転居
電子レンジは欠かせない。
新居に入って最初に買ったのが電子レンジだ。複雑なモードなんかない、スタートボタンと時間設定のダイヤルだけのシンプルなやつ。安い中華製品がいい。見た目もシンプルだ。50ニューイェンも出せば新品が買える。
そしてドリルドライバー。これがあれば棚だろうがなんだろうが組み立て放題、分解したい放題。
その後に買ったのが冷蔵庫だ。これもシンプルなモデル。飲み物を冷やして冷凍食品を保管できれば十分だ。
初めての出社は徒歩で十分に電車で25分。駅のすぐ近くにあるビルの一室。いまどき珍しい社員証をかざして入るタイプのオフィスだった。
「おはようございます!!」
一声目は元気に、印象よく。中途採用のボクがなじめるかどうかの分水嶺。独立系の開発企業。その社員に知り合いや、元の職場出身の人間はいない。
バリスティックナイロンのビジネスバッグを片手に、スーツとネクタイ。仕事はできるがなんらかの理由があって転職してきた即戦力、それがボクだ。技術力があっても社交性がまともじゃないとやっていけない。
「きみが中途の新人君か」
声をかけてくれたのはそこそこ美人のキャリアウーマンタイプ。パンツスーツにPCサングラスというステレオタイプ。この人も形から入る人間なのか、それともそうやっていないと生きていけないのか。
「どうも、以前は某社でオープン系の開発をやってました。サーバ構築とデータベース方面なら一応一通り……」
「経歴は読んだ。まずは君のPCを組むように。初日は環境構築だ。座席表を印刷しておいたから、まあ名前と顔を一致させてくれ。気負わなくていい。ここは一癖も二癖もある連中ばっかりだ」
「開発と聞いてますがどんな業務なのかも知らされてないんですけど」
「そこは追い追い。これが君の名刺。焦らなくていいさ」
えらくさっぱりした物言いだ。見た目はきついがいい人なのか。
入社から一ヶ月、仕事にも慣れて休日はじっくり部屋のアレンジだ。
改装はほとんど終わっている。端末もハイエンドを置いたし、記録媒体の容量も膨大だ。電源タップもノイズフィルターを設置したし、盗聴装置もない。本棚の一部はラックサーバ代わりに大容量ストレージと処理端末を集積させた。
あとは物理セキュリティだ。ほとんど自前でできるが、一部は専門業者に取り寄せてもらわないと。
追加のドアロックも設置済み。ドアカメラも有線LAN接続に交換。ドアの内側に鋼板を入れて補強したし、ドアノブをガチャガチャやられたときに自動発砲するセキュリティも取り付けた。発報じゃない、発砲だ。サイレンが鳴って自動通報するとかそんな甘いやつは役に立たない。
銃弾が発射される発砲。30秒以上ドアノブをガチャガチャやるか、ちゃんとセキュリティを切ってから鍵をひねらないと警告後に弾が発射される。この地区では合法であることを確認済み。銃の登録証もちゃんと発行してもらっている。
窓という窓は防飛散ガラスからレキサンの防弾グレードに交換済み。端末を使う部屋は盗波防止処置。マルウェアかなにかを仕込まれない限りデータは盗まれない。
違法だが無線通信妨害装置も部屋に設置した。いざって時だけにしか使うつもりはないけれど。
最初の給料のほとんどをセキュリティにつぎ込んだ。地域的に安全ではないからだ。安全な地域だと賃貸料金が跳ね上がる。こんな場末だが、駅からは近いのが謎だ。先々週は路上強盗に遭った。
どこの言葉かよく分からない外国語でしゃべっていた二人組が、ナイフを持ってこっちに寄ってきていたから金目のものでも奪おうとしていたのだろう。当然だが近寄ってきた時点で銃を抜いて発砲。警察に通報したが特にお咎めなし。
スーツの上に放出品の内張にスペクトラが入っている、無駄に丈夫なミリタリーコートを着ていた。だからナイフで切りつけられても表面が少々ほつれるくらいで済んだ。打撲痕は残ったけれど。
