第3話 エミリー・アルトナー
神様、どうか、どうかお願いします。間に合って。
私はダンジョンに向かってひた走る。
「私がっ! 私がちゃんとしていなかったからっ!」
それは、雲ひとつない晴れた空とは対照的な、暗い雰囲気の王都での出来事だった。
――数時間前――
王都、中流階級住宅地。
早朝。妹が起きてくる音が聞こえ、朝食の準備を終える。
「ん〜、おはようお姉ちゃん」
「おはようミア。ご飯出来てるからね」
私は朝食の席に座る妹に、パンと根菜のスープを差し出した。
「ありがと。いただきます」
寝ぼけまなこを擦りながら、ゆっくりとパンを口に運ぶ妹をじっと見る。
「また昨日遅くまで何かやってたんでしょ? 最近ずっとじゃない」
「ん、もぐもぐ、うん。まぁ色々ね〜」
「もう。いつからお姉ちゃんに隠し事するようになったのかなぁ。そんなミアにはこうしちゃう!」
私は、口いっぱいに食べ物を詰め込んで膨らんでいるミアの右頬を人差し指で軽くつついた。
「はいっ、ぷす〜」
「お姉ちゃん。お食事中はちゃんとしなきゃダメだよ」
ジト目で正論を言う妹。確かに行儀が悪かったかもしれない。だけど可愛い妹の頬は柔らかくて触りたくなってしまうのだ。
「でも私は謝らない♪ いただきます」
パンを食べてスープを流し込む。今日は用事があるから食事は早く済ませないとだ。
私とは対照的にゆっくり食べる妹を尻目に素早く食事を終わらせた。
「じゃあ、私は冒険者ギルドの方に行ってくるから。もし外に出るんだったら戸締りキチンとね」
「わかった、鍵ちゃんとするね! お姉ちゃんもしっかりね! あと、ミア今日頑張るからっ」
寝起きで眠そうだったミアも朝食を食べて元気になったみたいだ。いつも通り王立図書館に行くか家で勉強をすると思っていたが、今日のミアは何か別の用事があるようだ。
「何をするのか分からないけど、ほどほどにね」
「うんっ! じゃあいってらっしゃい!」
私は行ってきますと返事をしてから家を出た。今日は大事な会議があるのだ。急がないと。
家から二十分ほど歩いて冒険者ギルドに到着する。中に入ると、顔馴染みの冒険者が大勢いた。すれ違う人々に挨拶をしながら真っ直ぐに進み、受付の女性に話しかける。
「おはようございますイザベラさん」
「あら、おはようございますエミリーさん。皆さんお集まりになっておりますので奥の会議室にどうぞ」
そう言って立ち上がり、案内してくれるイザベラさん。年齢は三十歳くらいで物腰が柔らかく、笑顔が素敵な大人の女性だ。何事にも動じない不動の心を持っており、気性が荒い冒険者達への対応は目を見張るものがある。
会議室の前に着くと、イザベラさんは頑張ってねと笑顔で言い残し受付へ戻っていった。
私は少し呼吸を整えてから、扉をノックし中に入る。
「失礼します。遅くなったみたいですみません」
「いや、今しがた揃ったとこだよ。席に着きな」
会議室の中央には大きめの円卓に椅子が十席ほど用意されていて、その内六席に人が座っている。それぞれ高ランクパーティーのリーダーだ。
私はドアに近い空いている席に座り、窓に近い奥の椅子に座るギルド長を見る。ギルド長は、会議室に入った時に一番最初に声を掛けてきた人だ。還暦を過ぎているとは思わせない若々しい女性で、昔はとんでもなく強かったらしいと風の噂で聞いたことがある。
「さて、今日集まるのが最後だ。本番は明日だ。皆、気を引き締めてくれ」
ギルド長が話を切り出すと、雑談していたリーダー達も話を止め真剣な表情に変わる。
「先日、我が国が誇る王国第ニ騎士団が敗れたのは記憶に新しいな。あの戦争で負け無しと言われていた第二騎士団を持ってしても勝てないそんな化物を明日、我々冒険者の手で葬る」
ギルド長は拳を固く握りしめ、
「あの化物はあと数日で地上へ到達する。第一騎士団が我々の後ろに控えているとはいえ、最悪の場合王都は壊滅し、大勢の犠牲が出るだろう。だからそうならないよう我々であの化物を倒す。時間が無い中で皆良く準備をしてきた。王都屈指の高ランクパーティーが集まって立てた作戦だ。きっと上手く行く。明日必ず勝利し、冒険者は伊達じゃないってところを民草に、いや、この国に見せてやろうじゃないか」
ギルド長は高らかにそう宣言した。私達は負けない。勝つのだと。あの『災厄の魔物』に。
「だから今日だけはゆっくり家族や友人と過ごしてくれ。もちろん、明日の準備し終わってからだよ」
ニヒルに笑うギルド長は明日死地に赴くとは全く感じさせない。そんな姿がとても頼もしく感じられた。
それからニ時間ほどで会議は終了した。リーダーたちは自分が所属するパーティーと最終打ち合わせのために足早に帰っていった。最後に席を立とうとする私にギルド長が声を掛けてくる。
「本当すまないね。こんな大役任せちまって」
「いえいえ、私が好きでしてるんです。第二騎士団の治療などで元々数が少ないヒーラーはどこも手が足りてませんから。あとやっぱり妹のことも守りたいし、王都がめちゃくちゃにされるとか考えたくないじゃないですか」
私は今の思いを嘘偽りなく答える。言葉は厳しいけれど、根は優しいこの人には正直になんでも話せてしまう。
「良い子だよアンタは。だから余計に……」
私の肩に手を置き、悲観するような目を向けるギルド長。
「何を言ってるんですか。私達は勝ちます。必ず生きて帰ります。災厄の魔物だろうが何だろうが私達冒険者が集まれば勝てないものなんて無いです」
ギルド長は少し呆けた顔をした後、大声で笑いだした。
「アハハハ。確かにそうだね。ギルドん中でも最高ランクの連中が集まってんだ。勝てないものなんか無いし、出来ないことも無いさ」
それからふと優しい顔になり、
「準備はもう万端なんだろ。明日のために今日はもう帰りな。妹さんが待ってんだから」
「はいっ! ではっ」
少し悲しそうな笑顔で手を振るギルド長に軽くお辞儀をしてから、私は会議室を後にした。