そして出会った2人
歩美と登校し、またいつもの授業が始まる。
目の前では数学教師が黒板に数字を書き並べている。
普通の私なら頬杖でもつきながらこんなつまらない事をやって何になると睨むこともしていただろうが、生憎そんなことはできなかった。
辺りを見渡せば教科書を立ててそこに隠れて爆睡していたり、ペンを持ちながら聞いているフリをしながら寝ているもの、友達と手紙を交換し合うもの、皆それぞれ退屈な授業を乗り過ごしている。
高校に入り初めての中間テストを終えたばかりのクラスは開放感から多少羽目を外しているようだ。
歩美を見ると彼女は真面目に授業を聞き、フムフムという擬音語が似合いそうなほどに授業に集中している。
そういえば彼女は真面目であった。
私が本当の自分をこのクラスでさらしていたら間違いなくクラスの中心的存在は彼女になっていたであろう、そしてたちまち私は妬まれる存在へと変わっているであろう。
再び黒板に目を戻す、黒板はさほど書き進められてなく、新たに書かれたところを私は無意識にノートに写した。
私はペンを机に置き、窓の外を眺めた。
そこにはすでに散った桜の木が校庭を囲んでいる。
こんなことになんの意味があるのだろうか、きっと自称大人達はこういうだろう。
「勉強なんかが出来なくて社会に出て何が出来るのか」と。
だが本当にそうであろうか、そんなことを申す人間は勉強が出来ても人として大したことなんてない。
この世に大した人間なんてそもそも存在なんてしないのだろう、もちろん、私を含めて。
自分だけ正しいなんて傲慢を抱く気は私にはない。
この世で何が正しいかなんて私に分かることでもないし、正しさがあるなら世に生きた先人達がすでに考え、解明しているだろう。
ただ、そうなると私たちに一番必要な授業は道徳となる。
これはまた滑稽だ、道徳を心得ていない人間が人に道徳を説くのだ。
これ以上な笑い話なんてないだろう。
そう、正解なんて無かったし、あったとしてもたどり着けない。
この世の中でただ1つ言えること、それは「間違っている」ということだけだ。
退屈な授業も午前を終えれば昼食の時間である。
私は中学の頃から自分で弁当をつくり、もってきている。
昔、歩美が弁当を作ってこようかなんて言ってきたことがあったかもしれないが、いつだったか、そもそも本当に言われたかも覚えていない。
昼休みともあればクラスは賑やかである。
それぞれ自分の友達と一緒に食べようと机を並べる。
私もそうであった。
食べようとすると人が集まり、いつのまにか5、6人のグループでいつもご飯を囲い、くだらない会話をする。
俳優だの、アイドルだの。
私はそもそも人の名前を覚えるのが苦手であり、俳優やアイドルの名前なんぞ1人もわからなかった。
いや、訂正しよう、私は興味のないものはとことん覚えられないのだ。
今私の周りにいるメンバーですらフルネームを覚えていない、歩美を除いて。
皆思い思いに言葉のキャッチボールをする、そこにあるのはまさしく平和であった。
しかし平和なんていつまでも続かない、それが終わりを告げる時、人は一瞬に絶望へ転じる。
そしてこのクラスの平和を割くのは一発の弾丸であった。
「いいかげんにしてくんない?」
とても大きな声だったのでクラス中に響き渡った。
クラスの話が止まり、声の発生源にクラス中の視線が集まる。
声の主はいかにもギャルっぽい、スカートをもう見えてしまうのではないかというほどものすごく短くした女子生徒であった。
ここは一応自称進学校であるが、ああいうのがいるのだな、と少し落胆する。
対して声を浴びせられているのはおとなしげな女子生徒であった。
私は彼女を知っていた。
もちろん名前なんぞしらないが、いつもクラスで1人本を読んでいる無口な子であった。
私にとって彼女はある種の理想のようなものを感じ、気になっていたのだ。
そんな彼女は今クラス中の注目の的である、不本意であるのだろうが。
「ねぇ聞いてる?」
