1想定外の事が起こった
物書きのリハビリのためにのんびり書いていくつもりです。
暗闇から引きずり出されるように、私の意識が浮上していくのを感じた。
ああ、駄目だったのか。折角、誰も居ない時を狙ったというのに、全くもってついていない。大方、母親あたりが忘れ物でも取りに来たとかそんな理由で、私を見つけてしまったんだろう。
横たえた体の下に感じるのは、柔らかな布の感触。きっと病院に運ばれて、ベットの上に居るに違いない。
まだ覚醒しきっていない頭に、色んな機械に繋がれた自分が浮かぶ。目を開ければ其処に涙を溜めた母親がいて、これでもかと言うくらいに怒られるのだ。それくらいは容易に想像出来た。
ああもう、とても憂鬱だ。一度失敗してしまったのだ、これからは心配しているという体で、気遣いという名の監視の目が強化されることになるのだろう。再度実行に移すにしても、少なくとも数カ月、数年は様子を見なければならなくなる。溜め息もつきたくなるというものだ。
諦めるしかないのか、と腹をくくり、取り戻してしまった己の意識をもどかしく思いながら、ゆっくりと目を開いた。暫くすると、ぼやけていた視界が徐々にはっきりとし始める。そして私は、そのまま見知らぬ天井に首をかしげることになった。
はて、此処は何処だろう。
見たところ、病院の嫌味な程に白い天井ではなく、機械の音もしない。かと言って見慣れた三角天井でもなければ、子供部屋らしいからと言って祖父が勝手に張り替えた、カラフルなドット柄の壁紙が目に飛び込んでくることもない為、自室で目が覚めたという訳でも無さそうだ。なら、一体全体此処は何処だという話である。
まずは状況を把握しないことには始まらない。私は少しでも情報を得るために、体を起してぐるりと部屋を見回した。
まずは、この場所についてだ。広さは八から十畳程だろうか。緑とアイボリーを基調とした草花模様の絨毯が敷かれ、質の良さそうな落ち着いた雰囲気の――某動物と暮らす森のほのぼの生活ゲームで言うところのシックシリーズをコンプリートしたかのような――家具がセットで揃っており、これと言って華美な物は見受けられないが、それ故に重厚な高級感を醸し出しているかのようだった。
視線をベッドの足元に動かせば、きちんと揃えられた――女子高生が履くローファーに少し似ている――革靴があるので、此処はホテルや外国のように、室内でも土足が適用される場所なのだということが推察できる。
気を失っている間に、此処まで連れてこられたのだろうか。もっとも、誘拐された可能性は、鍵も閉めていたので限りなく低いだろうが。
「そう言えば、体は拘束されてないみたい。」
拘束されていないという事実から、誘拐の線はほぼなくなったが、一応ドアや窓の確認はしておいたほうがいいだろう。
行動する前に、自らの体の状態を確認する。痛みも痺れもなく、倦怠感もない。腕や足もきちんと動くし、快調そのものだ。身体的には問題ないだろう。そう思って私は行動を開始することにした。
さて、ベッドを下りて靴を履こうとしたのだが、何故か違和感を覚えた。何かがいつもと違う、ボタンを掛け違えたかのような、パズルのピースをはめ間違ったか一つだけ見つからないような、そんな違和感だ。
無論、部屋が違うとか、そういうものでは無い事は明らかなのだが、一体何が違うのだろうか。
服が違うことだろうか?いやいや、確かに見覚えのない――既視感はあるのだが、少なくとも持っているはずのない――服を着てはいるものの、それは誰かが趣味で着せ替えたのだろうと無理やり納得出来る範囲だ。では、一体何が引っ掛かるのか…。
体の動きには問題は見受けられなかった。服も誤差の範囲、部屋が違うのはそういうものとして、もっと違う何かのはず。こう、根本的な何か…。
考え事をしている時の癖で、無意識に眼鏡を押し上げようとして、固まる。其処に、眼鏡が存在していなかったのだ。眼鏡をかけなければ、手元さえも歪む筈なのにである。あまりにはっきり見えていたがために其処に眼鏡があるものだと思い込んでいたのだ。
だが、視力が突然良くなるなんて、聞いたことがない。おまけに今気がついたのだが、長くて陰気くさい見た目だと、自分でも感じる程度に視界を遮っていた筈の前髪すら、額にも掛かっていなかった。
「え…どういうこと?」
思わず困惑して漏れ出した声に、さらに感じる違和感。まるで、自分の声では無いような…むしろ別人と言っていい声だったのだ。
