第25話 朔夜、久しぶりにあれを見る
「おーい! 今すぐ逃げな! でっかい魔物が王都に向かってきてるよ!!」
今の声は、隣に住んでいる確か……ブリブッリさんのだ。いや、そんな汚い名前じゃない。ブリギッリ……思い出した、ブリギッテだ。中年の婦人で、女手一つで子供を育てている恰幅が良い女性だ。
俺も数回だが挨拶や世間話をしたことがある。最初はアルトナー家に出入りする怪しい男だと思われていて、態度も宜しくなかった。
だが、それを見かねたエミリーが色々と説明をしてくれたみたいで、今は良好な関係を築けている……と、思いたい。最初と比べて笑顔で接してくれるし、見当違いではないだろう。エミリーは俺のことを、『苦労している旅人』をベースに色々な脚色をして誤魔化したと言っていた。正直どんな事を話したのか気になる。
ブリギッテはドアを叩いて知らせた後、そのままいなくなったようで、玄関からはもう何も聞こえない。
「でかい魔物が向かってきているだと!」
立ち上がるレオ。動揺しているのが見て取れる。
「なあレオ、王都に魔物ってのは……普通出ないよな」
「何当たり前のことをっ」
エミリーから聞いた話では、ダンジョンから地上に出てくる魔物がいないというのがこの世界の常識だ。ただ、災厄の魔物は例外中の例外とのことらしかった。
王都に魔物が出現しないという事は、今まで城壁を突破した魔物すらいなかったということだ。他国との戦争に備えるための城壁。巨大な魔物相手にどれくらいもつのだろう。
「ボクは騎士団と合流のため、王城へ向かう。朔夜、君は絶対に二人を守れよ! いいな!」
レオはそう言い残してアルトナー家を出て行ってしまった。
外は相変わらず騒がしいが、パニックで逃げ惑うまでは至っていない。魔物はまだ王都を囲う城壁から離れているとみていいだろう。
あるいは正常性バイアスのどちらかだが。
「レオくん行っちゃった」
「そうだな……エミリーとミアはこのまま避難してくれ。俺は冒険者ギルドで状況を確認してこようと思う」
レオから二人のことを頼まれたが、もし騎士団でも対処出来ない魔物だったら、俺が倒さないといけないのではと考えてしまう。それに彼女達の側で守るより、直接の原因を叩いた方が的確だというものだ。
「いえ、私は逃げるわけにはいけません。冒険者、いや、この国の民として立ち向かいたいと思っています。ですから私も朔夜さんに着いていきます」
いつになく真剣な表情のエミリー。彼女は先日、王都のために災厄の魔物に挑もうとしていた。この国と街をとても愛しているのだ。
魔物が王都を脅かすとなると、冒険者として自分に出来ることを全うしようとする。
そんな彼女の言葉の重み、覚悟を決めた瞳に、俺の喉からは空気だけが漏れる。反対しようにも言葉が出てこなかった。
「ミアも着いて行くから!」
ミアもいつもの天真爛漫な雰囲気ではく、王都を守ろうと決意した目をしている。
まったく、姉と似過ぎだ。
「ああもう分かったよ。三人で行くか!」
下手に離れるより、近くにいてくれた方が俺の精神的に良いのかもしれない。それに王都を守ろうとする彼女達は少し頼りに見えてなんだか嬉しくなる。俺自身、エーベルハルトの国民としての意識でも芽生えたのだろうか。
所詮、俺は勝手に守ってやると押し付けていただけなのかもしれないな。
よし。心の準備は出来た。
必要なものは無限収納ボックスからいつでも取り出せる。
「ふふ、朔夜さん、笑っていませんか?」
こんな時に何をふざけて……と思ったが、悪いのは俺か。つい表情に出てしまった。普段とは違う彼女達のキリッとした顔が、俺のやる気を燃え上がらせるのだ。
そう言うエミリーこそ、口角が上がっていて余裕たっぷりに見える。
「お姉ちゃんも笑ってるじゃん! 真面目にやんないとだよ!」
眉の中心にシワが寄るミア。
真剣な表情をしているのはミアだけのようだ。
エミリーとミアが装備をつけるまで十分程待ち、一緒に家を出る。
家の側の通りはさっきより道を行き交う人が増え、慌ただしい喧騒に包まれていた。
王都の治安を守る騎士団が誘導を行うまで時間がかかりそうだ。早く現状を確認して騎士を配置して欲しい。
「では行きましょう!」