無口な彼女は黙って本を読み続ける。
あいも変わらず無表情な女子生徒と自分の思い通りに進まずムカついている女子生徒、それを唖然と眺める私達、そんな状況だった。
我慢ならなかったのかギャルっぽい女子生徒は彼女の読んでいた本を取り上げる。
取り上げられた彼女は黙って取り上げた女子生徒を見上げる。
「人の話は聞きなさいよ」
「本を返してください」
「あんたがちゃんと話しを聞けば返すわよ」
「だから何度も言ってるでしょう、ここは私の席です」
どうやら席のことでもめているようだ。
「だからぁ、机動かすのが面倒くさいから席を交換しよう?っていってんの、日本語わかる?」
「だからいやだと言ってるでしょう。あなたこそわかるんですか?同じことを何度も言わせないでください」
「な…」
皆がその状況を見守ることしかできなかった。
誰もこの状況を止めることが出来ない。
立って目立ちたくないから、矛先が自分に向けられたくないから。
これが社会の一種なんだろう。
人間の醜さの一つであろう。
誰もが彼女1人をイジメの見せ物にされるのを見守るしか出来ない。
弱者は弱者だからと理由づけられ、社会の荒波に飲み込まれるのを仕方がないと切り捨てられる。
どれもこれも「偽物」だ、疑うまでもなく悪だ。
「あんた、佐竹さんだっけ?ちょっと頭いいからって調子乗ってんじゃないの?なに、私たちがバカだって言いたいの?」
佐竹、その言葉を聞いてふと思い出した。
中間テストの学年順位発表の時、私とともに1位だった人物だ。
今まで自分と同じ点数などとっている人を見たことがなく、記憶に残っていた。
私の気になっていた女子生徒は私と同じ学年主席だったのか、と少し感心する。
「いえ、別にそんなことは思ってないですよ、早く本を返してください」
「じゃあ席どいてよ」
彼女達の話がヒートアップするにつれて、クラスの視線がチラチラと私に集まるようになった。
言われなくとも意味は伝わった。
学級委員としてこの場を上手くまとめろ、そう言いたいのだろう。
ますます虫の居所が悪くなった。
でも、自分の感情とやるべきことを混ぜてはいけない。
私がいますべきこと、それは自分の感情に任せるのではなく、やるべきことを成し遂げる、そういうことだった、私はいつでもそうしてきた、だから慣れている、こんな事は造作でもない。
私は立ち上がろうと体重をかけていた椅子から腰を上げようとした。
その時、私は袖になにか違和感を感じた。
ふと見てみると歩美が私の袖を掴んでいた。
私は訳もわからず歩美をみつめた。
歩美はただ下を向いて私の袖を掴み、ひたすら離そうとしなかった。
「歩美?」
「…あ、ごめん」
そういうと彼女は私から手を離した。
彼女の心中に何があったのだろうか。
だが今彼女に構っている暇はない。
私は立ち上がり、現場に向かう。
背後に視線を感じた、でも気にしなかった。
「そこらへんでやめておきなよ」
「あぁ?」
「…」
「…ほら、楽しいご飯の時間にそんなんじゃつまんないよ」
私は作り笑いで嘘を並べた。
佐竹さんらしき人物はなにも喋らずただただ私を見つめている。
対するギャルっぽい女子生徒は私の語った言葉を鼻で笑った。
あぁそうさ、それは確かに君が正しい。
私だってそう思う、楽しいご飯だのなんだの自分で言っておいて吐き気を催しそうだ。
こんな言葉私には似合わない、無論彼女もそうなのだろう。
ならばこれは語りではなく騙りだ。
「なんだっけ、大神サンだっけ?私たち話してるんだから邪魔しないでくんない?」
私は彼女の言葉にフフと笑いをこぼした。
「あなた嘘はもっと上手くついた方がいいわよ?」
「は?なに言って…」
「それと、話とか言ってたけど、あれはどう見てもあなたが願望を押し付けてるようにしか見えなかったわよ?」
佐竹さんは相変わらず沈黙を守っていた。
感情を表すのが苦手なのか、彼女の表情からはなにも掴めない。
対するもう一方の女子生徒はわかりやすい。
