VRと耽溺
暇だ。
一部の金持ちは仕事をAIに任せてやることがない。
資金運用は簡単だ。ある会社を買い、価値が上がったら売る。株式投資や外貨、先物、国債と同じ。ならAIに任せてしまったほうがミスがない。
自分の取り分は毎月いくらと決めて、生活分、娯楽費、貯蓄分と余剰の投資資金に切り分ける。余剰で回すから残りの人生を数百回分は確保した上でさらに金を回す。
本当の金持ちはリアルライフを充実させたり、高級オートを乗り回したり、どこぞの島を買って年に数日のバカンスのためだけに維持してみたり。
これで社会を回してるってわけだ。
だがそこまでの金持ちじゃない小金持ちはどうするか。
残りの人生数回分の資産を子供達に分け与える予定なら、そこまで無駄遣いはできない。リアルを充実させる余裕がないからVRで済ませる。
本を読み、動画を観て。旅行をして運動をして。今までやったことのないことややれないことを体験するのが娯楽だ。だが金はあっても人生の残高たる時間は簡単に目減りする。
だからオルタナライフ。呼び方はブレインダンスでも疑験でもいいが、まあただの商標だ。VRで創られた世界で目新しいことを体験する。どこそこに行って泳ぐ、レースに出る、のんびり景色を眺める、買い物をする。それらをオルタナライフの中で済ませてしまう。移動や準備の時間をゼロに。やりたいときにやりたいことを。
20世紀末に同じようなコンセプトのサービスがあったようだが、いかんせん技術が追いついていなかった。ポリゴンのアバターで他人とコミュニケーション。せいぜいが視覚と聴覚だけのインターフェイス。これならゲームをSNS代わりに友達とチャットして暇を潰すのと変わりない。
マンマシーンインターフェイスは今世紀に入ってずいぶんと発展した。アバターを動かすためにキーボードやジョイパッドに触れる必要はない。自分の身体を動かすようにアバターボディを動かせばいい。自分の身体を動かす必要すらない。末端に行くデータに割り込んで奪い、身体を動かす代わりにアバターを動かす。
身体を義体に置き換えて生活するのと同じ。それが存在するのが現実か仮想現実かの違いだけだ。
元の軍事技術や大学の研究と娯楽のためのVRが混ざって成長し、枝分かれしたのち。淘汰を乗り越えて進化したオルタナ技術。フルダイブ式はいまだ高価だが簡易版ならだれでも、IDレスでさえなければなにかしら使っている。
やれ性風俗だ、オンライン会議だ。元の軍事に出戻って遠隔義体として兵力などにも使われている。
ありきたりだが有用だ。距離を無視できる。相手を問わずリアルななにかができる。逆にリアルさを消すのも自由。前者はセックスで、後者は遠隔兵。エロスとタナトス。
不可能を可能にする。自分の身体じゃできないこともできる。身体を操作する器用ささえあれば生身のオリンピック選手相手に100m走で勝利するのも夢じゃない。その手の「操作のプロ」がプロゲーマーとして広告塔になるご時世。
オリンピックとパラリンピックがオリンピックの生身部門と拡張部門と名前が変わったのもけっこう昔だ。21世紀の初めにはパラリンピックの記録がオリンピック記録より上になっちまった。技術の向上をドーピングにするかどうか激しい議論があったとかなんとか。
そもそも人の形をしていなくても構わない。運転専門のリガーやドローンドライバーがハンドルを握って操作する義体の代わりに車載コンピュータに直結して、それこそクルマ自体を自分の身体として走り回るわけだ。
やれるならやるのが人間と技術の歴史だ。核爆弾だってやれるから作った。抑止力? 最終兵器? そんなものは20世紀半ば、核兵器が生まれる前に語られている。怖くて作れなかったなんて話は聞かない。ご冗談でしょうファインマンさん、それともオッペンハイマーさん?