相手が皮膚装甲移植をしていなくて助かった。まともな銃を買う金はなかったから自作の銃をポケットに入れていただけ。それも二発同時にしか撃てない使い捨て。威力が足りなかったら死んでいたのはこっちだ。相手も金のないチンピラだったのだろう。
以来、地元のチンピラには顔を知られたのか喧嘩を売られるようなことはない。それどころかボクの真似をしてミリタリーコートを羽織る連中が多くなった。地元ではミリタリーコートを着ている若いやつと一般人には手を出さないのが不文律となりつつある。
コートを着てて悪さをするやつも多少はいたが、見つけるたびに銃弾をお見舞いしていたので、最近じゃチンピラ連中も大人しいものだ。今は自警団気取りの若い連中が肩で風を切って歩いている。ガーディアン・エンジェルスのつもりだろうか。
地元の住人から認知されたのか、商店街では割引サービスも受けられる様になってしまった。
「ベーコン100グラムください」
「だんな、お疲れさまです。コロッケをサービスしときますから、食べてください」
「だんななんて呼ばれる筋合いはないですよ。ボクはただの一般市民ですからね」
「でもおかげ様でここらの治安も多少はよくなりましたからね。若いのがむやみに人を襲わなくなった。前は強盗殺人なんていつもの事だったのに」
「やり返されるって覚えたんでしょ。イヌだって叱られりゃ分かる。連中はイヌよりはマシな脳みそを持ってたらしい」
「少なくとも昼間と日が落ちて一時間くらいは安全に歩けるようになりました。地元のみんなは感謝してますよ。外国出身コミュニティの連中もあいつらには迷惑してたし」
「でしょうねえ。治安がよくなるのは嬉しいもんです」
「焼き肉屋の主人がごちそうするから、いつか寄ってくれって言ってました。あそこの息子も更正したとかでえらく感謝してましたから」
「自警団みたいな連中のリーダーが焼き肉屋の息子さんでしたっけ」
「ええ。地元で新興の外国人連中がでかい顔してるから俺らも白い目で見られるって暴れてた一人でして。もう彼で六代目のスラブ系・カフカス系のニホン人ですから、地元民なのに」
「ボクもそうですけど、ご主人だってステイツ出身のご先祖様がいるとか言ってませんでした?」
「直接はニホン自治政府国家生まれでニホン語しかしゃべれない祖父しか知らないし、国籍はここだからニホン人でいいでしょ。ここじゃ少数民族だけど」
といって肉屋の若主人は笑った。
こんな感じで近所の住人たちには覚えもいい。通勤と毎日の買い物の時くらいしか地元を歩くことはないんだけれど。どうやら若い連中が派手にやらかさないようになってきたのが嬉しいらしい。といっても連中は「カタギの人と女子供には手を出さない」くらいのレベルのまともさなのだが。
自警団は地元出身、外国系ニホン人の若い連中だ。見た目で差別されるっていうんでやらかす外国人連中をぶん殴ってた手合い。こいつらは元からやんちゃしてた訳じゃないらしい。
そうしたグループの小競り合いも長く続き、ヤクザ連中も手を出さない区域がここだったようだ。それまで、銃を撃つというのはちゃんと所有許可を取れば合法ではあるが、抗争手段としてはタブーだったらしい。が、ボクがしでかした。そして自衛手段としての使用なら捕まることはない、と証明してしまった。
それをきっかけに銃を合法的に購入できる地元の人間が自力で身を守るようになった。当然、どうどうと所持できるので一気に広まった。合法的に手に入れられないチンピラは高い金を出して闇ルートで仕入れるしかない。高く買っても相手も持っている。割に合わない。だから大人しくせざるを得ない、というわけだ。
合法で買えるから裏ルートも開拓されてこなかったし、一気に広まったから犯罪者よりもまともな地元民のほうが武装している。結果、治安が良くなったという。なんで今まで武装しなかったのか謎なのだが。ハワイ州出身で帰化した父を持つボクには分からない。
でもボクの被害妄想も今回ばかりは他人様の役に立ったらしい。