今なんて自分がクラスに居づらく感じているようにしか見えない、ついでに虫の居所も悪そうだ。
ならここで畳み掛けて仕舞えばいい。
この手の人間は一度痛い目にあわないとわからないタイプだ。
私は佐竹さんの手を握った。
「え?」
「じゃ、ついてきて」
私は平穏を破り、驚いた表情を見せた彼女を気にせず手を握ったまま教室から出てとりあえず屋上へと向かった。
教室から佐竹さんがいなくなれば彼女の席はもう自由に使えてしまう。
でもあの女子生徒にとってその席に座るのは辛かろう、その席は言わば自分のワガママで手に入れた席なのだ。
その席に座ればクラスから冷たい目で見られる、かといって自分の席に座れば私と佐竹さんに負けたと認めることになる、おそらく彼女のプライドがそれを許さないだろう。
その強欲な席で友達という訳もわからない存在とともにご飯を食べればいい、自分で鼻で笑った存在とともにね。
それがあいつへの罰だ、報復だ。
屋上の扉を開け、その中心あたりまで私は彼女の手を引いた。
「ごめんね、連れてきちゃって」
歩いてきたので息は切れていなかったが、流石にここまで階段を上ってきたのは多少の違和感を感じた。
「いえ、まぁなんとなく理由はわかりますし」
「わかるの?」
「大神さんて案外どぎつい性格してますね」
「ハハ、それは否定できないなぁ」
わかってくれているのなら話は早い、いや、する話もなかったが。
私たちはここにきたのはいいもののする事がなかった。
とりあえず昼休みが終わるまでここにいることを強いられそうだ。
せっかく気になる人間と2人きりになれたのだ、何かと聞いてみるのも悪くないかと思った。
「ねぇ、佐竹さんは友達とか作ろうとか思わないの?」
「うん、あんまり」
「どうして?」
「どうして…か」
私は彼女が続ける言葉をまった。
屋上とういうこともあってか風が少し強かった。
しばらくの間、私の耳には風が耳に当たる音だけが伝えられていた。
30秒ほど時間が経ったのであろうか、ようやく彼女は必要最低限しか喋らなかった口を開いた。
「小学校の頃なんだけどね、私にはすごい仲のいい友達がいたの。でも住んでるところが多少遠くて、別の中学に通うことになった。卒業式が終わっていざ彼女と別れる事になった時、私なにも感じなかったの。本当は悲しいはずなのに、嫌だと思うはずなのに、なにも感じなかった。その時に私思ったんだ、どんなに仲が良くても、ずっと一緒にいようと約束しても、別れはくる。でもそれを悲しくないならそれはきっと無駄な事。だってさ、別れを悲しめないとそれまで作ってきた思い出が大切に思えなくなるんだもん、かげがえのないもののはずなのに。だから友達を作る気はないの、無駄にしか思えない」
私は彼女のその言葉にただただ驚くばかりだった。
私の気になっていた彼女は私と同じ価値観の持ち主であった。
私はそこに運命に似た何かを感じた、今まで求めていたもののの片鱗を見た気がした。
私はできる限り身の内の興奮を出さないように一段と気をつけた。
「そっか、なら私と一緒だ」
「大神さんも?」
「うん、私も友達っていうのがよくわからない。どうせ卒業なり別れの時が来た時にもう合わないもの。なんのためにあるのかわからなくなるよ。まぁ普段の私をみてたら信じれないよね?」
「うーん、普段の大神さんからはとても信じれないけど、さっきのあれを見たら案外そう思ってるのかもって思うよ」
「そっか、なら案外私たちって似てそうだね」
私は彼女に笑いかけた。
すると彼女は少しうつむいたあと、顔を上げ私に向かって笑いかける。
本心で笑ったのはいつぶりだろう。
今まで愛想笑いだけを覚え、使っていた気がする。
すでに私にとって彼女は普通の人間とは違う、特別になっていた。
それが恋なのかなんてわからない、でもそこらにいるゴミのようにいる人間の中でマシに思える存在を見つけた。
私にだけやって来た、遅れて吹く春の風、私はこののチャンスを手放したくなかった。
「私は大神絢子、よろしくね」
