第35話 再びダンジョンへ
「今日のは何だったんだ……」
夜、アルトナー家の自室のベッドに寝転んでいる。
エミリーが帰ってきてから晩ごはんを食べ、風呂に入った俺は夕方のことを思い出す。
「お兄ちゃんか。初めて言われたけど……凄いな」
ミアを背負っている時に言われた言葉だ。俺自身、年の離れた優秀な兄はいたが、女兄妹、ましてや妹などいなかった。
もちろんこれまでの人生でお兄ちゃんなどと呼ばれたことはなく、今日のミアに言われたのが初めてだった。正直舐めていた。たかが名称一つで浮かれる奴は馬鹿とさえ思っていた。
「へへ、馬鹿でもクソでもいいや」
考えは変化するものだ。
ミアにお兄ちゃんと呼ばれるためなら俺はどんな罵倒でも受け入れよう。
「もうミア……可愛いすぎでしょっ!」
枕に顔を埋めて足をバタつかせる。頬にキスをされたのなんて初めてだ。唇の柔らかさがまだ脳内を支配している。
「くっ、ダンジョン探索のこと考えないと駄目なのにっ」
ミアの甘えた声で『お兄ちゃん』や、頬に感じた柔らかさが頭の中をぐるぐる廻る。
懸命にそれを抑えて思考を無理矢理切り替える。
頬にキスはフランスの挨拶でもあった。そうだ。あれは親しい人への挨拶で、ミアなりの親愛の証なのだ。特別な、深い意味なんて無い。
そんな理論でオーバーフローした思考を落ち着かせた。
しばらくしてから明日のダンジョン探索のため、眠りにつくことにした。だが一つ、ふと思い出したことがある。
夕食の後、エミリーと軽くダンジョンのことで会議をした時のことだ。
ダンジョン探索は通常、かなり時間をかけて行うものらしい。一週間から、長ければ一ヶ月こもりきりというのも珍しくない。
エミリーは過去、プテロスティリスと一緒に二週間ほど潜っていたこともあるとか。その時はミアの面倒をシスターが見ていた。だがシスターが鬼籍に入り、問題が浮上してきた。ミア自身は大丈夫と言っているが、長く家を空けることは不安だ。魔法の才能が飛び抜けていて、多数の攻撃魔法を行使可能なミアもまだ子供なのだ。
一週間は一人で平気だとミア本人やエミリーも言ってたが、俺は不安だ。でも一日で進めるダンジョンの階層なんてたいしたことはないだろうし、夕方に帰ってくるというのもまた出来ない。
「んー、どうしようか。何か護身になる……あっ!」
その時、名案が思いついた。ミアにはアレを預けていけばいい。
俺は早速マイルームに入って、ショップからあるものを購入したのだ。
「おはよう」
朝ダイニングルームに入ると、朝食を作っている途中のエミリーがいた。ミアはまだ寝ているようだ。
「おはようございます。朔夜さん」
一番早くに起きて家事をするエミリー。毎日毎日本当に頑張っていて凄い。俺なんかご飯を与えて貰っているうえにこの家に住まわせて頂いているニートだ。情けなくなる。
「出来ました。昨日の残りを温め直したものですけど」
エミリーは野菜炒めとスープとパンをテーブルに並べる。
「いや、用意してもらってるだけで充分です。いつもありがとうエミリー」
日々の感謝を伝えておく。ダンジョンで偶然出会っただけの他人なのにここまでしてくれるのだ。些細なことでも恩だけは忘れちゃいけない。
たまたま持っていたこの力は、あの時彼女達を救うために備わったのかもしれないと、そう思った。
エミリーは『いえいえ』と返事の後に微笑み返し、自分の席へ座った。
「おはよー、ごはんー」
洗面所で顔を洗ったのか、少し前髪が濡れたミアがダイニングにやってくる。相変わらず眠たそうに目を擦っているが、いつもはエミリーに指摘さてれてから顔を洗いに行くのに珍しい。
「おはようミア。もう顔洗ってきたんだ」
エミリーは少し驚いているようだ。
俺は昨日のことがあって少し恥ずかしいが、おくびにも出さず普段通りに接することにした。
「おはようミア。えらいぞ」
「おはようお姉ちゃん、サクヤ。これくらいフツーだよ」
当たり前だよという顔をするミア。そっぽを向いた猫のようで可愛い。
それにしても何か心境の変化でもあったのだろうか。もしや昨日の……それはないか。
「そう、じゃあ食べましょうか。はい、ミアも座ってね。いただきます」
「「いただきます」」
エミリーの挨拶で食事を開始する。
隣に座るミア。この時何故か俺は、ミアにちょっとした違和感を感じた。
「おいひー。これミア好き」
実は昨日、エミリーが作る野菜炒めにあるものを入れたのだ。それはマイルームのキッチンから取り出した調味料で、香味ソースという。香味ソースは万能でチャーハンなどの中華料理や、野菜炒めに入れることでとても美味しいものが手軽に作れるのだ。
それが二人の舌に合ったらしく、昨日エミリーとミアはしきりに褒めていた。
自分の分を食べていたミアは、なぜか俺の皿を覗き込む。
「サクヤのお肉多くない?」
「そうかな」
「絶対そうだよ! あーん」
口を開けるミア。