私は引き籠ってばかりだったが、自分の声くらいは分かっていると思う。例え人と会話する機会がなくとも、漫画やゲームにツッコミを入れたり、声優の真似事のように何通りもの声を使い分けて一人遊びをしていたこともある――そこ、寂しい奴だとか言うんじゃない。自覚はしている――し、声を出していなかった訳ではないのだ。
だからこそ言えることがある。私の地声はもっと無愛想で低めの可愛げのない声であって、断じてこのような、ほわっとして軽やかな、明らかにソプラノで歌えますよと言った、可愛らしい可愛げのある声ではなかったはずだと。
そもそも人間というのは、そうそう簡単に高音に変化するものではないだろう。風邪をひいてさらにハスキーな声になることはあっても、朝起きたら声が高くなっていたなんて言う話は聞いたこともない。
お伽噺でチョークを食べたオオカミの声が、しわがれ声から女の人のような高い声に変わったとか、パーティを盛り上げる面白グッズとして売られる濃度の低いヘリウムガスを吸って声が可笑しくなるというのは聞くが、それはそれ。例えヘリウムガスを吸ったからと言って――確かに私も用途はあれとして使用したわけだが――このように変化することはないはずだ。効果が持続する訳でもないのだから。
では、一体何が起こったというのだろうか。
「…確かめるしかないか…」
現実的では無さ過ぎて思考が逃避しそうになったが、考えても答えが出る訳もなく。見て確かめるしかないという結論に至る。
正直に言ってしまえば確かめたくなどない。しかし、こうして生き延びてしまっている以上、現実と向き合わなければならない時と言うのはいつかは訪れる。それが早いか遅いかだけだ。私は覚悟を決めて、部屋の隅に置かれた、鏡台と思われるものに近づいた。
「ふう…」
深呼吸をひとつ。鏡台に掛けられた布に伸ばした手が小さく震えているのを見て、落ち着こうと目を瞑った。
死のうとしたというのに、全く臆病なものだと自嘲する。いや、臆病だからこそ死に逃げてしまったのだが。まあ、それはいい。今は、鏡を見るのが怖い理由を消していくのが先決だ。どの道、暫くの間は生きていなければならないのだから。
私は何が怖いのだろう。それは、全くの別物となってしまったであろうこの身体の正体を暴くことだ。
何故怖いのかと自問する。それは、どうしてそうなったのかが分からないから怖いのだ。誰しも未知の領域に触れれば恐怖を少なからず感じるものだろう。
では、どうしてそうなったのかを想像して、その可能性の低いものから潰していけば、答えに辿り着き易くもなり、恐怖も少しは薄れるかもしれない。
身体が別物になってしまうのは、一体どんな状況だろうか。
まず思いつくのは脳移植か。しかし、これは無いと思って良いだろう。リスクが高すぎるし、何より非人道的だ。仮に同じ頃合いで脳死判定を受けた誰かの肉体すべてが提供されたとしても、その場合、私と言う存在が、身体の持ち主か脳である私、どちらの人間として定義されるのかも不明瞭なことになる。第一、私はそこまでして生かしておきたい人材でもないので、死んでいたならそのまま墓に直行だっただろう。
では、私が死んだあと、私という意識の思念が誰かに乗り移ったという可能性はどうだろうか。多重人格の一つとして、と考えればそれは結構否定できないかもしれない。その身体の主人格は何処に行ったのだという話ではあるが、強い衝撃やストレスで弱っていたところだったと仮定するならば、理解できなくもない。
あるいは、私が既に生まれ変わり、別の人生を歩んでいて、何かの拍子に前世である私の人格と入れ替わって目覚めたというパターンも考えられなくもないが。
何にせよ、私には私の記憶しかないわけで。どちらであっても、また、どちらでもなくても、これ以上のことは、この身体の情報を得ない限り想像しているだけでは理解できがないだろう。
絵に描いたお化けを怖がっていても仕方がない。漸く鏡を見る覚悟ができた私は、もう一度深呼吸をしてから、
「ええい!女は度胸だ!」
と、一気に布を捲りあげた。
思い切って覗き込んだ其処には、難しい顔をした一人の少女が映っていた。
ほんの少し釣り目がちの、翡翠のように澄んだ瞳。ニンジンのようにパッと明るい赤毛。そして、透き通るような白い肌。何処となく幼さを残したその面立ちは、日本人というよりは西洋系のそれで。ともすれば、引き籠り生活をしていたのでは、絶対にお目にかかれないような容姿。だというのに、鏡の向こうから覗き返してくる『私』に、私は見覚えがあった。
いったい何処で?答えはすんなり浮かんできてくれた。
読んでくださりありがとうございます。