「…私も大神さんとならうまく出来そう。友達ってなるとわからないけど、話し相手としてはお互いに気が合うって思うよ。あらためまして、佐竹千佳です、よろしくね」
私は彼女と2人きりになれてよかったと心の底から感じた。
私は彼女と友達になるつもりなんて無かった。
おそらく私と彼女の信念は同じなのだろう、彼女はきっと怖いんだろう、別れに何も感じないのが。
だから別れる事のない永遠というものが彼女にとって理想となって現れる。
私と彼女が求めるものはきっと同じに違いなかったのだ。
「じゃあそろそろ帰ろうか」
「ごめん、私このままもう少し風に当たってるね、さっきは熱くなっちゃったから」
「…そっか、じゃあ先に帰ってるね」
そう言い残し、私は屋上を後にした。
私は彼女を手放す気などない。
私が蜘蛛であるならば彼女は蜘蛛の巣にかかった獲物だ。
たとえ彼女がその気はなくとも私が彼女を手放さない。
せっかく手に入れた獲物なのだ、これを逃すわけにはいかない。
そう、彼女は私を友達と今後思うようになるかもしれない、でも私はそうはさせない。
恋という蜘蛛の糸で巻きつけ、私色に染めてみせる。
だってあなたは私の永遠となるのだから。
彼女が屋上を抜けた後、私は1人校庭を眺めていた。
大神絢子、興味深い人物だ。
それは人としてではなく、自分の私利私欲としてだ。
彼女への説明は綺麗事を並べた、しかし嘘ではない、説明不足なだけだ。
私は確かに彼女との別れになんとも思わなかった、それだけならまだよかったのだろう。
中学に入った私はかなりおかしくなった。
私は別れる事になにも思わなかったのを、他人と別れることで快感を得ているのではと勘違いした。
中学の頃の私は大神さんのような存在だった、誰かに必要とされ羨まれた。
そんな私に男子たちは集まって来た。
初めて告白されたのは確か中1の6月、そのころすでにその疑問を得ていた私はそれを承諾した、そして2ヶ月後にふった。
その時の男子の顔は今でも覚えている、実に絶望、悲しみ、驚きを具現化したような顔であり、私を興奮させた。
私はその勘違いと定義づけたものを否定し、肯定した。
その後なんども私は付き合い、ふった。
その度に私は快感を覚えた。
人の絶望はなんて快感をもたらすのだろう。
私は先輩後輩関わらず家にあげ、みだらな行為にも及んだ。
それはまた別の快感であったが、やはり絶望を感じる方が私にとっては心地よかった。
そんなことを続けているうちに私は嫌われ者になった。
当然だ、誰かが私の本性を流したのだろう、いや、流してなくとも何人もの男と付き合えばこのような噂が広がるのは当然だ。
男子たちは私とその行為ができるためだけに集まった。
そんな男子たちに私は興味など感じもしない、全て断った、私が見たいのは絶望だ。
女子たちは女として負け、勉強でも負け、勝てもしないことを恨み妬んだ。
羨みが転じて妬みとなったのだ。
その2つの使い分けはとても重要であった、好意をもてば近づきたい、嫌悪を抱けば蹴落としたい、なんて簡単な使い分けだろう。
私はそんな同級生たちと同じ高校に行くことなんてできなかった。
だから私はここに来た。
私は人間関係に疲れたのだ。
男子と付き合うのなんて大学に行ってからでもできる、今はただクールダウンがしたかった。
しかし、そんな私をまた快楽に陥れてくれそうな人物が現れた。
誰であるかは自明であろう。
私は彼女の絶望にみちた表情が欲しくなった。
別に恋愛対象は男だけじゃない、女であっても何ら変わりはないのだ。
彼女は有限を知り、無限を求めるのだろう。
それを彼女は私に一緒だと感じたのだ。
しかし私は違う、有限からその最後の絶望を好む、つまり、有限を知りながらも有限を求めるのだ。
それが彼女との違いであって根本から分かり合えないだろう。
彼女は一体どれだけ私を楽しませてくれるのか、とても楽しみだ。
なんせ彼女は私の使い捨てとなるなのだから。
私は昼休み終了を告げるチャイムを聞いて、教室へと帰った。