その姿は餌をねだる雛鳥のようで愛らしく、保護欲を掻き立てられた。俺は肉と少しの野菜をミアの口まで運ぶ。
「はい、ミア。美味しい?」
「うん! 美味ひー!」
女の子にあーんをしたのは初めてだ。
高校一年の昼休み、サッカー部のイケメンが教室で同じ様なことをしていた時は殺意しか湧かなかったが、いざ自分で体験してみると最高だと思った。あの時は脳内で三回も殺してごめんとサッカー部のイケメンに謝る。
「お礼にサクヤ、あーん」
ミアからもお返しをしてくれる。野菜しか乗ってないが、それでもありがたい。もし百キロの金塊か、ミアのあーんの二者択一を迫られたら、俺は迷いなくミアのあーんを選ぶだろう。それくらい逃したくはないイベントだ。
「あーん……うん、最高に美味しい」
ミアのそれを受け入れる俺。年下の女の子からというのもあってかなり気恥ずかしかったが、それは言葉では言い表せられない程の極上な味だった。
「あのう、距離近くないですか」
咀嚼中の俺はエミリーの言葉で我に帰る。
そうだ。ミアが隣に座った時に感じた違和感の正体はこれだ。物理的に椅子の距離が近いのだ。
だが、エミリーは全部ひっくるめての距離感の事を言っているのだろう。
「そーかな。フツーじゃない。ね、サクヤ」
「う、うん。あははは……」
ミアは笑顔で同意を求めてきたため、俺も頷く。
エミリー、これは違うんだ。まず貴方の妹さんが可愛いのがいけない。俺はただ断れないだけだ。それに距離が近いということは仲が良いということだ。うん、仲が良いのはとても良いことなんだ。それにこれはただのスキンシップだし問題はない。
「はぁ、そうですか」
釈然としない表情のエミリーは、そのまま食事を再開するのだった。
「お姉ちゃん、サクヤ、行ってらしゃい!」
ソファで本を読んでいたミアは声をかけてくる。
朝食を食べ終えてからダンジョンへ向けての準備をした俺とエミリーは装備を整え、リビングに集合していた。
「そうだミア。はいこれ」
話し合った結果、俺とエミリーは三日間ダンジョンを探索することにした。その間ミアは一人でお留守番だ。俺は少し心配でショップからあるものを買っていた。
「不審者がいたらこれを相手の胴体に向けて投げるんだ。胴は一番面積が広いから当てやすい。それからこれが回復薬。誤って毒が手についたら飲むんだぞ」
毒が塗ってある投げナイフを百本と解毒薬五十本、ポーションを五十本をボックスから出現させ、リビングに並べた。
「あの、朔夜さんこれは……」
「サクヤ心配しすぎ! こんなにいらないよ!」
ミアを一人にする心配からの行動は、ただ姉妹をドン引きさせただけで、毒が塗られた投げナイフはボックスに仕舞われることに決定した。
俺がナイフを仕舞っていると、玄関からノックが聞こえた。
「私、見てきますね」
エミリーは玄関へと向かう。
それから少ししてエミリーと共にあの男がリビングにやってきた。
「やぁ、元気そうで良かったよ」
レオだ。相変わらず爽やかで格好いい。
「レオくん!」
ミアはレオに向けて走って抱きつく。俺のミアに……と、良くない感情が生まれてきたが、流石に見苦しいので押し殺す。
こいつはただ遊びに来ただけのようだが、丁度いい。ミアのために毎日アルトナー家に顔を出してもらおう。
だがその前に、巨大な魔物を討伐した時戦場にいなかった理由を聞こう。
「おう、レオじゃないか。巨大な魔物と戦った時なんだけど、城門前でお前いなかった気がするんだがどこにいたんだ?」
レオは目を伏せ、悔しそうな顔をした。
なんだか嫌味っぽい言い方になってしまった。ただ純粋にどこにいたのか聞きたかっただけなのに。反省だ。
「君は討伐に参加したんだね。ボクは家から出してもらえなかったんだ……」
やばい。地雷を踏んでしまったかもしれない。一気に元気が無くなった。レオは貴族かそれに連なる格式高い家の跡取りで、大切にされている……などだろうか。
気まずい雰囲気というのはどうも苦手だ。話題を変えよう。
「そ、そうか。分かった。それより、これから俺とエミリーはダンジョン探索で家を三日間空けるから、ミアのために毎日顔を出して欲しいんだけどいいかな?」
「ボクは大丈夫。引き受けるよ。ミアちゃんのためだしね。だけどエミリーと君が三日も? そっちの方が心配なんだけどな……」
俺を睨むレオ。さっきまでの悲壮な雰囲気はどこに行ったんだ。
「レオくん、大丈夫ですよ。朔夜さんはお強いですし、私も意外と実力はあります」
自信満々なエミリー。
違うんだ。レオはダンジョン探索についてではなく、俺がエミリーを襲わないかを危惧しているんだ。
「はぁ、そうかエミリー。頑張って。朔夜も、エミリーを よ ろ し く ね」
語尾が強い。それに目が見開かれて怖い。
だがそんな表情をしていても顔は整っていて綺麗だった。
俺とエミリーは、笑顔のミアと目が笑っていないがにこやかなレオに見送られてダンジョンへと向かったのだった。




