに天恵、天が与えて下さった珠玉の美少女だった。
「おにぃちゃん……ミアからもお礼、しなくちゃね。いつもありがと……チュッ」
頬にミアの唇があたる、優しい感触がした。
「ありがとミア」
ミアの気持ちは充分伝わった……と、思う。一緒に住んでいるからとか、過去に偶然命を救ったからとか関係なく、何か特別な、家族に似た絆のようなものを感じた。
態度で俺を必要としてくれていると伝えてくれるミアと、いずれは帰還する方法を見つけ出し、元の世界に帰ると言えずにいる俺。漠然とこの世界の住人と深く関わってはいけないとする気持ちと、エミリー、ミアを始めとした面々への親しみの気持ち。そんな二律背反や矛盾を抱えて、いざ帰還となったら俺はどういった選択をするのか。
「いきなり黙ってどうしたの?」
「いや、何でもないよ」
結局、その時にならないと分からないと、答えを出すのは先送りにする。
それにしても、あの時と比べて動揺しない自分に吃驚する。あの時とは、図書館からの帰り道だが、ミアはイタズラをするようにキスをしてきた。多分今の俺は、甘えてスキンシップしてくるミアのどんな行動にも覚悟を決めていたと思われる。だから器の広い大人、もといお兄ちゃんを演じられているのだ。それに、この雰囲気にのまれているというのもある。
「おにぃちゃん、もっと……撫でて?」
「ああ」
少しの時間うわの空だった俺を現実に引き戻し、安心する表情を見せるミア。ニ、三回服の袖を引っ張り、より一層甘えてくる。
形の良い頭を撫でると、目を細め、笑顔になるミア。
「そして、もっと、もーっと褒めて!」
「分かった。ミア、可愛いくて優しいお姫様」
「……うへへ、おにぃちゃん、大好きぃ……」
そう小さく呟いた後、安心しきった表情になり、寝息を立てはじめるミア。
右腕に触れたミアの胸から伝わる、早く高鳴る鼓動は鳴りを潜め、一定のリズムに戻った。
ミアが顔を赤らめる度、右腕に伝わる心臓の鼓動で本心から照れているのかどうかが分かってしまっていたことは伏せておこう。
だって、可愛い女の子に甘えられる俺の心臓も大変なことになっていたのだから、そこを突かれたくない。
「これくらいなら、いいよね」
安心しきった表情で眠るミアの前髪をそっと上げて、おでこにキスをした。これは親愛の証だ。 ……いや、自己満足だ。内から溢れ出す名状しがたい、幸福で嬉しい気持ちを、止められなかった。
それからしばらくミアの顔を眺めながら頭を撫でて、俺は眠りについた。
――――そして翌朝。二人で寝ているところを正気を取り戻したエミリーに見つかり、滅茶苦茶怒られた。