珍しく先陣を切るエミリー。白い装備で大きな杖を手にしている。
そんな彼女は、意気揚々と教会がある方向へと走りだす。
「お姉ちゃん! そっちは反対! ギルドはこっち!」
初めて会った時と同じ、大きなローブにショートパンツとニーソックスという動きやすい格好をしているミアは、エミリーに向かって叫ぶ。するとエミリーは苦笑いで方向転換をし、戻ってきた。
「ごめんねミア、こっちだったね」
恥ずかしそうに走ってくるエミリー。久しぶりに彼女の天然っぷりを見ることが出来て少し嬉しい。最近はずっと頼りになるお姉さんをしていたからな。
「あはは。じゃあ改めて、ギルドに向かうか!」
エミリーは俺に台詞を取られ、若干落ち込んだ様子で後ろを走るのだった。
ギルドは多くの冒険者でごった返していた。皆、魔物の襲撃にも怯えずに王都を守ろうとしている勇敢な人達だ。冒険者はこういった時に自己の利益にならないなどと言って逃げるイメージがあったが、勘違いだったようだ。
よく考えてみると、エミリーを間近で見ていれば分かることだった。どれだけこの王都を愛しているのかなんて。
そして今目の前にいる他の冒険者も、皆同じ気持ちなんだ。
「と、とりあえず、事情を知っていそうな人はっ……イザベラさんですかね、今どこにっ……」
エミリーは受付に視線を向けて、人を探す。
イザベラとは、エミリーが贔屓にしている受付嬢だ。俺は挨拶をしたくらいで、エミリーをおちょくるアラサーの人というイメージしかない。
「あっエミリーさん、いらっしゃっていたのですね」
入口から少し歩いたところで立ち止まっていると、丁度イザベラが早歩きで通りかかる。初めて見た時のような落ち着いた雰囲気は無く、表情からは焦りが見て取れる。
そして、複数の魔物の資料と思われる紙の束を抱えていた。
「イザベラさん! 王都に魔物が向かって来ているというのは本当ですか?」
ここに向かう途中ですれ違った余裕のない人々や、ギルドの空気にあてられたのか、若干焦燥するエミリー。
そんな彼女を見ていると、焦る空気が俺にまで伝染してきそうだ。
しっかりしろと、自分自身に言い聞かせる。
「ええそうよ。報告によると、かなり大きな魔物だと。……しかも硬い甲殻に覆われているらしいの」
状況が芳しくないのか、苦い顔のイザベラ。
「その魔物は一匹だけですか? あと、大きさをもっと詳しく教えて貰えませんか」
俺はイザベラに気になったところを質問する。ある程度硬い甲殻といっても、童子切を力任せに叩きつければ切れるだろう。問題は大きさだ。刃渡り八十センチの童子切で両断出来るくらいの厚さならいいんだが。
今回、装甲は使えない。あれがバレてしまうと困るからだ。それに見た目が完全に化物で、言葉も喋れず、ただ低い唸り声を上げる黒ずくめの装甲は魔物として扱われ、討伐対象になりかねない。
守ろうとしたエーベルハルト王国の騎士団や、冒険者に後ろから刺されるのだけは御免こうむりたい。
「魔物は一匹だけのようです。西門で検問に並んでいた旅人の証言では、一軒家くらいの大きさだ、と」
家くらいの大きさで硬い魔物か。俺が接近して刀で斬りつけるのも倒すまでに時間がかかりすぎる。それに悪目立ちするだろう。
一体、どうしたものか……。
「忙しいところ、ありがとうございました」
「いえ、では私はこれで」
早足で去っていくイザベラは、ギルドの奥に消えていった。
「もっと詳しい情報が知りたいですね朔夜さん」
「そうだな」
でもイザベラ以外に顔見知りはいない俺。それにイザベラはギルドの人間だ。彼女以上に情報を持っていそうなのは……ギルドの上層部か高ランクのパーティーくらいか。
「どーする? お姉ちゃん、サクヤ?」
「うーん……」
だが、ギルド長の顔すら知らない俺は、誰が上層部の人かなど分かるはずもない。高ランクパーティーも同様で有名どころの名前すら知らない。
それ以外となると……駄目だ。思いつかない。しかも、こういう時に限って何故か嫌いなオバサン受付嬢の顔が浮かんでくる。いつか雑草で往復ビンタをかましたい。
「丁度いいところにエミリー発見!」
俺達が悩んでいると、突然背後から知らない女性の声がした。




